【前編】元統一教会信者で、脱会を支援する牧師が語る“ハンカチ売り”の日々と贖罪の気持ちより続く

「ここは貧困状態に陥ってしまった人やDV被害者たちをかくまう“シェルター”として使っていた所。もちろん信者や、いわゆる2世が滞在していたこともあります」

福島県白河市の住宅街の一角。

老朽化し、現在はシェルターとしては使っていないという古い民家の玄関扉をこじ開けるように開いたのは、日本基督教団白河教会の牧師・竹迫之さん(55)。

「うわ、しばらく来てないので、蜘蛛の巣が張っちゃってますね」

頭上を払うようにしながら、竹迫さんは奥の部屋に進む。そこには建物と同様に、年季の入った書棚がいくつも並んでいた。

指先でほこりを拭うようにしながら、竹迫さんは一冊の本を開いてみせた。本の巻頭には背広姿の初老男性の肖像写真。この人物こそが「世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。以下、旧統一教会)」の創設者・文鮮明氏(’12年没、享年92)だ。

■「安倍元首相銃撃事件」容疑者の供述でクローズアップされた「宗教2世問題」

7月8日に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件を機に、旧統一教会に世間の衆目が再び集まっている。元首相を襲った山上徹也容疑者(41)が動機を語るなか、名前を挙げたのが旧統一教会だった。

供述によれば、容疑者の母親は熱心な信者で、およそ1億円を献金し破産、家庭は崩壊してしまう。そして、元首相が旧統一教会とのつながりが深いとの思いから、恨みを募らせ、犯行に及んだという。

旧統一教会は’54年、韓国で創設され、’64年には日本でも宗教法人の認可を受けた。

’80年代から’90年代になると「先祖の因縁だ、祟りだ」と不安を煽り、壺など高額な品物を売りつける「霊感商法」が社会問題化。さらに、教団がマッチングした男女の集団を一堂に集めて行う「合同結婚式」にも、奇異の目が向けられることに。

そして今夏、事件後にクローズアップされたのが、「宗教2世」という存在だった。竹迫さんは言う。

「山上容疑者のように自らの意思によらず、生まれや育ちで多くの問題をはらむ宗教組織との関わりを強いられてしまう、それが『宗教2世』です」

じつは、竹迫さん自身、10代の終わりに旧統一教会の信者だった経験がある。脱会し、25歳で現職の牧師に就いた。以来30年間、自らの経験をもとに、ずっとカルト問題と対峙してきた。こと、旧統一教会に限っても、3桁を優に超す相談に乗り、多くの信者を脱会に導いた。

そして近年。彼が危機感を募らせてきたのが、2世問題だった。

「’90年代、大々的に合同結婚式が行われるようになって以降、2世は急増。日本全国に数万人はいるはずです。

苦しみを抱えているのは山上容疑者だけではないんです」

■「映画を見て人生を勉強するサークル」。実は統一教会のビデオセンターだった

竹迫さんは’67年、秋田県に生まれた。『スター・ウォーズ』を見て衝撃を受けて以来、映画に憧れを抱き続け、映画学科のある日本大学藝術学部を受験。その受験当日だった。試験後、池袋に立ち寄ったのが、転機となる。早生まれの竹迫さんは、まだ17歳だった。

「駅前で声をかけられました。『自分たちは映画を見て人生の勉強をするサークルです』と」

じつはその施設こそが、旧統一教会の「ビデオセンター」だった。

「そのときは、そこが宗教の施設だなんてわかりませんでした。ただ、見られるのが『十戒』や『天地創造』など、キリスト教関係の映画ばかり。意味がわからないな、と思っていると、『聖書の知識がないとわからないでしょ、聖書の勉強をしてみない?』と言われて」

