『R100』(ワーナー・ブラザース)の公開(10月5日)が迫る中、松本人志(50)の発言がネットで話題になっている。
たとえば、『web R25』のインタビューでのこと。
こうした松本の発言に対して、ネット上では、「映画をバカにしてる」「じゃあ止めれば」「逃げてばっかり」「映画が酷評されているのが悔しいだけ」などのコメントが多く寄せられている。先日行われていた『第38回トロント国際映画祭』に出品されながら無冠に終わり、しかも地元紙による採点で全作品中最下位という評価を受けたことに対する負け犬の遠吠えではないかというのだ。
しかし松本は最初から新作は“ムチャクチャ”な映画にすると公言していた。
筆者は映画を観賞したが、確かに『R100』は映画ではない。もしこの作品を「映画」とするならば最低の評価が下されるのは当然のことだろう。ストーリーの流れもチグハグなら、キャラクターの設定もイマイチ不明、リアリティは限りなく欠如していて、学生の自主制作映画のほうがよっぽど映画らしいといえる、ツッコミどころ満載の出来映えだ。だが、そうした映画としての穴を見事に埋める仕掛けを松本はしっかりと仕込んでいる。
そうした作品を彼は「卑怯な作品」と言って自嘲する。ネットユーザーたちは、そうした松本の態度を「映画をバカにしてる」などと言っているが、きっとそうなのだろう。松本はムチャクチャな映画を撮ろうとしたのだ。それは“映画的なもの”に対する反抗であり、「映画がなんぼのもんじゃい」という彼の気迫の表れに違いない。それが映画をバカにしているという態度に見えるのは当然のことだといえるだろう。
いつからか“ダウンタウンの松本人志”という名前は、松本人志の元から独立した。それはもはや1つの人格といえる。松本本人もそれは自覚しているのだろう。だから彼はインタビューの中で、「映画もテレビも、別にこのままやめたって僕は痛くもかゆくもない」と言い、「やめてもいいんですけど、やめられない」「気がついたら吉本にメリーゴーランドに乗せられて、グルグル回ってる」と言う。個人としてはいつ引退してもいいが、ダウンタウンの松本はなかなか勝手に辞めることはできないということなのだろう。
松本は、そんな自分を自嘲しながら、「いつでもやめられるんで、あえて今日やめる必要もない」「でも、根が真面目なんで、手を抜くこともできないし、人を喜ばせたいので、今でもやっている」と現状について語る。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)