先日、「ものまね番組卒業」を発表したコロッケ(62)。その直後の様子は『女性自身』誌面で紹介しましたが、インタビューのボリュームはとても誌面ではお伝えしきれいほど。

デビュー当時の本誌秘蔵写真を前に、「細っ!」「懐かしい~」と盛り上がったインタビューの全文を改めてお届けします。

ーー本当に卒業するんですか?

『ものまねグランプリ』を卒業、ってことですね。若手に1枠っていうのも、理由の一つ。本当は僕も1回戦から戦うのがいいと思っていた。野球とかでは新人とベテランが戦うじゃないですか。でも、「1回戦から重鎮が出ると審査員が審査しづらい」という意見も正直ありました。

僕はそんなこと関係ないって思ったんですけど。

それと、やっぱりものまねをここまでやってきて、何か1つ区切りをつける時期が来ているかな。体は全然動くのですが、変な言い方をすれば、惜しまれているときに卒業したほうがいいと思った。くたびれて卒業だと、誰も話題にしてくれないし、辛いだけじゃないですか。それは嫌だなと思って。

それに、自分の中で後輩を育てていきたいという気持ちもあるので、来年あたりから、エンターテインメントアカデミーみたいな学校も作りたいと思っています。

全国的に新人を発掘し、モノマネだけではなく、お芝居やダンスとかいろいろと講師がついて学べるような。僕は特別講師で校長先生。ものまねかどうかは関係なく、高齢の方でも大丈夫。人に喜んでもらいたいという気持ちがあればすべてOK。来年の春ぐらいにスタートできたらと思っています。

ーーもう、テレビでものまねが見られない?

ゲストで番組に出たときにすることはあると思いますけど、あれだけ大きなものまね番組で見られるということは、もうないんです。

笑って喜んでいただいているネタをすることは、来年の明治座や新歌舞伎、コンサートなどのライブでしか、ってなりますね。TikTokで一般の人のものまねをしたり、Vチューバ―コロッケというのも始めようと思っていて。配信用の番組も考えていて、若手育成ができて、ものまねできない人もピアノとかギターとかマジックとか、何か1つ特技を持っている人が出るような番組を配信できればなと動いています。今までやっているYouTubeとは違って、僕は司会で、番組としてVチューバーの子たちを育てていくような。本当は週1くらいでやりたいですけど、舞台の稽古とかがあってなかなか。逆にやることがいっぱいあるんですよ。

ーーテレビでものまねをしないのはなぜ?

テレビも場所の1つ、という考え方。今はSNSという場所があり、生のライブという場所もある。やっぱり五木ロボットを見るならライブがいい、とか自分のそういう感覚を大事にしていいのかなと。生の舞台じゃないと迫力が出ないですし、テレビだとカットされてしまうので、思いっきりできないじゃないですか。この間ライブをやったときも、いつもよりお客さんが盛り上がりました。「もう見られないかも」という気持ちで来ていただいているので。

それに、自分がまだ元気なうちにそれをやらないと、後輩たちがこれから2年、3年経ったときに、路頭に迷うような気がして。ものまね芸人って、ちょっといい感じになってもそのあとがないんです、正直。でも、僕はその道を作りたくて。お芝居をやったり、コンサートをしたり、ディナーショーも。今、ものまね落語というものもやっているので、「テレビ以外にも道はいくつもあるよ」ということも見せたいな、っていう。

ーーデビューから42年、苦労したことは?

苦労したというか、僕は一生逃亡者であっていいと思っています。

ご本人と会わない努力をする。後輩にも言っています。結局、人の上げ足を取ってものまねしているのだから、。それも、みなさんが大事にしている曲をことごとくぐちゃぐちゃに。最近は正統派が多いじゃないですか。正統派が悪いわけではないけど、お客さんが見に来てくれたとしても、1~2回来たらもう来ない。僕はそれが一番怖いなと思っていて。だから、コロッケの動きは毎回動きが違います。コンサートでもライブでも、テレビでもそうです。ライブのやり方でも、自分なりに「こういうほうがいいんじゃないの?」という話を、みんなとしたいと思っています。今度、松浦航大くんと会うのですが、すごく悩んでいるんですよ。「歌も届けたいし、どうしていいかわからない」と。そういう相談にものっていきたい。