そこからは、ある種のビデオばかりを見せられるようになった。

「聖書の読み方を説いていると言われ、教義の解説ビデオを見続けました。

3カ月ぐらいしてからですね、『私たちは統一教会という団体です』と打ち明けられたのは」

■ワンボックスカーで寝泊まりしながら北海道を回る秘密のキャラバン隊に参加

1浪後、念願の日大藝術学部進学を果たす。しかし、入学と同時に竹迫さんは家出。旧統一教会の施設でほかの信者たちと共同生活を送りながら大学に通った。

「そんなことをしていたら、親が心配して連れ戻しに来たんです。すると、組織から『お前の家は反対がきつい、ほとぼりが冷めるまで北海道に行け』と指示されて」

ワンボックスカーの荷室で寝泊まりしながら、北海道を回る秘密のキャラバン隊だった。

「戸別訪問しハンカチを売るんです。本当は500円ほどのハンカチ3枚セットを3千円で。『売り上げは恵まれない子どもたちの支援に』と噓をついて。完全な詐欺です」

竹迫さんはこのキャラバンのさなか転倒。左足首を骨折し、帰京を余儀なくされる。

「池袋にあった旧統一教会の病院で治療を受けるはずでした。でも、内部でもハンカチ売りは極秘扱いだったので、その露見を恐れたんでしょうね。

『自宅で治してこい』と言われ、帰されたんです」

■「スパイは帰れ!」と殴られて。信者になって1年8カ月、19歳で脱会に至った

数カ月ぶりに帰宅すると、そこには両親のほか、旧統一教会の内実に明るい人たちが集まっていた。

「両親は、脱会させる準備を重ねていた。足を負傷し自由に動けない私は1週間、組織のスキャンダルが書かれた記事や資料を見せられながら、缶詰め状態で説得を受けました」

それでも、心は動かなかった。

組織から「きつい説得を受けたら『やめる』と噓をついて逃げ出せ」とも教えられていた。

「私も『やめる』と言いました。両親から『友達はどうするんだ?』と聞かれてしまって」

じつは竹迫さん、高校の同窓生を7人、勧誘していた。

「仕方なく『彼らにもやめるよう勧める』と答えると、私を単独で行かせることを不安視した両親が、牧師を同行させた。監視役ですね」

松葉杖をつきながら、牧師を伴い、友人宅を回った。

「表向きは脱会しても、隠れキリシタンのように信仰を続けようと思っていた。でも、監視役の手前、友人たちにはそうも言えず……」

友人のなかには牧師が見せた資料を目にして、ショックを受ける者もいた。彼らは竹迫さんの偽りの説得に、次々と折れていった。

「そのうちの1人がビデオセンターに電話してしまった。『竹迫が牧師を連れ説得に来たのでやめます』と。すると、旧統一教会では『竹迫が裏切った』という話になって」

本心ではやめるつもりはないのに、家には脅迫まがいの電話が。そこで竹迫さんは、釈明に向かう。

「でも、旧統一教会の建物の手前で、信者たちに取り囲まれ、杖を取り上げられ、路地裏に引っ張り込まれて。『スパイは帰れ!』って腹を3回、蹴られました」

自身が暴力の標的になって初めて、竹迫さんは、なぜ社会が彼らを危険視するのかを「身をもって知った」のだった。信者となって1年8カ月がたった’86年、竹迫さんは19歳で脱会に至った。

■相談に来た家族や、脱会を促されている信者の前で、自分の体験を話すように

「本音を言えば、戻りたくても怖くて戻れない、宙ぶらりんな状態でした」

大学はすでに中退。鬱々と日々を過ごしていると、くだんの牧師に声をかけられた。

「忙しくてかなわない、手伝ってくれないか」

彼のもとには、旧統一教会に子どもが入信してしまった親たちが、多数、相談に来ていた。

「それで私も、彼がいる所沢の教会に連日出向いて。相談に来た家族や、脱会を促されている信者の前で、自分の体験を、ありのままに話すようになりました」

実体験を交えた話を聞いて、脱会を決意する信者が続いた。

そこで、改めて竹迫さんは聖書を読んでみようと考えた。多くの人が「旧統一教会は間違っている」と言う。ならば、聖書をきちんと読めば、彼らの言っている意味がわかると思ったのだ。しかし。

