紀元前から20世紀まで、人々の命を救い伝説となった7匹の犬たち

伝説となった7匹の犬 / Pixabay
 歴史は、今日の世界を作り上げた人間の輝かしい話でいっぱいだ。だがその裏に人と共に働き、共に生き、命を懸けて戦った犬がいた。


 ここでは古代ギリシャ時代から現代にいたるまで、輝かしい伝説が残されている7匹の犬たちの物語を見ていくことにしよう。

【1.古代ギリシャの市民たちを救ったソーター】

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 紀元前456年、古代ギリシャ、コリントスの町は、敵が攻めてきたら知らせるよう訓練された50頭の犬たちに守られていた。

 町の攻撃を画策していたペルシャ軍は、こっそり町に忍び込んで、50頭のうち49頭の犬を殺してしまった。町は絶体絶命になった。

 だが、1頭だけ残ったソーターという勇敢な犬が、なんとかペルシャ軍の手を逃れ、コリントス市民に危機を知らせた。そのおかげで、コリントスはいち早く蜂起し、ペルシャ軍から町を守ることができたという。


 市民はソーターに感謝し、"コリントスの擁護者であり救世主のソーター"と刻印した銀の首輪を与え、死後にソーターと49頭の勇敢な犬たちを称えた像を建てた。

【2. スコットランドの王族を救ったドナハ(スコットランド)】

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飼い主のロバート・ブルース(のちのロバート一世)を救った犬ドナハ

 長い歴史の中、ふたつの別々の国の歴史を変えた犬はいないといっていい。ドナハはスコットランド王位を請求できる血筋を引くロバート・ブルースが飼っていた忠実なブラッドハウンド。その行動はまさに忠義の犬そのものだった。

 1306年、イングランドがロバートの妻と飼い犬ドナハを捕えた。そして、ドナハを利用して、ロバートを追い詰め、隠れ家を探し出して捕えようと考えた。


 主人のところへ向かうことを想定してドナハは解放されたが、逆に羽向かって攻撃してきたため、イングランド側は泡を食って退却した。

 ドナハのこの行動のおかげで、ロバートは生き延び、ついにスコットランド王ロバート一世となった。

 4世紀のち、ロバート一世の子孫であるジョージ三世は、アメリカの植民地とのイギリスの貿易法を積極的に推し進めた。

 アメリカ植民地とイギリスの間に起こった争いは、のちのアメリカ独立へとつながった。ロバート一世がドナハに救われなかったら、ジョージ三世は生まれず、今日のアメリカはなかったかもしれない。

【3. 多くの遭難者を救った救助犬、バリー(スイス)】

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1800年代活躍した有名な救助犬バリーの像。
ベルンの国立歴史博物館所蔵

 スイスの山岳地帯で活躍した、心優しいこの大型救助犬の伝説は数多くある。セントバーナードのバリーは、スイスとイタリアの間にある標高2400メートルのグレート・セント・バーナード峠で、多くの遭難者を救った。

 1800年から1812年の間、バリーは40人もの遭難者を救い、一躍有名になった。雪に埋まった遭難者を見つけ出し、助け出して温めたり、近くの修道院に走り、遭難者の存在を知らせたりしたという。

 バリーは引退するとベルンに移送され、余生を穏やかに過ごして14歳で死んだ。バリーの伝説は現在でも生き続けていて、ベルンの国立歴史博物館でそのめざましい活躍の詳細を知ることができる。


【4. ノルウェーの王となったサルー(ノルウェー)】

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11世紀、トロンハイムで王になった犬、サルー

 サルーは真の意味で犬の王だった。11世紀、ノルウェー、トロンハイムの町を占領したアイスタン王は、息子オヌンドにその統治を任せた。

 だが、息子は暗殺され、激怒した王は町の人々に、新しい王を彼の奴隷であるトラーファックスか、彼の犬であるサルーのどちらかから選ばせた。

 すると、トロンハイムの市民たちは犬を選んだ。自分たちの国が戻り、自由に自分たちで統治できると信じたからだ。

 伝説では、この特別な有名犬は、3人分の知性と知恵を備え、人間の言語を話すことができたという。


 サルーはその後3年間、国を治め、その間、王として扱われた。食事も最高のものだけを与えられ、宝石をちりばめたゴールドと銀の首輪をしていたという。

 サルーは犬の王として丁重に扱われ、王室の家畜の番人でもあった。3年の統治の後、サルーはオオカミの群れから家畜を守って死んだ。

【5. アレクサンダー大王を守ったペリタス(ギリシャ)】

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アレクサンダー大王の愛犬だったペリタス

 アレクサンダー大王(紀元前356~323年)は、巨大な帝国を築いたもっとも偉大な王のひとりとして知られている。だが、彼がペリタスというお気に入りの犬をいつも連れていたことはあまり知られていないかもしれない。


 ペリタスは、敵から大王を守るために果敢に戦ったことで知られる。負傷した大王を救うため、味方の援軍が到着するまで、時間稼ぎをして戦い、敵を寄せつけなかったという。

 負傷したせいでペリタスは死んだが、大王が愛犬の名にちなんでつけたインドのペリタスという町では、その名は現在でも生きている。町の入り口に、忠実で勇猛なペリタスの像を見ることができる。

【6. 子供を守るため毒蛇と戦ったギネフォール(フランス)】

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13世紀に聖人になったグレイハウンドの聖ギネフォール

 3世紀、ある貴族が忠実なグレイハウンド、ギネフォールをつけて、赤ん坊を子ども部屋に残して出かけた。帰宅すると、子ども部屋はめちゃくちゃで、赤ん坊のベッドはひっくり返り、犬の顔が血まみれだった。

 貴族は、犬が子どもを殺したと激怒して、犬を殺してしまった。ところが、子供は無傷であることが判明し、ギネフォールが子どもを守るために勇敢に毒ヘビと戦って退治したことがわかった。

 自責の念にかられた貴族は、犬を井戸の中に埋葬し、そこに聖堂を建てた。

 ギネフォールの勇敢な行為は周囲に知れ渡り、埋葬場所に毎日人が訪れるようになった。人々は、犬に自分たちの病気の子どもを守り助けてくれるように祈るようになり、ギネフォールは世界で唯一、子供を守る聖人と認定された犬となった。

【7. 血清を運び町を救ったバルト】

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ジフテリアの血清を運び、アラスカ、ノームの町を救った犬バルト

 1925年、アラスカ州ノームの町をジフテリアが襲った。血清を届けないと町じゅうに感染が広がり全滅してしまう。だが、折しも視界がきかないほどの猛烈な吹雪、マイナス65度の気温に町への道は寸断され、事実上孤立状態になっていた。

 唯一の頼みの綱は、犬ぞりだけ。血清を町へ届けるための大レースが始まった。

 20人のマッシャーが、150頭の犬を動員して犬ぞりをリレーしながら、ノームを目指した。バルトは、最後のチームのリーダー犬だった。

 当時、バルトは3歳だったが、暴風、氷、深い雪にもめげずに果敢に走り、1000キロ以上の道のりをおよそ5日で大切な血清を町に届けることができた。

 その後、バルトは老衰で死んだが、この話は現在でも語り継がれていて、毎年3月には世界中の犬ぞりチームがアラスカ州イディタロッドに集結して、血清が運ばれたルートを駆け抜けるレースが行われている。

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References:Famous Dogs in History, from Ancient Greece until Today | Ancient Origins/ written by konohazuku / edited by parumo

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