ボーダー柄の服をトレードマークに、ユルくマジメに音楽と向き合うコンビ――。“ボーダーズ”こと北川勝利と藤村鼓乃美が贈る「ボーダーズの“音の場”」。


今回訪れたのは、江戸時代は本所と呼ばれ、七不思議、浮世絵、相撲、「忠臣蔵」と江戸文化のコアオブコアを担った両国駅周辺。おふたりはこの地でどんな風景を見るのでしょう?

PHOTOGRAPHY BY 山本マオ INTERVIEW & TREXT BY 田中尚道

――今日は小林一茶からです。

北川勝利 そうだっけ?

――橋の袂にあったやつです。

藤村鼓乃美 板ですよね。

――そうですね。説明板のあったところです。


北川 生まれたところ?

――小林一茶は長野の人で、生まれは長野なんですが、お母さんが亡くなって、後添えに来た継母と非常に仲が悪く、それを案じたお父さんに江戸の奉公に出されます。その後俳句で大成してあそこに住んでいました。「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」とか「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」とかが有名ですね。

藤村 歌詞で「そこのけそこのけ」って使った気がします。一茶リスペクト。

北川 初めて聞いた。


藤村 この時代の俳人ってどうやって生活してたんですか?

――一茶は当初は諸国に旅に出て、その先で客人として遇されるという生活を送っていました。江戸にもどってきてからは、俳句を評価することでもらえる点料というものがあるのですが、それで生活していたようです。そこから勝海舟生誕の地を見ました。

北川 椅子があってそこに座りながら、前回からのフジムラップで「カツカイシュウ」って。リズムだけで、韻を踏んでいるわけではないですが。

――幕末明治維新は結構人名でいけるんじゃないですか。
山岡鉄舟とかもいますし。


藤村 シーズンの最後にまとめて一曲にしましょうか。幕末明治維新ラップ。

北川 前回はなんでしたっけ?

藤村 ムツムネミツ! 「ポケモン言えるかな?」みたいになりますね。勝海舟のところには、坂本龍馬の写真もありましたけど、あれは?

――軍艦奉行だった勝海舟のところに弟子入りしたのが坂本龍馬です。その後、坂本龍馬は犬猿の仲だった薩摩と長州を同盟させたと言われていて、そこから勝海舟と西郷隆盛が会談を行って江戸城を無血開城させます。
season2の「田町編」で、会談の地に行きました。


藤村 次に行ったのが小学校で、給食のいい匂いがしてました。

――芥川龍之介が通っていた両国小学校です。行く先々で食べ物の話をしてますね。

藤村 お昼前スタートだから、ちょうどお腹が空いているんです。

北川 芥川はあそこの小学校に通っていた。
碑には「杜子春」の一節がありましたけど。

――芥川が通っていたころは尋常小学校でした。「杜子春」が書かれているのは、児童文学繋がりと言うことだそうです。

北川 今回周っているなかで、結果的に同じ人の足跡的なものを追ってるわけだけど、藤村はいつ追いつくの。

――芥川は「築地市場~勝どき編」で、生誕の地を見てますよ。

北川 そうそう。


藤村 もう小学生か……。成長してる! 龍ちゃん大きくなったね(笑)。

北川 親戚か! そこから……。

――吉良邸の表門ですね。

藤村 メゾン・ド・キラ!

――え、そんな名前でした?

北川 いや、裏門のところにマンションが建っていて、ここの名前が「メゾン・ド・キラ」だったらヤバいよねと話していたんです。近くに「セールスお断り」の札があって、あれも「討ち入りお断り」って書いててほしいと。吉良邸の図面もありましたが、襖に襖に襖にという作りで。時代劇で襖開きながら入ってくるのとか本当なんだって。昔の屋敷ってみんなあんな作りだったんですかね。

