はっきりとした原因がわからないのに患者が繰り返し不調を訴えることを「不定愁訴」といいます。
一般的に高齢者の不定愁訴は多いため、介護をしている家族としてはつい訴えを蔑ろにしてしまいがちですが、体調に関する訴えの中には実際に深刻な病状や症状につながっているものもあります。
とは言え、知識を身につけておくことで気付きにつながる場合もありますので、まずは訴えの中から隠れている可能性のある症状を紹介していきます。
「不定愁訴」として見落としやすい病気①
心臓疾患
気がつかないまま時間が経過してしまい、突然深刻な容態となってしまうのが心疾患です。
胸につかえたような感じや圧迫感、みぞおちのあたりの異常、吐き気の訴えが繰り返される場合には心臓疾患が隠されていることがあります。ほかにも背中や左肩、あごの辺りの痛みをしきりに訴える例があるそうです。
筆者の経験では、背中を痛がっていた方が心筋梗塞であったケースを見たことがあります。背骨の左側辺りを触ると「その辺りがとても苦しくて痛くてたまらない」との訴えで額には脂汗が噴き出していましたので救急車を呼びました。
結果、その方は心筋梗塞を起こしていたことがわかりました。後から思い返せば「食べ物がつかえているような感じがする」との訴えもあった方でしたので、その頃から前兆があったのだと驚いたものです。当時は経験も浅くまさか心臓だったとは思いもしませんでした。
脳卒中
心疾患同様に「後から考えると症状のヒントとなる言動があったのに」と悔やまれてしまうのが脳卒中です。
同じことを繰り返し言ったり、失語や動作の緩慢などといった言動の異常があったりすると、すぐに認知症を疑いがちですが、これらが急速に進んだ場合は脳梗塞や脳出血といった脳疾患の前兆であるケースが考えられます。
特に、慢性硬膜下血腫の場合は頭痛の訴えを繰り返したり、傾眠傾向や言動の異常が徐々に進行するため、認知症の症状が悪化したんだろうと見過ごしてしまう場合があります。
転倒で頭を打った場合、数日から数ヵ月かけて進行する場合があり、家族や周囲の人間も転倒していたことも気がついていなかったりすると発見が遅れてしまい、重篤な状態になってしまうことがあります。
肺疾患
高齢の方の場合、かなりの高確率で陥りやすいのが肺炎などの肺疾患です。
息苦しさや強いだるさ、頭痛といった症状を訴える場合には肺炎の可能性も考えられます。新型コロナウイルスやインフルエンザといった呼吸器感染症や誤嚥性肺炎など、いわゆる重篤な風邪症状が生じれば肺炎を主とした肺疾患だと気づきやすいですが、高齢者の場合はわかりやすい風邪症状が発現しないまま症状が進行してしまう場合があります。
特に、慢性的に常日頃から咳を繰り返していたり、だるさを訴えていたりすると高熱が出たときにいきなり重篤な容体となっていた、というケースもそれほど珍しいことではありません。
こうした穏やかに進行している場合は、医師でさえ気がつかないこともあるくらいですので、なかなか早い段階で見極めるのは難しいかもしれません。吐き気や寒気、食欲不振といった訴えが混ざることもありますので、ほかの症状と合わせて観察して重篤化する前に早期発見につながったケースもあります。
「不定愁訴」として見落としやすい病気②
脱水症状
これからの季節で気をつけたいのが脱水症状です。
食欲不振の訴えや体のだるさ、めまいや頭痛といった訴えなどが先に現れることがあります。脱水症状に陥る前に喉や口の渇きを訴えそうなものですが、夜間頻尿の回避やトイレに立ちたくないがために、日頃から水分の摂取を控えていたりすると、口や喉の渇きが慢性化し自分自身の脱水症状に気がつかずにそのほかの不調の訴えを繰り返してくるケースがあります。
その状態に気がつかずに「いつものサボり癖だろう。怠けているのでは」と聞き流してしまうと、意識消失(これもまた傾眠と見過ごされたりします)や嘔吐、痙攣(けいれん)といった深刻な症状に陥る場合があります。
冒頭のような訴えを繰り返す場合には、体温や皮膚の乾燥状態に注意を向けてみてください。特に湿っているはずの口唇や口内、脇の下など皮膚が重なっている部分が乾燥している場合は脱水症状が進んでいる場合が考えられます。
高齢者うつや自律神経失調症状
高齢になると、特有のさまざまな喪失体験や無力感、環境の急激な変化によって、高齢者うつや自律神経失調といった症状が生じることが少なくありません。
訴えの種類が幅広く、年相応の老化傾向に過ぎないとして軽視されやすいので発見が遅れてしまうことが多々あります。
ただし、認知症と異なり、これらの症状は適切な治療を受けられれば症状の大幅な改善や緩和が期待できます。気持ちの問題だからと安易に聞き流すことなく、普段の訴えとの変化に早めに気付きたいところです。
常に全力で耳を傾けるのは介護疲れの要因にもなる
さて、悪化の前兆を捉えられる可能性のあるいくつかの疾患を取り上げましたが、日頃からしっかりと観察できていれば発見する可能性は高まります。場合によっては医師であってもなかなか見つけがたい疾患に気がつくこともできます。
そのためにはしっかりと「傾聴」に努めることが大切ですが、聴き手の体制や環境づくり、時間の確保が極めて重要になります。たとえば、集中して全力で傾聴できる時間はカウンセラーや心理士といったプロであっても、せいぜい1~2時間ほどです。
冒頭に挙げたような自分自身の聴ける体制・環境・時間といった条件を確保できない状況なら、傾聴することに気をつかいすぎて、話す側も聴く側も疲弊してしまい、成果はほとんど望めません。そればかりか話に耳を傾けているつもりが、いつの間にか尋問でもしているかのように追い詰めてしまい、デメリットのほうがむしろ大きくなるリスクすらあります。
聴き手側の心身の状態が整っていないときには無理をせず、むしろ少し距離を置いて傾聴できる条件を整えるようになさってください。
高齢者の訴えが頻繁かつ繰り返されていると聞いている側も「またいつもの訴えがはじまった」と聞き流していないとやっていられない気持ちもあるでしょう。
介護疲れはもちろん、日々の生活でストレスがたまった心理状態では、相手の訴えがたとえ耳に入ろうとも気持ちの側に蓋がされてしまうのも当然のことです。
ですから、時折距離や時間をおいて介護側の気持ちや心にゆとりを持った状態をつくることが大切です。常に100%の全力で傾聴するのは相手も息苦しくなってくるものですし、支える側が先に参ってしまいます。
筆者は、介護とは老化により生じた「身体上の障害」と「生活上の障害」、そして「関係上の障害」をそれぞれ良くなるものは改善し、良くならないものは維持し、補えるものは補うものだと学んできました。
症状の早期発見は確かに大切なことではありますが、たとえ身内が一生懸命日々の介護を行っていたとしても、さまざまな予兆を見逃し、訴えを聞き逃してしまうことはある程度仕方のないことだと思っています。
「あれは前兆だったのか」「確かにこんなことを言っていた」という気づきは後からわかることが多く、常々全力で気をつけていたら支え手が壊れてしまいます。
支える側の生活や関係を著しく悪化させてまで「気がつかなかった介護者や家族が悪い」といった責め方はされるべきではないと思っています。
介護サービスを利用して休みの機会が得られたときにでも少し落ち着いてみてから、しっかりと時間を絞って訴えに耳を傾けてみる、といった工夫ができるといいでしょう。