ご本人に甘えてものまねをこれだけ長くやらせていただいているので、僕はもう感謝しかない。あと、自分としては、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)をやめて、『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)のほうへ行ったことが一番の転機だと思います。すごく細かいことですが、自分の好きなことができない、時間が短い。五木ロボットは『ものまね王座決定戦』に残っていたらできなかったんですよ。その分の時間が欲しいから、日テレに移って。かといって僕だけが特別な時間をとるわけにいかない。そういうことを含めていろいろあって、コロッケがエンターテインメントという方向に動き出したのがちょうど『ものまねバトル』『ものまねグランプリ』。ダンスを取り入れたりしたのも、ビデオものまねもそう。だから、あそこで大きく動いたのかなって。移っていなかったら、僕自身がグダグダになっていた気がします。みんなは「どうしたの?」ってことになったけれど、「自分でやりたいことあるんで」と。ちょっとわがままですけどね。

一時、ものまね番組に出なかったんですよ。申し訳ない気持ちもあるし、お世話になったし、「じゃあ、ものまね番組はもう出ないでくれ」という話もあったし。「わかりました、じゃあ2年出ません」と言ったものの、長かったですね。2年というと、たぶんみなさんは「コロッケはいなくなった」となる。でも、また出るときにはネタをやらなきゃいけないから、その間にネタをバーっと作った。淡谷のり子先生が歌う『Beat it』(マイケル・ジャクソン)はかなり凝って作ったんだけど、凝り過ぎてよくわかってもらえなかった。でも、そうやって試行錯誤しつつ、『ものまね王座決定戦』でやったネタを日テレでもやるのであれば、全部形を変えると決めた。2年間いなかったこともあり、「終わった」とか散々言われましたからね。コロッケっていうものをちょっと見せつけないと。それが僕自身を後押ししてくれた部分でもあります。

ーー空白の2年間は何をしていた?

最終的には僕自身がどうするかという話なので、ある意味ちょっと一人ぼっちになったんですよ。だから、とにかく一人で籠るというか、家で映画を一日最低6本くらいずっと観ていた。他にも落語や能、歌舞伎とかいろいろ。すべてを観たうえで、今の僕のものまねには、みなさんは気づかないかもしれませんが、そういう和の動きを取り入れています。間、とか。そのときに勉強したことが、身になっている。

応援していただいている人たちから「コロッケは今度何をやるんだろう」という期待感が、2年くらいの間はまだありました。手紙が事務所に来て、「どうするんですか」「もうやらないんですか」って。営業はやっていたので、声をかけられることも増え、これは普通に「じゃあ、やります」ではダメだな、『ものまね王座決定戦』と同じことをやっても受け入れてもらえないなと思うように。

で、そこからエンタメ。「ものまねではエンタメできない」と考えだしたんですね。ちょうど、そのころから舞台とかをやらせてもらったりしました。

ーーその間、支えになったのは?

支えはファンの方。普通に街で声をかけてもらったりしました。印象に残っているのは、ある若い男の子が「おばあちゃんとの思い出がコロッケさんなんですよ」と言ってくれたこと。それを言われたら僕も「うえー」って思って、何々それ、と道端で話したんです。おばあちゃんはもう亡くなったそうなのですが、「小さい頃、コンサートに連れて行ってくれて」とか「テレビを見てるときもコロッケさんが出るときだけおばあちゃんが笑ってて」とか。そういう話を聞いたら、あれ、おれこのままじゃダメじゃんって思うじゃないですか。あと、事件になりかねないくらい喧嘩していた夫婦が、ちょうどテレビがに映った松山千春さんのものまね、ちょうど頭をパカパカやっているのを見たら、ちょっとクスッと笑ったらしいんです。その瞬間にお互いに笑って、ケンカするのをやめた。そういう話を聞くと、あれ、俺、役に立てているのかな、って。声をかけてもらったりすると、意外と街中で話し込んだりしていたので。多いんですよ、何か一生懸命喋ってくる人。でも、それうれしいです。そういう言葉に後押しされて、やるんだったら、新しいコロッケを見せないといけないかな、と。

ーー“ものまねグランプリ卒業”の反響は?

ありがたいことにTwitterでもあんなにね。バズってくれると思わなかったので、それだけまだ注目されているってことが大事。これから先、また新生コロッケを出していかなきゃいけない。

五木さんがラストに来ていただいたのはありがたかったですね。以前、五木さんといろんな話をさせていただいていて。お客様に喜んでいただくために何をすればいいのか、ということをずっと考えてきた方なんですよ。例えば、できない楽器はないというほどさまざまな楽器が演奏できる。五木さんでさえ陰でたくさんの努力をされているのに自分はまだまだだと思いました。あの時は卒業だけど、泣かないようにしていたんです。でも、五木さんが花束を持って来てくださったので、涙があふれてしまいました。「僕は五木さんの背中をこれからもみさせていただきながら、頑張ります」とコメントしました。