「旧統一教会風の読み方しか教わっていないので、自力で聖書に向き合っても、『旧統一教会は正しい』としか、読めないんですよ」

「聖書に関しては『正しい読み方を教えてほしい』と牧師に頼み込みました。3カ月ほど教会に通ううちに彼から『聖書のことを正しく教えてくれる学校がある』と教わったんです。それが東北学院大学のキリスト教学科でした」

竹迫さんは21歳のとき、同学の門をたたく。

「半年も学ばないうちにわかりました。旧統一教会が、いかに歪んだ聖書の読み方を教えていたのかが。彼らにはまず目的があり、そのためにキリスト教を悪用していたにすぎない、そう思いましたね」

大学を卒業して、竹迫さんは牧師になった。

一方、青森時代から、竹迫さんは教壇に立つ機会を持つようにも。

「青森ではキリスト教系の高校で聖書の授業を担当し、白河に移ってからは仙台の東北学院大と宮城学院女子大、2つの大学で非常勤講師として、講義をしています」

若い学生たちと関わりを持つなかで、竹迫さんの目に留まったのが「宗教2世」という存在だった。

「東日本大震災の少し前です。講義で『カルトには気をつけましょう』と話しながら文鮮明夫妻の写真を見せたことがあるんです。『有名なカルト教団の教祖ですよ』と。すると講義後、1人の女子学生が『同じ写真が実家にもあるんです』と打ち明けてきた。それが2世に会った、初めての経験でしたね」

■合同結婚式に参加するため就職を断念させられていた高校生におじいさんが助け船を

やはり、震災の少し前のこと。ある2世の相談に乗っていた。

「両親とも旧統一教会信者という、祝福2世の女子高生でした。美容師になるのが夢で卒業後は就職したいと話していたんですが、両親、とくに父親が熱烈な信者で。『合同結婚式までは、花嫁修業をしろ』と、就職活動を妨害されていた。そんな、何事にも横暴な父親への強い嫌悪感から、彼女は旧統一教会寄りの偏った感覚は持ち合わせていなかったのが、幸いしました」

竹迫さんは、卒業と同時に彼女を家出させる計画を練った。

「一歩間違うと誘拐罪になる可能性もありましたが、そこは私も覚悟を決めて。ご案内したようなシェルターにかくまうことを考えていた。すると、彼女のおじいさんが助け船を出してくれたんです。彼女は祖父母の家に一時的に身を寄せることができました」

その後、両親には所在を伏せたまま、彼女は東京に出て一人暮らしを始める。

「上京後も何度か会いました。生活は苦しそうでしたが、晴れやかな顔をしていましたよ。お金の苦労にしても、旧統一教会の中にいてはなかなか身につかない、一般的な経済感覚を学ぶいい機会だったのではないでしょうか」

一昨年、竹迫さんのもとに、数年ぶりに彼女から連絡があった。

「なんでも、バイト先で出会った男性と結婚し、お子さんも生まれ家庭を築いたと。美容師の夢はかないませんでしたけれど、彼女は一般の人にはごく普通の、しかし、2世にとっては夢のような幸せを、手に入れることができたんです」

■脱会を促すことは、2世自体の存在を否定することにもなりかねない。

竹迫さんは「2世には、とくに繊細な対応が必要」と語る。

「2世自身も信者だった場合、軽々に脱会を促すことは避けます。2世も大きく分けて2種類あって。山上容疑者のように、自分が生まれたのちに親が入信した『信仰2世』と、もう1つは、合同結婚式で結ばれたカップルから生まれる『祝福2世』です。とくに、祝福2世の場合、脱会を促すことは団体を否定することを意味し、それは、2世自身の存在を否定することになりかねないからです」

竹迫さんは「祝福2世の脱会は、言葉も習慣もわからない海外の街に放り出されるようなもの」とも。

「自らが入信した、いわば1世は、脱会後は元々の自分に戻ればいい。でも、祝福2世には戻る自己がないんです。だから、祝福2世が絡む脱会支援の相談を受けたときは、祖父母にあたる人に必ず伝えます。『いままで以上にその家に介入し、お孫さんと良好な関係を築いてください』と。いざというとき、おじいちゃん、おばあちゃんに外の社会での受け皿に、2世たちの逃げ場所になってほしいからです」

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