数年に一回壊れる妻

「神足さんっていつもニコニコしていて前向きですごいですね」そう言われることは多々ある。介護においてのドロドロした部分やくらーいイメージ、疲れ果てた家族のことも書いているけれど、面白おかしい部分の方が皆さんの印象に残っているんだと思う。

そう、我が家の介護生活は珍道中の連続で、ほかの人が「そんなことしないだろう」とか「そうは思わないだろう」ってことはとりあえずやってみることにしている。

無謀というやつである。

計画してもうまくいかないことは多く、成功するのはたくさんの失敗の中の一握りだ。でも、結局は「やってみてもいいよ」という妻の協力にかかっている。それに付き合ってくれるすごい妻なのだ。

そんな妻も数年に一回ぐらい壊れることもある。半年前ぐらいだったか、夜中に泣いていた。知らないふりをした方がいいのか?それとも、ゴソゴソっと音を立てて起きてるアピールをしてみた方がいいか。

誰も見ていないテレビの深夜番組の音でかき消されるぐらいのズルズルっと鼻を啜る妻の涙の形跡の音が聞こえる。ボクは声が出ないので「どうしたの?」と声をかけることもできない。「困ったぞ」。

とりあえず、枕もとで充電していた携帯を手に取った。

携帯の画面で暗い部屋に灯が流れると「あれ?パパ起きてたの?」涙でズルズルの顔のまま、妻が起き上がってベッドのボクの顔を覗き込む。

涙に濡れているが笑顔である。ん?なんなんだろうか?

「起きてたの?」という言葉に反応して頷くボク。「なんか飲む?」と聞かれ、またまた頷く。別に飲みたくもなかったけれど、なんか話さなきゃ。介護用のベッドテーブルに置いてある吸飲みにお茶を入れてくれたので飲んだ。

すっかり夜中に目が覚めてしまった二人。「もうテレビ面白い番組やってないよねえ」と言って録り溜めた番組一覧を見て回る。そして、結局眠れない夜のために録画してある「俺の話は長い」というドラマを見ることにする。

もう数年前にやっていた生田斗真さん主演のドラマがなぜか第3回から最終回まで録ってある。もう記憶力のないボクでさえ話を覚えてしまっているぐらい何度も見ているが、二人のお気に入りでそれを見ながら眠りにつく。心に入ってくる加減も、面白さもちょうどいい。

その時もそうだった。

なんで泣いているか聞かないまま。

朝起きてみると何事もなかった妻に戻っていて(いや、昨晩のあの時点で普通に振る舞っている)、心配はしているが何も聞けないし、時は流れていく。そんなことがボクが気が付いただけで10年の間に数回あった。

「ボクの仕事で、嫌な思いをしているのかなあ」「家のことで嫌なことがあったかな」色々思い当たることもあったので、原稿用紙に走り書きで「なんかあった?」と聞いてみる。

「んんー、いつもと同じ感じぐらい」そういう抽象的な答えである。何がどうっていうわけでもないけれど、突然涙が出てくるんだそうだ。

何が悲しいかもわからないんだって。嫌なことは、仕事でまあ意見が合わなくて「この人ってこんな言い方しかできないのかしら?」って思うことが続くと、自分の方が変なのかもと自信がなくなっちゃうことぐらいかなって。でも私は元気だよ。そう言う。

でも、ボクは「もしかして大変なんじゃないか。結構精神的に危機なんじゃないのか?」って心配になる。

日頃はあの夜泣いていたはずの彼女の姿は全く見えない。「どっかに隠れているはず」そう思ってみているけれど、それから数年間はそんな姿はあまり見せなかった

それどころか、ボクのせいで彼女がてんてこ舞いな忙しさの毎日で、それを目で追っているだけで笑みが溢れる。最近でも結構二人で目を合わせて笑うことが多い。恋人時代でもないのにおかしいかな。

変な言い方だけど、二人でケラケラ笑うことがこんな生活になってからよくある。二人とも真剣だから尚更笑えるのだ。

妻といると笑いが絶えない

車に積むために外さなければならない、車椅子の足置きがどうしても外れなかった時がある。ボクを助手席に乗せてから十数分、「あれ?取れない」「パパ取れないよ」もう何百回もやっている工程だからできないはずがない。

