「終活講師対談シリーズ」の第5弾は、葬儀やお墓、相続など終活にかかわる専門家と一般の方をつなぐ「終活カウンセラー」の2級検定試験開催が1,000回越えを果たしたことを記念して、(一社)終活カウンセラー協会の創設者である武藤頼胡代表理事をお迎えしました。
同協会が開催している「終活カウンセラー検定」は、2級で終活の概念のほか相続、保険、介護、年金、お葬式・供養の計6科目の基本を学んだあと、さらに高度な知識を学べる1級、認定講師検定などに進むことが可能です。
2級検定は「終活への入り口」となる検定で、全国各地だけでなく米カリフォルニア州でも開かれ、ついに1,000回の大台を突破。受講者も2万5,000人を超えたとのことです。そこで2011年の協会創設時から12年の歴史を、じっくり振り返っていただくこととしました。
テレビ出演をきっかけに広まった終活カウンセラー
――1000回記念インタビューということで、1回目の受講者となった私も、本棚から1回目の教科書と合格証書を引っ張り出してきました。懐かしいでしょ?
武藤頼胡代表理事(以下武藤):はいはい、この緑色のテキストね。懐かしいですね。第1回は、2011年10月23日ですよね。
――12年前に第1回が開かれて、ついに1000回。すごいですね。私が東スポにいたときに、各局の番組紹介リリースをチェックしていて「ガイアの夜明け」(テレビ東京系)で終活カウンセラー協会が取り上げられることを知ったときはうれしかったですね。私もすでに1回目の検定に合格していたので早速記事を書いた思い出があります。あれはいつ頃の話だったかな。
武藤:「ガイア」に出たのは2012年です。決してテレビの力をなめていたわけではないのですが、当時はテレビに出ることの影響をあまりわかっていなくて(笑)。ちょうどひとりで、名古屋のホテルで見ていたのですが、テレビの画面の一番上に、終活カウンセラーって言葉が出たんです。「あ、私が適当につくった言葉がテレビに出てる」と思った瞬間には、協会の公式ウェブサイトに自分たちでさえ入れなくなっちゃって。一瞬で(検定は)満席になりました。
――聞いているだけで興奮しますね。世間の評価がガラッと変わる。ビッグチェンジですよね。
武藤:会場は50人くらいしか入れないのに、結局250人とかのエントリーがあったんです。さらに次の回も満席になったので、場所を変えて、200人くらいの会場に変更して。それからずっと、「開ければ満席になる」みたいな状況でした。
終活カウンセラーという言葉が生まれた経緯
――「ガイア」は素晴らしい体験でしたね。そもそも、終活カウンセラーという発想はどういう形で生まれたんですか?
武藤:きっかけは、たしか確か2010年にテレビで「終活」という言葉を聞いたことでした。
2010年の頃って、お葬式セミナーだけどいろんな相談があったり質問があったりしていたんです。来る人は困っている人ばかりで、これは何とかしなきゃいけないなとは常々思っていたんです。当時は(日本が)超高齢社会に突入したあたりでしたよね。
そのときは「終活」特集をテレビで一瞬見ただけでしたが、もっと価値のある言葉にしたら、皆さんがちゃんと知ってくれて、もっと人生を学べるんじゃないかな、と考えて、翌日には「終活カウンセラー」の構想を練っていました。
――その終活カウンセラーって言葉は、“降って”きたんですか?
武藤:そうですね。降ってきたっていうか、アドバイザーでもなく、教えるでもなく、コーディネートするわけでもなく…みたいなっていうところから、でしたね。
2級検定については利益度外視で続けている
――協会はどのような経緯で設立されたのでしょうか?
