「子どもを持って、母に言われたのは、『子どもの5分間は濃密だから、仕事がどんなに忙しくても、1日5分は必ず集中して向き合うといい』ということでした」

映画監督の安藤子さん(39)がこう話す。

父は俳優・映画監督で画家奥田瑛二さん(71)、母はエッセイストでコメンテーターの安藤和津さん(73)で、妹にカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品『万引き家族』(’18年)やNHK連続テレビ小説『まんぷく』で主演した安藤サクラさん(35)がいる、安藤家の長女だ。

東京で生まれ育ったが、’14年に移り住んだ四国の高知県で、いまは6歳になった長女と暮らしている。

「長女を出産したのは、全編高知でロケした2作目の監督作『0.5ミリ』(’14年製作、安藤サクラ主演)の公開翌年のことでした。その後、子育てしながら高知の人たちと交流していく中で、街の活性化のための映画館経営を構想していったんです」

そのプロジェクトは、市内のビルを改装して「ウィークエンドキネマM」という劇場をオープンする形で結実した。

「高知はオープンな町で、近所の子もウチの子もみな“わが子”っていう、コミュニティ感覚があるんです。そこに育つ若い世代のポテンシャルを引き出したいと思っていました」

地元の学生やビジネス世代を募って、“人生の表現を一緒に学ぶ”演劇集団「桃子塾」も開講してきた桃子さんは、仕事と育児の両立の念頭に、娘と水入らずで向き合う時間を設けているのだ。

最新エッセイ『ぜんぶ 愛。

』(集英社インターナショナル)でも次のような記述がある。

《一日ひとつ、娘との集中したわくわく、楽しい時間を持つようにしている》

この母・和津さんの教えは、エッセイストという仕事を持ち忙しかった和津さん自身が実践してきたものだったと、桃子さんは思い起こす。

■「サクラが生まれたとき、4歳の私に母が『妹ができておめでとう!』と」

「幼いころの私は、母との毎日の5分間が来ると『キターッ』と思って飛び込んでいった。『仕事しながら』『家事しながら』ではない、“私だけのお母さん”でいてくれる時間がちゃんと感じられた。母になって思うのは、『和津さんすごいな!』ってことでした」

桃子さんは、幼少のころ母に与えられた「もうひとつのこと」についても語ってくれた。

「それは、妹・サクラが生まれたとき、4歳の私を母が祝ってくれたことです。

『お姉ちゃんになったね、妹ができておめでとう!』と」

第一子で生まれた子は、最初は当然“ひとりっ子状態”で母の愛情を100%受けて育つ。

しかし第二子が生まれた瞬間から、母はその子にある程度つきっきりにならざるを得ず、このころから上の子は、疎外感をおぼえてしまうことも少なくないものだが……。

「おかげで、サクラが生まれてからの4歳以降の私の記憶は、ハッピー以外のものがない。『妹ができてうれしい!』という気持ちをプレゼントしてくれたのは、間違いなく母です」

それ以後、桃子さんは「サクラには私がいる。私が守る!」という思いを固めていく。

「サクラの前に立ち、『ここなら大丈夫だよ』と道を拓くような思いでやってきた。

学校でも、仕事をするようになってもそうでした」

サクラさんは俳優・柄本佑さん(35)と’12年に結婚し、後に長女を出産。

お互いが母親になったいまも、変わらぬ姉妹の絆が、桃子さんとサクラさんにはある。

ふたりを育て上げた御母堂・和津さんの手腕には、本当に頭が下がる思いだ。

(取材・文:鈴木利宗/撮影:高野広美)