革命に挫折して市長選に狙いを定めた

くらたま

本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

泉さんは、4月30日で任期満了(※)となります。まずは、「政治家引退後」のビジョンについて伺えますか。

※ 取材日:2月25日

こちらこそ、よろしくお願いいたします。しゃべり過ぎてしまうときがあったら、言ってください。

任期満了後の「選択肢」はいくつかあります。ただ、まずは国の政治が「ろくでもない」ので、国の政治をひっくり返すことは「せなあかん」と思っています。

泉房穂×くらたま(前編)明石の“革命児” の原点「2000年...の画像はこちら >>
くらたま

早速(笑)。

幼い頃は、フランス革命のような「革命」を志していました。そんな自分が、革命に挫折して選挙に出ているんです。だから、選挙のような“民主主義制度”で社会を変えるなんて、忸怩たる思いも少なからずありました。

くらたま

選挙は「妥協」なんだ。

民主主義制度なんて「やってられへん」から。自分たちの国は自分たちでつくっていくものです。特権階級のものではありません。

でも、日本は長らく自分たちの社会になっていないわけです。要するに、民衆が勝った経験がない。フランスにしてもアメリカにしても、自分たちで社会をつくってきているのに……。

くらたま

そうですね。

鎌倉幕府や江戸幕府はもちろん、明治維新さえも「クーデター」です。だから、私は日本で初めての「革命」をやろうと思って、学生運動に没頭していたんです。負けましたがね。

くらたま

「学生運動」が残っていた時代でしたか?

10年遅れの全共闘として、東大最後の全学ストライキを委員長としてやりました。機動隊とも対峙して。でも、予想どおり負けてしまい、責任を取ろうと退学届を出して明石に帰りました。

くらたま

……どうなったんですか?

地元に帰って塾でも開こうと考えていたら、しばらくして敵の「親玉」から電話がかかってきました。「泉くん、みっともなくてもいい。

帰ってきなさい」。「君にはまだ仕事がある。こんなところで終わっちゃいけない」と言われました。

くらたま

敵の親玉はどなたですか?

当時の東大の学部長です。それで、「やむなく」東大に戻りました。

その後、社会から差別と貧困をなくしたくてNHKに入りました。でも、私が思い描いたような仕事はできず、やがてテレビ朝日へ。

ただ、そこでも、もどかしさを感じました。苦しんでいる方々の状況を伝えることはできても、解決のために、力を直接貸すことができなかったから……。

そんなとき、本屋で石井紘基さんの本を手にして、「大感動」したんです。

くらたま

改善すべき点が多く残っていますね。

日本は、医者だけがびっくりするほど力を持っている国です。

それは、不幸です。介護の大変さも「医者から見て『手間』がかかるかどうか」が基準になっていませんか。そうではなく、要支援の判断は当事者から見るんです。「個別」で見るんです。

くらたま

今の介護制度に欠けている視点なのかもしれません。

例えば認知症だったら、「まだら」に症状が見られる状態のほうがしんどいんですよ。それにも関わらず、医者から見たらその状態は軽度なんです。

語弊がありますが、介護職からすれば要介護5の方が“ラク”です。もう完全に寝ているケースが大半だから。要介護5より要介護2のほうが、介護はしんどいんです。日本の福祉において「医者目線から本人目線への転換」は必要だと考えています。

くらたま

制度それ自体を変えることは非常に難しいですね。

権限と責任と待遇はセットだから「社会福祉士を平均年収1000万の職業に育てなあかんわ」って“吠えた”んだけど、いまだに難しくてね。

だから、明石市では人に寄り添う専門職の待遇アップを実現しました。弁護士のほか、社会福祉士や臨床心理士など、人に寄り添う専門性を持った人材を全国から公募して正規職員として採用しました。非正規ではなく、正規化して平均年収700万、800万の待遇にしました。すると、第一人者の専門職の人が明石市の職員として全国から来てくれたんです。

くらたま

すごい。

「人」を増やすだけではなく、「質」を上げることにも取り組んできたのが特徴です。そうは言っても、明石市は人口30万人で予算規模2000億、正規職員は2000人です。それでも、兵庫県の29ある市の中の人口割合で、最も職員数の少ない市が明石市なんです。

くらたま

人事についても改革を?

「なくても良い業務」に就いている職員には全員異動してもらいました。専門性を高めたうえで、少数精鋭化していったわけですよ。総人件費が20億円ぐらい浮きましたから。

くらたま

そんなに浮くんだ!

それを市民への予算に回しました。

くらたま

なるほど。

残業代についてもメスを入れました。「居座る」ようにして残業代を稼ぐケースが散見されました。だから、管理の仕方を変えました。部長や課長などの管理職の評価項目にして、残業に対するルールを厳格化。その瞬間に残業代が半分に減りましたから。それも数億円浮いたんです。こう考えると、税金なんかムダに使われているところだらけだと思いませんか。

くらたま

否定はできません。

こういう取り組みをするだけでも、一気にお金は生まれます。だから、お金がないというのは嘘です。

単に漫然とやっとるだけです。どこも痛みを伴わず「これまでどおり」をやろうとして、お互いに傷をなめあっているから金が動かない。

時代に応じたやり方にシフトすればお金は生まれます。

くらたま

たしかに!泉さんは市民だけでなく、時代が求めているような方だと感じました。続いては明石の子どもたちについてもお伺いできればと思います。

後編に続きます

  • 撮影:新井章大
泉房穂×くらたま(前編)明石の“革命児” の原点「2000年4月1日」
倉田真由美イラスト

泉房穂

1963年、明石市二見町生まれ。元NHKディレクター・弁護士・社会福祉士・明石市市長。「5つの無料化」に代表される子ども施策のほか、高齢者、障害者福祉などに力を入れて取り組み、市の人口、出生数、税収、基金、地域経済などの好循環を実現。人口は10年連続増を達成。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人。

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