ご本人よりも先に僕のものまねから入る、という人もいますよね。野口五郎さんも、僕から入った人が実際のご本人を見たら、「野口五郎さん、ちゃんとしているじゃん」って。当たり前、そりゃそう。岩崎宏美さんだって、あんなに走って歌わない(笑)。僕の場合、3割似ていて7割別の生き物。美川さんも僕のモノマネから入った人が多いんですが、美川さんが僕と一緒にものまね番組に出てくださったおかげで、とても盛り上がりました。お互い仕事が増えて本当にありがたいことでした。衣装やアクセサリーもたくさんいただいていますけど、改まって「番組卒業します」と電話をするのも変じゃないですか。ジョイントコンサートで美川さんと会ったときに、「あら、いろいろ大変だけど頑張るのよ」と、そういう感じ。吉幾三さんは電話で「おまえ、モノマネやめるのか」と聞かれたので「いえいえ、ものまねじゃなくて番組を」と答えると「あ、そっかそっか」と安心されて。吉さんはものまね全部をやめると思ったらしくて。でも、視聴者の方々がコロッケロスみたいな感じになってくれたのはありがたかったです。それぐらいみなさんに「えー」と思っていただいていることがうれしい。これで全然話題にならなくて、誰も気にとめなかったら寂しいじゃないですか。

ーー“これから”のコロッケは?

新たなステージでは、五木ロボットのロボットの数を増やそうと思っていますし、美川さん、谷村さんも新しいロボットを作ろうと思っています。

TikTokで普通の人のものまねをやっていますが、よくやってウケるのは眼鏡をズラす人。ちょっとずれている人って注意もできないし、上司だから言えないし、でも笑ってしまうし、どうしようってなる。そういう一般の人たちのネタもこれから増やしていこうと思っています。返事を2回する人とか、そういうものをできれば。

新しいものまねだと、韓国の人たちの真似も今、結構、ウケるんですよ。BTSの『ダイナマイト』を「サムゲタン」って歌っています。「キムチ、カクテキ、入れるとおいしい~、はっはっはっはっ、サムゲタン、サムゲタン♪」って語呂合わせがちょうどいい。テレビでやっていませんが、“BTSの誰かだけど誰かじゃない”というネタも。喋り方とか、そういわれればそうだよね、っていう。韓国の人の喋り方、たぶん僕が一番うまいと思うんですよ。ジェジュンも実際に会うとうまく日本語を喋るのですが、まだ日本に慣れる前の喋り方で。アーティスト系は声が高め、俳優さんは低め。イビョンホンだと「イングルジュセヨ~、ケンチャナヨ~」って喋るんです。アーティスト系で「は、ぼくたちは~、ニッポンで~。タイスキです~」、これ系が一番ウケます。BTSをやったときは、イントロで僕が出てきただけで「誰だよ~」って。韓流ドラマの脇の脇で出ている太った人にしか見えない(笑)。この間もCRAVITYとかIVEとかと一緒にライブしたんですが、横で聞いてるだけで喋り方がかわいい。「コロッケさん⤴」ってどっか行っちゃうんですよね。一緒に写真撮ってくださいと言われたときは「たいちょうぶ」って(笑)。だから今、韓流スターの『日本の昔話』を披露すると、みなさんちゃんと聞いてくれる。武田鉄矢さんでやるより、ちゃんと聞くんです。武田さんが話しても「ああ」って終わるけれど、韓流スターが「あ、むかし~、むかし~。ありところに」って言っただけで、「どこどこどこ?」って。そういうネタも考えています。

ーーファンの方にメッセージを

コロッケって名前が書いてあったら、食べ物以外は全部僕。見かけたらぜひ、見に来てください。絶対200パーセント喜んでいただけるネタをやりますので。先日、40周年でやったコンサートではアンコールを60曲もやりました。

約100人近くのものまね。アンコール曲は懐かしい方から最近の方まで。バーッと。ライブや生で見てもらったほうが楽しいし、テレビでやらないネタもたくさん。ものまねは体が動く限り、ロボットも含めて全部新しいネタを作っていきます。みなさんに喜んでいただけるなら。

コロッケのお店も今年で40店舗、目標300! 大きく言ってみました。コロッケという名前は嫌だったんです。夜、働いていたお店でコロッケと言われていて、「芸名ってありますか?」と聞かれたときに「一応、お店ではコロッケって呼ばれています」と言ったら、そのまんまになっちゃった。後付けですけど、みなさん1カ月に1回は食べる、必ず食卓にはある、そんなタレントになりたいなという思いも今はあります。一時、ちょっと前ですが若い子たちが僕の画像で遊んでいましたね。「コロッケ」と検索して画像を押すんですよ、それを一枚ずつあけていって僕が出たら負け。コロッケで検索すると大体食べ物のコロッケが出てくるけど、たまに僕が出てくるので。いろいろなこと考えますよね。

これからもみなさんに喜んでいただけるような新しいネタを作って頑張ります!