――そうですね。廊下になる縁側を外側に配して、内側は襖で仕切る形です。一応、吉良邸の表門を見たあと、その斜め向かいにある本因坊の屋敷跡も見ました。

北川 あのあたりは見ごたえありましたね。

藤村 見に来ている人たくさんいた。

ーーちょうど、映画「身代わり忠臣蔵」をやってますから、ちょっとホットかもしれない。

藤村 私も観に行きました! ご年配の方が多かった。

北川 ご年配の方と外国の人だったな。そこから猫とか犬とかのお墓があるところに行った。

――回向院ですね。

藤村 力塚と鼠小僧のお墓もありました。みんなで鼠小僧のお墓、カリカリ削りましたね。

――吉良邸表門、裏門、その隣の江東義塾という夏目漱石が講師をしていた私塾の跡、米屋に身をやつして吉良邸を探っていた前原伊助宅跡を見ての回向院ですね。

北川 膃肭臍(オットセイ)の墓もありましたが。

――あのあたりに見世物小屋があって、人気モノだったオットセイがいたそうです。そのお墓ですね。回向院は明暦の大火で亡くなった人たちの菩提を弔うために四代将軍家綱の命で建立されました。宗派は元より、種族も問わないという江戸時代としては画期的な寺院です。だから生き物のお墓があります。僕は、両国橋があるから、その袂に回向院があると思っていたんですが、できた順的には逆で、回向院があるからあそこに両国橋がかけられたようです。回向院の隣、今はシティコアというビルになっていますが、そこが初代の両国国技館でした。

藤村 土俵の跡が駐輪場のところだ。

北川 知らなかったら気づかないよね。でも説明板にはすごいお金をかけて建てたって書いてあった。

――日本初のドーム型の天井を持った建物だったそうで、しかも、そう広くないのに1万3千人収容できたとか。

北川 オールスタンディングかな?

――最初の国技館は戦争で焼けてしまって、戦後に一応再建されたようですが、ほぼ相撲の興行が行われることもなく蔵前国技館が出来てそちらに移りました。ただ、蔵前国技館が戦後の物資不足の中、厚木の海軍倉庫の鉄骨を使用して作られたためすぐに傷んでしまい、再び両国に国技館を建てるとなったのですが、元の場所は手狭だったので、当時膨大な借金を抱えていた国鉄から両国駅にあった貨物船の跡地、当時は国鉄バスの敷地だったそうですが、これを取得して85年から使われているのが今の国技館です。だから北川さんや僕が子供の頃は蔵前に国技館があったわけです。

北川 藤村に年代のことが伝わらないのがもどかしい。全然興味なかったんだけど、朝ドラ観たり、大河観たりしているうちに、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が開戦して、昭和20年(1945年)に終戦するという流れがなんとなく線になったというか、これまで点だったものがつながったというか。70年に自分が生まれて、そのころはどうだったとか考えるようになって。

――現在から考えれば北川さんや僕は戦争に近いんですよ。

北川 本当にそう。

――今の人たちは終戦してから70年とか経ってますが、僕らが生まれたのは終戦後20~30年ですから。

北川 父親が昭和16年の生まれで、その30年後に僕が生まれている。

藤村 その話に「わかる!」って入れないですよね。これまでの歴史の話は、なんとなく勉強不足なのかなと思っていましたが、それはさすがに。

――それは仕方のないことです。関わり合いのなさでいえば、藤村さんにとって国技館移転と「忠臣蔵」は同じカテゴリーだと思います。

北川 今日出てきたいろんな名前、小林一茶に勝海舟に芥川龍之介も時代はバラバラで、僕も全部は分からないけど、ふわっとした年代を聞いて、歩いてみているうちになんとなく覚えていて、そこからテレビや映画観たりしているときに、この役者が演じているのがあの時聞いたあの人かとわかったときに俄然興味が涌く。

――ボーダーズのロケはかなり特殊で、普通は「忠臣蔵」ならそれだけで史跡を周るんですが、街歩きが先にあるので、時代といったことは考慮せずあらゆるものを見て周っています。そういう意味では非常に高い素養を求められると言いますか。

北川 松尾芭蕉なんて何度も出てくるのに。

藤村 バナナでしょ。苦手なんですよね。

北川 そのキーワードだけで乗り切ってる。

――それでいいと思いますよ(笑)。

北川 だって、最初なんて藤村「忠臣蔵」って聞いて、「どんな蔵ですか」って言ってたものね。そこから考えれば大分成長した。

――やった甲斐がありますよ。さて、回向院から隅田川に出ました。通り道に江戸時代から続く獣肉専門店のももんじ屋、かつての両国橋はもう少し下流にあったようですが、その袂の広小路跡、ここは赤穂浪士が休息した場所でもあります。河川敷では川に出られたようで、水垢離を取った場所でもあるようです。

北川 「ももんじ屋」ね!看板が印象的な!そして店の横にはイノシシがぶら下げられてた!!

