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映画「永遠の0(2013)」で、戦争で生き残った主人公の同僚の演技についての会話。
「名演でしたね」
橋爪「あ、そう!? 特殊メイクが大変だったんだよね」
「戦艦が炎上するCGも見事でしたよ」
橋爪「あ、そう!? 見てないから分からない」
「橋爪さん、さすがに主役だった東京家族は見ましたよね?」
橋爪「あれはね、山田洋次監督だからさ、怒られるかもしれないしさ」
・・・とニヤリとする。
橋爪功さんはポリシーとして、出演作を見ない。既に監督がOKし、「過去」となった芝居を振り返えらない。スタジオ収録でもスタジオ内のモニターは見ず、本番が終わるとすぐスタジオ前の前室のソファーにドカッと座って、うまそうに煙草を吸う。
舞台出身なので、映像で芝居をチェックするというプロセスを意識的に排除しているからか、演技は俳優のもので、映像は監督のものだから、監督がOKしたものについて俳優が感想を持つべきではないと諦念しているからか、見たとしても前室でコーヒーを飲みながら、チラリチラリと他の俳優の演技を見ている。
橋爪功さんはセリフ覚えの天才である。
現場入りしてメイクしている最中や、前室でコーヒーをすすりながら台本をパラパラめくる。
「橋爪さん、セリフ確認ですか?」
橋爪「いや、今覚えてんだよ」
「自宅で台本開くことないんですか?」
橋爪「パッと見ただけで頭に入っちゃうんだよね」
「写真のように頭の中に写しちゃうんですね。舞台の台本もですか?」
橋爪「さすがに舞台の台本は家でやるよ」
「ドラマの台本はスケジュール確認に開くだけですね?」
橋爪「まぁね。でもちゃんと芝居のことは3通りくらい考えていくんだよ。セリフを入れるのが当日ってだけだ」
「3通りとは?」
橋爪「カメリハでひとつやって、ランスルーで違うことやって、監督に前のほうでと言われたら本番で芝居を元に戻す。3通りはランダムというか、相手役の芝居にもよるし」
「監督の被写体として、素材としての姿勢を貫かれているんですね」
橋爪「そんな偉そうなこと考えてないよ」
橋爪功さんの演技論は、極力何もしないことである。
「橋爪さんは、役作りはしないんですか?」
橋爪「最初に台本をもらった時にひと通り読んで、自分の役の役割を頭に入れるだけだよ」
「なるほど、俯瞰して役を捉えるんですね」
橋爪「セリフを自分の身体の中に通して、セリフを吐くだけだから、できるだけ余計なことを足さないようにしてんだ」
「足し算じゃなく引き算という訳ですね」
橋爪「オレは映像の場合ほとんど脇役だから、主役や相手役が立つように、なんかやると邪魔しちゃうからさ」
「主役の時は?」
橋爪「共演者の芝居を極力、拾うんだ」
「相手のセリフをちゃんと聞いてから、自分のセリフになるんですね?」
橋爪「なんか事前に考えるよりさ、その時の間でいいんじゃない!?」
「橋爪さんは究極の自然体の芝居なんですね」
橋爪「そう!?(少し嬉しそう)」
「それで、なかなかセリフが出てこない時、耳たぶに手をあてて、芝居の間にしてセリフを思い出してるんですね」
橋爪「あれっ、バレてた!?」
そして日本のダスティン・ホフマンと言われた名優・橋爪功さんは、若い女優さんにはとっても親切で、ジョークと共に緊張感をほぐしてあげるのである。
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