昨日、モデルでタレントの冨永愛が初の自伝『Ai 愛なんて大っ嫌い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓したことを、リテラで紹介した。貧しく複雑な家庭で育ち、周囲への"復讐"を果たすためモデルになり成功する。
壮絶で、意外な冨永の人生。だが、もうひとつ意外なのはこの冨永自伝本で表現されるひとつひとつの言葉使いの力強さ、そして荒々しさだ。
「みな殺しにしてやる。今からわたしは復讐の旅へ出る」
「チクショー。ぶっ殺してやる。チクショー。今に見ていろ」
だがそれも当然なのかもしれない。というのも本書をプロデュースしたのはあの長渕剛だからだ。「My Seif」などの長渕の歌が大好きだったという冨永は、今年になって自ら弟子入りを志願、師弟関係を結んだという。
「3年前、女優の熊谷真実を介して出会ったらしいんですが、今年になって冨永が『新しい自分に生まれ変わりたい』と弟子志願。冨永を長渕は自分の故郷・鹿児島に連れて行ったようです。
自伝本もこの"子弟合宿"から構想され、10月22日には自伝本を舞台化した同タイトルの冨永の1人芝居公演があったが、このプロデュースも長渕が担当している。
「殺すぞ!」「クソ野郎!」「死ぬ気でやれ」
インタビューなどでこう連呼する長渕が、プロデューサーとして鎮座しているのだから、冨永の自伝の荒々しさも納得なのだ。
ネットサイト「WWD JAPAN・COM」に掲載された2人の対談では長渕"師匠"の熱き思いや猛烈ぶりが語られている。
長渕「あの冨永愛をプロデュースするっていうんだから、責任感は半端なかったし。軽い気持ちでは引き受けられないと思いました(略)『冨永愛が生まれ変わりたいらしいから手伝ってやってくれないか』って(仲間に)持ち掛けたんです。そして仲間達とまず彼女を連れて行ったのは、鹿児島の山の坂道。傾斜がきつい100mほどの坂道を皆と一緒に10本ダッシュで走らせました。その経験は、自分の人生を変えるため、自分が生まれ変わるために多くの仲間が一緒に苦労してくれていることを感じさせてくれたと思う」
冨永「それから足に3キロの重りをつけてみんなで山頂まで登りました。(略)自叙伝を書き上げた時、長渕さんに電話しました。秋の晴れた日曜日で、空が青くて綺麗で、『私、幸せです。』って。『この自叙伝が私のすべてだ』って思いました」
その心酔ぶりは相当なもので、育児や教育論まで長渕に相談。
長渕も同対談やスポーツ紙のインタビューの中でこう語っている。
「彼女と息子さんを見ていて、子が母を想う気持ち、母が子を想う気持ちが伝わってきて、亡くなった自分の母親を思い出したりしたね」
「愛ちゃんの怒り、憂いといった陰の部分が人間臭く、僕の琴線に触れたんです」
都内でも2人がいっしょにいる姿がひんぱんに目撃されており、もちろん自伝本の宣伝でも長渕が寄り添う。さらに冨永は長渕のオフィスと業務提携を結んだことも発表している。
こうしたエピソードを見ていると、頭をよぎるのが冨永は長渕の愛人ではないのかという疑惑だ。
「長渕は作品でのめり込むと、共演者にまでのめり込む熱き男ですからね。妻の志穂美悦子も共演がきっかけで結婚し、その後95年にはやはり共演者だった国生さゆりとの不倫スキャンダルが報じられた。冨永も『もしや、愛人か』なんて囁かれていたんです」(芸能記者)
しかし、結論からいえば、そんな下世話な関係は2人の間にはないようだ。というのも、冨永は長渕の妻や家族ともしょっちゅう行動を共にしているからだ。以前リテラで紹介した長渕の「『an-an』インタビュー改ざん事件」のインタビューの際も、悦子夫人や娘が同席する中、冨永もまたファッションアドバイザーとしてその場にいた。3人は長渕が黙々とトレーニングする傍らで、仲睦まじくそれを見守っている姿も目撃されている。
むしろ、幼少時、親の愛情に恵まれなかった冨永が長渕に父性を求め、すっかり"長渕教"の信者になってしまったというのが、正解だろう。自伝の最後で冨永は長渕へ最大の謝辞を送っている。
「『お前、今のまんまじゃ、ダメだ!! きちんと自分を振り返り、考えなさい!』と、その人、長渕剛さんは強く言ってくださいました」
「音楽家であり、日本の若者のために、ずうっと真摯に歌をつくりつづけてきた長渕剛さんとそのご家族のみなさまには、どれだけ感謝しても、し足りません」
公私ともにすっかり洗脳されてしまった様子の冨永。このままいくと、"おしゃれ"と"コワモテマッチョ"が融合する、今までにないタイプのタレントになるのだろうか。
(林グンマ)