「とんねるず」のひとりとして東のお笑いの頂点に君臨してきた木梨憲武もいいけれど、画家、アーティスト、俳優など出色のソロ活動はもっといい。

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 笑いも涙もすべてひっくるめて、木梨は格別の表現にまで高める。
毎週月曜日よる10時から放送されている『春になったら』(関西テレビ)は、特に評価されるべき名演だ。

「イケメンとドラマ」をこよなく愛するコラムニスト・加賀谷健が、余命宣告を受けた初老男だけでなく、“片思い10年男”まで演じてしまう本作の木梨憲武を読み解く。

木梨憲武にしか表現できない

 元日早々、余命3ヶ月だと告げる父・椎名雅彦(木梨憲武)。

 いつもの冗談だと思ってまったく取り合わない娘・椎名瞳(奈緒)は、10歳も年上の売れない芸人・川上一馬(濱田岳)と結婚することを逆報告する。

 冗談っぽく見せながらもほんとは動揺しているはずの雅彦、決死の告白は、うやむやにかき消されてしまう。

『春になったら』第1話で描かれる冒頭場面を見て、父と娘の間に流れるこの哀しみと可笑しみは、木梨憲武にしか表現できないなと思った。

 哀しみを笑いに変え、笑いを哀しみに変える。
あるいは、その場に応じて意味をズラしていく。反対の感情が木梨によって矛盾なく、画面内を満たす。

 タレント活動だけでなく、木梨の軽妙な瞬発力がお芝居にも豊かに応用されている。

あからさまに病的よりあきらかに元気

木梨憲武が一瞬の演技で見せた“芸人の意地”。余命モノをお涙ちょうだいにしない絶妙さ
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 木梨は、佐藤健との共演映画『いぬやしき』(2018年)でも、余命宣告されたサラリーマンを演じていた。

 ただ、いつでも溌剌な雅彦とは違い、同作の犬屋敷壱郎は終始どんよりしている。家族には取り合ってもらえないどころか、ほとんど無視されている。

 せっかく購入したマイホームだったのに、あまり喜んでもらえず、奮発したシャンパンとキャビアをひとり孤独に食べるしかない。
家族のために賢明に働いてきた中年男性の底しれない哀しみがにじんだ。

 同作の中年役を踏まえると、『春になったら』で初老を演じる木梨の演技がより鮮やかでリアルに感じてくる。

 あからさまに病的な中年より、あきらかに元気な初老のほうが演じるのはきっと難しいはずなのにだ。

“片思い10年男”

 それでも難しさを全然感じさせない。木梨憲武、61歳。実年齢とピタリと一致したこの初老役を難なく演じこなしてしまえる底力はいったい、どこから。

 バラエティ番組で見る姿と変わらないというのに、俳優になるとちゃんと役として存在している。


 日本の芸能界を代表する大御所お笑いタレントとしての意地がのぞく。余命いくばくかの初老男性を単に演じるだけが芸じゃない。

 俳優としても唯一無二。ならばもうひとつ。“片思い10年男”だって見事に演じちゃえる余裕がある。

 第2話では、そんな木梨にしかやっぱり演じられないなと誰もが納得する場面があった。
それは雅彦が作成した死ぬまでにやりたいことリストのひとつ、瞳との伊豆旅行でのひと幕だ。

木梨の発声に涙

 伊豆の海は特別に美しい。海とはどんな場所にも固有の特別さがあるものだが、海水浴の定番、神奈川県、湘南一帯や千葉の開放的な海に比べ、伊豆の海はややこじんまりとしながらもちょうどいい空間が魅力。

 下田の海が画面いっぱいに広がる。下手からまず先に木梨がフレーム・イン。奈緒が続くが、この瞬間しかないという絶妙なタイミング。次のカットでは、雅彦と瞳が海岸を歩く姿が延々捉えられる。


 足並みが揃っているようで揃っていない感じもいい。ここは雅彦にとっての思い出の場所。先立たれた妻との馴れ初めを語りだす。

 出会いは海の家。大学の先輩と後輩。連絡先は交換したが、友達以上にはなれず、切ない月日が流れた。


 結婚したのは付き合ってすぐ。雅彦が31歳、妻が29歳。10年の片思いを経て結んだ結婚だった。当時を思い起こす雅彦が、自嘲まじりに「たっ、(トゥフフ)」と発する。

 力強くも優しげなこの木梨の発声に筆者は涙した。

エモくて慎ましやか

 それはなぜか。この「たっ、(トゥフフ)」には自嘲とともに、結婚が叶ったときのほんとうに嬉しかった雅彦の感情が一点透視的に込められている。

 ここまで結構な長さで昔話を語ったのだし、一番感極まるところは短い発声くらいでいい。

 感極まる感情をあえて抑制した。その結果、思わず吹きだしたてしまった弾みの音と考えることもできる。

 いずれにしろ、これだけエモーショナルなはずのキャラクターをエモくて慎ましやかに抑えられる木梨の名演には敬服する。

 黒澤明監督による世界的名作映画『生きる』(1952年)は別格として、ここ10年くらいの日本映画やテレビドラマは、やたらと余命物ドラマが多い。

 俳優たちは泣くところはただ泣くだけ。通り一遍で、お涙ちょうだいの演じ方ばかり。

 でも木梨はそうしない。真の感動とは、エモーションを最低限にうまく抑制した先にだけ生まれるものだとわかっているから。

 だからぼくらは、『春になったら』の木梨憲武を見て、ありがたい涙を流しながらエモくなることができるのだ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu