「今回のコンサートで聖子さんやスタッフが利用したケータリングには、豚骨ラーメンや季節の和菓子が用意されていました。これらは聖子さん自身のリクエストで、沙也加さんが大好きだったものを選んだそうです」(制作関係者)

愛娘・神田沙也加さん(享年35)の急逝から半年、全国ツアーに臨んでいる松田聖子(60)。

6月11日にさいたまスーパーアリーナで開催されたツアー初日に聖子は、沙也加さんと“共演”を果たした。

公演の中盤、聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌唱し、このように語った。

「娘は天国に旅立ちましたが、私の心にずっと生き続けています。きっと今日も一緒に『ever since』を歌ってくれたと思います」

再出発した聖子の様子について、公演に訪れたファンは明かす。

「沙也加さんについて口にする際は、涙がこらえきれない場面もありましたが、聖子ちゃんは全25曲を完璧に歌い切りました」

1万8千人の観客の前で、アイドルの矜持をみせた聖子。そんな彼女を支える人々がいた。

聖子のデビュー当時からの付き合いだという歌手の小柳ルミ子(69)は、12日に自身のInstagramを更新し、《昨日、可愛い可愛い愛する妹、聖子ちゃんに会いに行って来ました》と、松田聖子のコンサートに駆けつけたことを明かして、さらにこうつづった。

《ステージ終了後、痩せた聖子ちゃんをぎゅーっと抱きしめて来ました》

聖子のもとには“戦友”からのエールも届いていたという。

「会場には日本テレビや、ユニバーサルミュージックなどからスタンド花が贈られていました。その並びに個人として唯一、松任谷由実さんから贈られた花が飾られていたのです。

この花を目にしたファンは、『ユーミンありがとう』と感謝を述べていました」(イベント関係者)

聖子と松任谷由実(68)の交流は長い。ユーミンが初めて聖子に曲を提供したのは、’82年の大ヒット曲『赤いスイートピー』だった。

「聖子さんの女性ファンが増えるきっかけとなった『赤いスイートピー』は、作詞家の松本隆さんが、ユーミンさんに『ライバルに曲を書いてみない?』と声を掛けたことがきっかけで生まれました。

松任谷さんは作曲者名を、ペンネームである“呉田軽穂”にすることを条件に了承したそうです」(音楽関係者)

■ユーミンの作曲で大ヒットを連発

’20年12月に放送された『松田聖子スペシャル ロング・バージョン 風に向かって歌い続けた40年』(NHK)で『赤いスイートピー』を手掛けた理由をユーミンはこう明かしている。

「アイドルが嫌いだったんですよ、私。アイドルの世界は強大で『仮想敵国』みたいに思わないとやっていけなかった。変な気概があったところに(作曲依頼が)舞い込んだ。挑戦的なところがありました」

その後も『渚のバルコニー』『秘密の花園』『瞳はダイアモンド』などでユーミンと聖子はタッグを組み、ヒットを連発してきた。

しかし’84年の『時間の国のアリス』を最後にユーミンは30年以上もの間、聖子の曲を作ることはなかったーー。

「あれほどの名曲を生み出してきた2人だけに、長い空白期間があったことで聖子さんと松任谷さんの間には、確執があるのではないかと報じられたことがあります」(前出・音楽関係者)

この軋轢について、長年聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。

「’80年代のユーミンは多忙もあってか、ラジオなどでキツい発言が目立っていた時期がありました。そんななか聖子さんが、雑誌でユーミンのライブを初めて見たときの衝撃を『私はいったい何なんだろうと思い、アイドルをやめようかと思った』と語った記事を、ユーミンが目にし、『やめたらよかったのに』とキッパリ。以来、不仲が噂されるようになりました」

聖子のデビュー35周年にあたる’15年にユーミンは、新曲『永遠のもっと果てまで』を聖子に提供。31年ぶりに2人が組んだことで話題となった。

音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは、この背景を推察する。

「単に、ユーミンのもとに楽曲提供のオファーがなかっただけではないでしょうか。プロデューサーの意向で別の人に依頼する時期が続いたということで、けんか別れなどではないと私は思います。盛り上がるタイミングでタッグを再開する運びになったということでは」

前出の『松田聖子スペシャル~』で、31年の空白を経て“和解”したユーミンは聖子について、「一緒の時間を共有できて本当に光栄だと思っています」と、語っていた。

そんな彼女が今回の公演で聖子に贈った友情の花には、ある思いが込められていたという。

「大きな花束の中には白い八重咲きのユリがありました。これは沙也加さんが大好きだった花なんです。沙也加さんは’05年ごろ、芸名をユリの英語名“Lily”としてモデル活動していたことも。いかなるときでもステージに立ち続ける重圧は、ユーミンも痛いほど理解しています。

それだけにユーミンは、気丈にふるまう聖子さんに“沙也加さんもそばにいる”とさりげなく伝えたかったのではないでしょうか」(前出・YAHIMONときはる氏)

11日のコンサートでは、ユーミン作曲の『赤いスイートピー』や『渚のバルコニー』を熱唱していた聖子。

ユリの花言葉と同様に純粋な沙也加さんと“戦友”に見守られ、ステージに立つ彼女は決して独りではなかったーー。

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