介護の負担は、入浴介助やトイレ介助などの身体介護だけではありません。家事労働や行政手続きの代行のほか、要介護者の気持ちに寄り添うことも介護の一環となり、精神的な疲労を招くことがあります。
今回は、脳梗塞の後遺症で自信を失い、悲観的な言動を繰り返す夫との関係に悩んでいたDさんのケースをご紹介します。
【事例】Dさん(60代・女性)
東京都内に住むパート職員のDさん(60代女性)の夫は、1年前に脳梗塞で倒れ、要支援2の認定を受けています。夫はリハビリに励み、杖を使って歩けるまでに回復しましたが、利き手はほとんど動かせません。退院前にリハビリに特化したデイサービスの利用を勧められましたが、「そこは年寄りの行くところだろ!」と嫌がり、利用にはつながりませんでした。
夫は学生時代から剣道に打ち込み、剣道教室のボランティアスタッフとして子どもたちの指導に携わっていました。教室のスタッフからは「退院したら戻ってきてください!」と声をかけられていますが、夫は「こんな状態で、迷惑をかけられない」と断ってしまいました。入院中にリハビリに熱心に取り組んでいた姿とは打って変わって、退院後はほぼ家に引きこもっています。
Dさんは、散歩やリハビリに誘いますが「今日は調子が悪い」「運動後に全身が痛くなるからやめておく」と断られてばかりです。最近では「生きている意味がない」「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないんだ!」と否定的な発言が増え、Dさんは夫との会話が辛くなってきました。
さらにDさんが趣味の集まりに参加していても、夫から頻繁に電話がかかってくるため、外出するのもおっくうです。このような状況が1年近くも続き、最近では夫の気配を感じるだけで胃が痛むようになりました。
複数の相談窓口と継続してつながりながら、本人の自主性を促す
夫は、脳梗塞の後遺症によって、自信を失っていました。病気や怪我によって、社会での役割を失ったと感じると、大きな喪失感を抱くことがあります。自分には存在価値がないと感じると、他者や社会とのかかわりを断ちたくなる心理状況に陥るものです。
そこで、私はDさんに2つの提案をしました。
1つ目は、支援を受けるために「相談窓口」とつながることです。Dさんの夫は介護保険の認定を受けていましたが、デイサービスの利用を勧められても「俺にはまだ必要はない」と利用をしていませんでした。
そのため、Dさんは自分でなんとかしなければと奮闘し続けていたのです。サービスの利用をしていないと、相談や支援を提供してくれる人や窓口との関係性が構築できず、家族に負担のしわ寄せがきます。
しかし、支援サービスは介護保険サービスだけではありません。地域包括支援センターでは高齢者が安心して地域で暮らすための情報提供と支援を進めています。社会福祉業議会では、福祉関連の相談を受けており、必要な窓口につながるための情報を提供してくれます。
もちろん、相談をしたとしても、すぐに期待しているような支援や対応を受けられるとは限りません。だからと言って相談しても意味がないわけではありません。必要な支援を受け、状況が変わるまでには時間がかかります。ですから、「相談することは種まき」だと思って、複数の窓口とつながることをおすすめしています。
2つ目は、夫自身が主体性を高められるかかわりを増やしていくことです。
夫のもとへは、長年かかわってきた剣道教室の仲間たちから定期的に「戻ってきてほしい!」と電話がかかってきていました。夫を気遣い、励ます友人はたくさんいるのです。
しかし、夫は携帯の着信に出ないため、自宅への入電にDさんが対応している状況でした。Dさんは「今の状況を話すのは辛いのかも…」と考えていました。しかし、よかれと思って本人ができることややるべきことを代わりにしてしまうと、本人の責任や役割を奪ってしまいかねません。
その結果、本人の主体性や自信が低下し、依存的な状態に陥る可能性もあるので注意が必要です。次に電話がかかってきたら「ちゃんとあなた自身が対応した方がいいよ」と伝えることをすすめました。
半年ほどたって、Dさんから「状況が大きく変わった!」と報告がありました。社会福祉協議会の職員から「ボランティア育成講座があるので、見学に来ませんか?」と声をかけてもらったことがきっかけで、今月から将棋教室のボランティアスタッフとして活動を始めたというのです。
さらに、もう一つ大きな変化が起きていました。剣道教室で長年一緒に活動をしてきた友人と電話で話すようになったというのです。
Dさんは夫に「あなたにかかってきた電話なのだから、ちゃんとあなたが出たほうがいいよ。入院中も色々心配くださったんだし、あいさつだけでも」と伝えたのですが、その直後は「そんなことできるか!」と激怒されてしまったそうです。
しかし、Dさんがめげずに「電話だよ」と伝え続けたところ、根負けした夫は電話に出たのです。友人たちから「体調がいいときに気軽に遊びに来てほしい。子どもたちも会いたがっている」と伝えられ、夫は生き生きとしだしたといいます。

あいさつがてら剣道教室に行った夫は「ヨレヨレしていたら、子どもたちに迷惑だ。身体を鍛えなきゃ!」とリハビリに特化したデイサービスの利用の検討も始めたといいます。
夫がDさん以外の人との関係性を取り戻し、居場所や活躍の場を感じられる機会が増えたことで、今は外出中に頻繁に電話が入ることもなくなったそうです。
家族以外の人とのかかわりを増やす
今回のケースで状況が大きく変わったポイントは、家族以外の人とのかかわりを増やした点です。行政などの支援窓口や、友人とのやりとりを通じて、夫は「人の役に立ちたい」というモチベーションが刺激されたのです。
悲観的な言動を繰り返す人は、自分の言葉で言い表せないほどの絶望感を抱いていることが多いです。本人の苦しみを理解したい、なんとかしてあげたいと思うのも当然ですが、寄り添うことばかりに意識が向くと、本人の力や責任感、意欲を低下させる依存的関係が生じることも少なくありません。
寄り添ってもらえることで気持ちが楽になれる効果はもちろんあります。Dさんがこの1年、夫に寄り添い続けてきたことで、夫にとって家は安心安全の場であり、生きる気力を保てていたのも事実です。
しかし、家族は日々の生活やケアのために疲弊しきっています。だからこそ、家族以外の第三者にかかわってもらうこと、家以外の場所で話す、活動する場所を増やすことが必要なのです。介護の悩みは家族だけで抱え込まず、さまざまな支援窓口、友人など家族以外の人と繋がりながら、進めていきましょう。
みなさんが家族間で抱えている悩み、介護で経験されていること、対策をとられていることをぜひ教えてください。お困りのことやご相談には、こちらの「介護の教科書」の記事でお答えできればと考えています。
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