格闘していた彼女の、「ぎゃー」と大きな声がしたかと思ったら「取れた」と言ってトランクに積んで帰ってきた。

「危ないとこだった、足置きが急に取れたから力余って空を飛んでいった。誰かにぶつかってたら殺人事件だった。でも良かった、取れて」そう言って車の運転を始める妻。

「ありがとうよ」そう思ったら妻もボクも「ふっふっふ」と笑いが込み上げてきた。

本当に漫画のように足置きが飛んで行ったのだ。その時の驚きと焦りと、綺麗に空を飛ぶ足置きを思い出すだけで笑える。

そして、思い出すだけで恐ろしいのだけれど、そんなことがしょっちゅうある。妻には本当に苦労をかけていると思っているが、二人で笑いあっていれることが嬉しい。

一番の心配ごとは介護をしてくれている妻のこと

ある日、彼女が言った。「忙しくなかったらもっと色々考える時間があって嫌になるかもね」そう言っていた。

彼女が友達と会う時間は夜にファミレスでのお茶会だったりするらしいが、そんな時間に付き合ってくれる友達がいてくれるだけでも幸せものだと言う。

仕事の時間、ボクの介護、医療系の時間、ボクの仕事の時間、ボクの趣味の時間、そして義両親との時間。さらには家事もあるので彼女には365日ほとんど休みはない。

妻との毎日は笑いで包まれている ~恋人時代でもないのにおかし...の画像はこちら >>

家族の行動全てに付き合っているので、他の物事には最小限しか付き合えなくなっているという彼女。色々なことに失礼していることも多いかもという。

「いいんじゃない?あれやこれや気を使って眺め回すより」とボクは返す。

しなければいけないことは、ボクのせいでたくさんあるから、彼女が少しでも楽に暮らせるといいなあと思う。これがボクの1番の心配事だ。

そう言ったら皆さんはどう思うかな?いつもニコニコな神足さんが一番心配していることは何かって聞かれたらこれなんです。

そのほかと聞かれれば、この先の老後や金銭的な問題など、深刻なことだ。

見ているだけでも飽きない妻もどんどん歳をとっていき、この先のことや断捨離しなければいけない家の中について考えたりと心配も尽きないけれど、一人で介護を抱えている妻が何を思って、どう体の不調を感じているかが1番の心配事だ。

心配したって次の日はやってくる。そして彼女の手に色々な余計な荷物が乗っかってくる。でも、それを心配しているだけで何もできないボク。

本を読んでいたら、「それを相談できるような人がいれば楽になるんですけどね」同じような事例でそんな答えが返ってきていた。

でもね、家族やお友達など、相談できるような人がいれば、そんなことにはなっていない。ボクはそう思うし、相談したから気持ちが楽になるのは聞いてもらったその時だけかもなあとも思う。

相談というか、答えを求めるのではなく聞いてもらって同意してくれる相手が必要なんだろう。

「そんなんじゃダメよ!」とダメ出しを食らったらもっと辛くなるだろうし。

「じゃ、パパをどこかにしばらく預かって貰えば?」そんな提案されたって「違うんだよなあ」と思うだけなんだって。ボクはどこかにショートに行ったりほんとなんでも良いんだけど、彼女がそれが嫌なんだから(それのほうがもっと大変だと思うらしい)仕方ない。ありがたいことに。

そんな相談したらもっと辛くなるだろうから、なかなか相談なんてできないと想像する。

愚痴をこぼす相手って感覚かもしれないな。ボクには今までなかった感覚だが、妻にそんな相手がいるみたいだからちょっと安心している。

ちょっと前だったらたわいもないことを子どもたちに話して解消されていたが、今は自宅にいない。けれど、そういう相手がいないわけでもなさそうで、ホッとしている。その友人と一泊旅行に出かけるのを推奨しているぐらいだ。

年に一回あるかどうかだが、特に何をするわけでもなく旅館やホテルに泊まって帰ってくる。もっとゆっくりしてくればいいのにって思うけれど、短いくらいでちょうどいいと妻は言う。

夜のファミレスも然り、一泊のレスパイトといい、付き合ってくれる友達がいてくれて良かったと思う。節約の毎日でもそれは予算に組み込んだ方がいい。

ボクの体の状態がもうちょっと悪くなったら、義父母たちがもうちょっと歳をとったら、それもできなくなる日も近いかもしれない。できるうちは、少しでも楽しんで欲しいと心から思う。

あれこれ書いたが、本当の彼女の気持ちはわからない。

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