藤村 あと七不思議。

――お駒さんという娘さんが言い寄られるんですが、なびかなかった。それにキレた相手に片手、片足を切り落とされて殺されて、あそこに投げ捨てられたことから生える葦が片葉になったという「片葉の葦」ですね。本所の七不思議は両国から蔵前の間に全部ありますので詳しくは次回お話します。両国橋の袂には赤穂浪士のひとり、大高源吾の句碑がありました。「日の恩や たちまち砕く 厚氷」と書いてあるんですが、大高源吾は子葉という俳号で知られた歌人です。芭蕉の門人であった宝井其角と交流があり、あるとき両国橋の袂ですでに武士を辞め笹竹売りとなった源吾と会った際に彼がこの句を詠んだとされています。七不思議に「椎木屋敷」という話があるのですが、これの舞台が平戸藩松浦家で、松浦候は其角の弟子でした。また、赤穂藩に仕官していた軍学者の山鹿素行とも交流があり、軍学の同門である大石内蔵助と俳句の同門である大高源吾が主君の仇を討たないことに腹を立てていました。ある時、松浦邸で句会があり、其角が逗留して松浦候に両国橋の袂で源吾と会った話をします。その夜に鳴り響く山鹿流の陣太鼓の音。山鹿流を修めるのは自分のほかに大石をおいてほかになく、赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったと確信し、あっぱれという歌舞伎があるのですが、フィクションです。

藤村 めちゃくちゃ真剣に聞いてたのに。

北川 フィクションかよ!

――両国橋の後、国技館の前にあった俵星玄蕃の道場跡も見ました。俵星玄蕃は宝蔵院流の槍の名手なんですが、いかんせん平和な元禄の世では腕の振るいようもなく貧乏道場主をしています。それに目を付けた上杉家の家老、千坂兵部に吉良上野介のボディーガードにならないかと誘われるのですが、心情的に赤穂浪士に同情する玄蕃はすぐに返事をしません。そうこうするうちに近所に当たりや十助という夜泣きそば屋が来るようになるのですが、これがそば屋とは思えぬ身のこなしに播州訛りがあるので、赤穂浪士が吉良の屋敷を探りに来ているに違いないと思う訳です。ある時、そば屋には不要の技と前置きして奥義である俵崩しを見せる玄蕃、実際十助は赤穂浪士のひとり、杉野十平次でした。ある夜ひとりで酒を飲んでいると聞こえてくる陣太鼓。あれはまさしく山鹿流と討ち入りを確信した玄蕃は槍を取って現場に駆け付け、大石に助太刀を申し出るのですが、丁重に断られます。ならばと討ち入りを邪魔するものは何人たりとも通さんと両国橋の袂に仁王立ちになるという講談があるのですが、これもフィクションです。

藤村 フィクションかよ!

北川 槍のポーズしちゃったよ。

――大高源吾の話に出てくる人物は全員実在するのですが、関係が嘘です。俵星玄蕃はそもそも実在しません。

藤村 実在しない人や、話の説明版があるなんて、七不思議+2で、九不思議じゃないですか!

<INFORMATION>

◆北川勝利
4月3日発売
坂本真綾 34th Single

「抱きしめて」

初回限定盤特典Blu-ray Discに収録される
坂本真綾LIVE TOUR 2023「記憶の図書館」@東京ガーデンシアター(2024.1.2開催)
バンマス&ギターで参加



4月10日発売
花澤香菜 NEW ALBUM『追憶と指先』
サウンドプロデュース担当

『追憶と指先』収録曲楽曲提供

「VENUS REVOLUTION」
作詞・作曲:真部脩一 編曲:tepe(Veill)・北川勝利
「インタリオ」
作詞:宮川弾 作曲・編曲:北川勝利

◆北川勝利・藤村鼓乃美
楽曲提供


4月10日発売
花澤香菜 NEW ALBUM『追憶と指先』収録


「ドラマチックじゃなくても」
作詞:藤村鼓乃美・北川勝利 作曲:北川勝利 編曲:北川勝利・Tansa・宮川弾

2月28日発売
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER

「パジャマジャマ & この恋の解を答えなさい」収録
依田芳乃(CV高田憂希)、辻野あかり(CV梅澤めぐ)、島村卯月(CV大橋彩香)、神谷奈緒(CV松井恵理子)、 佐久間まゆ(CV牧野由依

M1「パジャマジャマ」
作詞:北川勝利、藤村鼓乃美 作曲:北川勝利 編曲:北川勝利、acane_madder

詳細はこちら
https://columbia.jp/idolmaster/imasnews/240223.html

関連リンク
北川勝利 Twitter
https://twitter.com/roundkitagawa

ROUND TABLE オフィシャルサイト
http://www.round-table.jp/

藤村鼓乃美 Twitter
https://twitter.com/Necono3