武藤:協会設立の前に自分でつくった「終活相談ドットコム」というサイトを1年くらい一人で運営していたのですが、その中で結構問い合わせやご相談が集まったので、これは組織にしてやったほうがいいと思って企画書をつくって、一緒にやりたいと思った人たちに声をかけ、集まってくれたのが6人でした。
――素晴らしい行動力ですね。
武藤:今、古い資料を見たら、第1回が2011年の10月にやってるんですけど、第2回が3月10日。ても、最初は労力ばかりかかってぶっちゃけ儲からないわけです。理事になった人たちとか講師をやっている当時の人たちも、だんだん「こんなんダメじゃない?」みたいな空気感が出てたんですよ。
――最初のピンチだ。
武藤:それで、なんとなく決裂していったりとか、いろいろあったんですけど、「ガイアの夜明け」に出たことによって運営側もまとまったうえに、ある程度まとまったお金も入ってくるようになりました。受験枠を開ければ満席になるので。
当初私は自分の仕事で食べて、自分の会社へお金を入れていましたから。本当に借金のうちの、私が入れていた分を返してもらったのは4、5年経ってからです。
――でも2級は終活への入り口だし、看板の検定だと思っていますが。
武藤:2級検定はギリギリでやっていければ、いいと思っています。(終活を)広げることや、検定試験のためにが勉強することが大事じゃないですか。ただ最近、オンラインという手段が増えて、そこでは多少利益が上がるようになっています。
まあ損はしないというか、赤字にはならないぐらいに上がっているということですね。何人も受けてくれたってことが一番の理由ですよね。
12年間で起きた良いこと悪いこと
――受講者数が2万5,000人を超えたということですが、思えば大変な数ですよね。
武藤:本当ですね。よくよく考えたらね。
――この12年、なんかエピソードあります?12年やってていろんなことあったと思うし、良いこと、悪いこといっぱいあったと思うんだけど。
武藤:そうですね。良いことも悪いことも、いっぱいありますね。振り返ると、第1回目とか2回目に受けた人、本当にごめんなさい。だけど、内容がどうしようもなかったかと思います。
――第1回のテキスト、見てみると確かに表紙は手作り感満載ですね。
武藤:今回印刷した分でだいぶ変わったんですけど、第1回のテキストは表紙も普通の資料のようで、内容もただ知識を並べるだけでした。それでも当時にしてみたら珍しい内容だったので、これはこれで良かったと思うんですけど。
――草創期らしい話ですよね。
武藤:あとは12年続ける中で、もっと「終活」を広めるためには、検定試験を実施するだけでなく「講師」がいたほうがいいよねってことで、「終活講師」の制度をつくったりとか。
――改めて考えると、すごいシステムですね。
武藤:検定試験のために学んだ人がそのまま教えてくれればいいじゃん、っていう短絡的な考えだったんです。
でも頭の中で「理想の講師」のイメージがあったとしても、現実的に言葉にするのは難しいじゃないですか。だから、終活講師の講座にしても、1回目から7回目、7期までと8期からのまったく違うものをやっている。何事もそうですけど、回数を重ねていって、育っていってるなっていう思いはありますね。
――講演は、いつ頃からやってるんですか?
武藤:2012年ごろ、終活関連の協会を立ち上げた後に、講演依頼が来るようになって。違うセミナー依頼はあったんですけど、終活っていうセミナーは、そこが初めてだったんじゃないかな。
――終活カウンセラー協会の講師をする前は、他の講師もやってらっしゃったんですね。
武藤:そんなにやってないですよ。会社員だった頃、普通に研修はしていたし、人前に立って喋るってぶっちゃけ、今でも好きじゃないんで。できれば事務方や企画書をつくったりしたりする仕事のほうが好きなんですよ。
――今思い出しました。僕が東スポの広告局長だったとき、わざわざ門前仲町の駅から15分かけて本社まで歩いてきてくれて「終活フェスタに3,500人の入場者を入れたいんです」と訴えたときの熱意はすごかったですもんね。武藤:ああ、そうでしたよね。
――あのときは、出展する会社の社長5人に5万円ずつ出してもらって、自己PRを出してもらい、50万円の広告枠を局長決済で半額にしたんでしたね。そうすれば武藤さん、お金全然かかんないよね、みたいな話にしたんですよね。そういう交渉術が、武藤さんが成功された理由の一つだと思いますね。
武藤:あんまり考えずに人に聞いちゃう。「これできないんですか?えぇー!?」みたいな。あまり「空気読まない感」があるというか。
――ありますね(笑)
武藤:大きな契約でも「こうしたいから、こうしてほしいんですよ」みたいなのは全然今も変わってないんです。何が変わってないかっていうと、12年前と今と、企画書つくっても、講師の部分は何にも変わってない。時代の変化で、もちろん手段は変わるんですけど、そこは何にも変わってないなって(笑)。自分でも驚くほど変わってない。初志貫徹です。
家族で学べることが大きな特徴
――2万5,000人が受けられた中で、最年少は何歳ですか?
武藤:検定を受けた最年少は14歳の中学生です。
――14歳の子は、どういう動機で受けたんですかね?
武藤:お母さんが終活カウンセラーだったんですよ。それでお母さんを見ていて自分も勉強したいと思ったそうです。うちの息子が14歳だったときに、終活に興味持ったかなと思うと(笑)。これからどうやって育つのかと思うんですけど。で、最年長は91歳の方です。
――14歳から91歳って、すごい幅広さ。
武藤:皆さん、もっと上いけますよ。
――そりゃそうですよね。100歳の人もあんだけいるわけだからね。そういう時代ですもんね。
武藤:うちの検定の特徴としては、夫婦とか親子で受けに来る方が多いんです。なかなか親子で同じものを勉強するってないじゃないですか。
――「終活」はそれができるテーマですからね。
武藤:そう。みんなで学べるものをつくれてよかったと思っています。