昨晩、放送された『第66回NHK紅白歌合戦』の見どころは、やはり総合司会を務めた黒柳徹子だった。美空ひばり「人生一路」を歌う天童よしみの紹介では美空ひばりの偉大さを語り、また、トリを務めた近藤真彦と松田聖子の出番では彼らとの懐かしい思い出を語るなど、まさに黒柳にしかできない大御所ならではの司会ぶりであった。
ただ、何よりも黒柳徹子の面目躍如だったのが、美輪明宏「ヨイトマケの唄」を紹介する時に語った言葉だ。貧しい生活のなか家族のために命を削って働いたお母さんの姿を歌うこの曲の歌詞と、戦後70年という節目を鑑みて、黒柳はこんな話を始めたのである。
「戦争が終わってから日本人は本当によく働いたんですね。私は戦争が終わった時小学生だったんですけど、小学生でも、子どもでもみんな働きました。地ならしをするヨイトマケのお母さんたち、みんな働きました。日雇いでお仕事で。お父さんのため、子どものため、みんなのためにって、お母さんみんな働いて、いつか頑張っていれば幸せになれるって思って。私、よくそういう姿を見てたんです。ですから、「ヨイトマケの唄」を聴くと、あの頃を思い出して背筋がピンとするようなそういう感じがします」
食べるものも満足にないような貧しさに追いやられた戦後すぐの日本。そして、それを生んでしまった戦争。黒柳徹子は、安保法制が強行採決され着々と軍靴の足音が近づきつつある2015年の年の瀬に、そんな過去は繰り返してはならないと、改めて平和への祈りを語ったのであった。
今回、黒柳が司会に抜擢されたのも、「戦後70年、日本の放送90年」という大きな節目であることが理由だった。
実際、昨年に黒柳は「ダカーポ特別編集 戦後70年を考える。」(マガジンハウス)のインタビューで、平和への思いをこのように答えている。
「私は、政治的発言というものをしてきてはいませんが、いかに皆が平和でいることが大事かということだけは、熱心に発言するようにしています」
政治的発言はしなくても平和を祈る気持ちは忘れないし、伝えていきたい。黒柳がこう話すのには、ある"記憶"がかかわっている。それは、彼女自身の戦争体験だ。
戦争がはじまったころ、まだ幼かった黒柳は、戦地へ向かう兵隊を当時住んでいた自由が丘の駅前で熱心に見送った、という。
「そこに参加するとスルメの足を焼いたのを1本くれるんだけど、私はそれが欲しくって、学校にいてもバンザイの声が聞こえると走っていったんです」(前掲書より。以下、同)
なんとも"トットちゃん"らしいエピソードで、小走りするその姿が目に浮かんでくるが、黒柳にとってこの思い出はいまも心に深い陰を落としている。
「きっと小さい子が一生懸命に旗を振っているのを見て、兵隊さんたちは勇ましく出て行ったと思います。でも、そのなかの何人が生きて帰ってきたんだろうって思うとね......いくら私が子供で、スルメが欲しかったからといって、戦争責任がまったくないとは考えられなくて、いまも後悔が残っています」
きっとだれも黒柳の行動を咎めたりなんてしない。あの時代、だれもがそうだった、と思うだろう。しかし黒柳自身は、スルメ欲しさに見送った兵隊たちのことをいまも胸に秘め、自責の念を感じている。
「戦争って、そうやって子供の心まで傷つけるものなのね。それを知っているから、戦争は二度と起こしてはいけないと思っています」
そして、平和を祈る黒柳にはもうひとつ、忘れられない、ことあるごとに思い出すという言葉がある。
それは彼女がNHK専属女優の第1号になってからのこと。NHKは米・NBCからテッド・アレグレッティという放送人を招待し、講演会を行ったという。アレグレッティ氏はその講演会で、テレビがこれからもっとも大きなメディアになるであろうこと、いつか戦争さえも家のテレビで観られるような時代になることを述べた。そして、このように語ったのだという。
「その国が良くなるか悪くなるかはテレビにかかっています」
「永久の平和をテレビによって得ることができると信じています」
テレビが平和を守ることができる、平和をつくり出せることができる。この言葉は、黒柳にとって大きな希望になったに違いない。
「私自身、戦争を経験していますから、あの方の話を伺って、もし自分がテレビに出ることによって、平和をもたらすことができれば、そんなにいいことはないなって思ったんです」
実際、黒柳はさまざまな戦争の記憶をテレビのなかで大事に扱ってきた。
黒柳は、はっきりとこう述べている。
「それはアレグレッティさんがおっしゃった『永久の平和をテレビによって得ることができるかもしれない』という話を、私自身も信じているからです」
翻って、この黒柳の強い思いを、一体この国の放送人はどれだけ抱えているのだろう。権力が放送に介入し、内容に圧力をかけているような状況があるなか、どれだけの人が「平和に導く力がテレビにある」と信じているだろうか。まるで戦前のような報道・言論状況に陥りつつあるテレビ界のことを思うと、ある意味、この黒柳の言葉は政治的発言よりもずっと重く響いてくる。
報道機関の権力への隷属化が叫ばれるいまだからこそ、放送人には黒柳のように誇りをもって、テレビの力を信じ、平和を守ってほしいと心から願うばかりだ。
(大方 草)