「おばあちゃんです。病院と間違えて迷い込んだわけではございません」
76歳の芸人が、芸歴7年目以下の若手芸人がしのぎを削る「神保町よしもと漫才劇場」の舞台に立つ。
「朝おきて 今日も元気だ 医者通い」
64歳で定年を迎え、「自分のしたいことをしよう」と飛び込んだエンタメの世界。自虐めいた川柳を読み終えたおばあちゃんが“したり顔”で見渡せば、若者で埋め尽くされた客席がどっと沸く。
高齢社会を“ほのぼの”とした笑いに変えるおばあちゃん。しかし、その人生は「笑い」とは裏腹に波乱に満ちています。
前編では、おばあちゃんが介護をしているお兄さんのお話を伺いました。
芸名「おばあちゃん」の由来
みんなの介護ニュース編集部(以下、――)
舞台のご出演前のお忙しい時間にありがとうございます。おばあちゃんとお呼びしてもよろしいでしょうか。
おばあちゃん もちろんです。おばあちゃんって呼んでください。
―― ありがとうございます。まずは「おばあちゃん」という芸名についてお伺いできますか。ご自身でつけられたのでしょうか。
おばあちゃん いえ、NSC(※)の同期がつけてくれたんです。
※人気芸人を輩出する吉本興業が誇る総合芸能学院「New Star Creation」。頭文字を取って、NSCと呼ばれている
―― (笑)。詳しくお聞かせください。
おばあちゃん NSCのある授業で「ホワイトボードに芸名を書いてください」と、講師に言われたんです。芸名についてのアナウンスは事前の授業であったのですが、「芸名考えていなかったなあ」とホワイトボードの前で立ち尽くしていたら、後ろのほうから「おばあちゃんでいいよ!おばあちゃんで!」って大きな声が聞こえてきて。
周囲のみなさんも「おばあちゃん、いいじゃん!」なんて言ってくださったんです。それで「おばあちゃん」にしました。
―― 2023年の6月より「神保町よしも漫才劇場」の所属芸人となりました。「エルフ」さんや「オダウエダ」さん、「素敵じゃないか」さん、「ヨネダ2000」さん……次世代のお笑いシーン最前線にいらっしゃる若手芸人さんが活躍する劇場です。
おばあちゃん 所属が決まった時にはとても驚きました。でも、マイペースに頑張っていこうと思っています。
―― NSC入学以前はご苦労も多かったと伺っています。
おばあちゃん 38歳で乳がんの手術をしたのですが、術後1年で卵巣に転移。45歳のときには子宮への転移も判明しました。翌々年に放送大学に入学して、卒業論文として「乳がん手術部の発汗と下着について」をまとめたんです。
―― お兄さまの介護をされているとも。
おばあちゃん はい。兄は現在、介護施設に入所しています。まずは兄についてお話させて頂きますね。
認知症の「予兆」
おばあちゃん 兄は小学生のときに「トラコーマ」(※)にかかってしまったんです。ただ、勉強も運動もできるような人で、子供のころから私の「憧れ」でした。
※細菌に感染して起きる目の疾患。失明や視力障害の原因となる。
あるとき、兄から「目が見えにくい」と言われたんです。
約13年間、毎月の診察日には私も横浜から必ず同行するような生活を続けていたのですが、ついには「失明宣告」をされてしまいました。
―― お兄さまが71歳のときですね。
おばあちゃん すぐに先進医療が可能な場所に転院し、それからまた6年間あまり手術を繰り返しましたが、2021年に兄の右目が失明しました。
―― ご自身の生活がある中で、病院の付添いや都下で暮らされているお兄さまのケアをされていたことは大変だったのではないでしょうか。
おばあちゃん いえ。ただ、6年ほど前から失明の恐怖心からか、夜中にひきつけを起こしたり、大声を出したりするようになったときには……同時期に認知症の症状も見られるようになり、徐々に兄一人で生活することが困難となっていました。
―― 認知症の症状にはどのように気づかれたのでしょうか。
おばあちゃん 違和感は長らくあったのですが、2019年のNSCの卒業公演の際に“直視”せざるを得ないようなことが起こりました。兄も卒業公演を見に来てくれたんですが、“あの兄”が汚れた服を着てきたんです、靴もずいぶんと汚れていて。……本当はそんな兄じゃないんです。
私も私で悪いんです。兄に対して勝手な幻想を抱いていましたから。「なんとか一人でも生活はできているもの」だと。 講演後に不安になって、夫と暮らす私の横浜のマンションに一時的に連れて帰ったんです。
それからは、私が兄が暮らす実家に泊まったり、私たちのマンションに連れてきたりして、夫と二人で兄に寄り添っていました。
―― 当時のお兄さまのご様子はいかがでしたか。
おばあちゃん じっと観察しているとね、扉にぶつかっているんです。トイレに行っても自分の位置がわからなくなって、部屋に戻れないでいることも。そのような生活が続いたことで私も寝不足の日が続くようになってしまい……夫が「俺が隣のベッドで寝る。面倒を見る」と言ってくれたんです。

―― お兄さまと旦那さまのご関係について伺えますか。
おばあちゃん 若いころに兄が夫を助けてくれたんです。
―― 素敵なお兄さまです。
おばあちゃん でも、今度は夫が肺がんで倒れてしまい、私たち二人では介護が難しくなってきたんです……弟が二人いるので兄のことを相談したんですが、弟たちは「そんなことないよ」って言ったんです。「兄さんは元々『とぼけている』から」なんて。まったく掛け合わなかった。認めたくなかったんでしょうね。
当時、認知症の検査もやっていただいたんですけども、「年相応」という結果に。でもね、やっぱり違和感があるんです。
―― お話を伺っていると視力の問題によるものだけではない印象を持ちました。
おばあちゃん 東京の「大きい病院」にも連れて行きましたが、「なんで連れてきたんですか」って言われるんですよ。

施設への入所を検討
―― 当時、あまりご協力的ではないご兄弟へのご不満をお兄さまにお伝えしていたんですか。
おばあちゃん 言わないですよ。兄はとにかく気を遣う人なので。兄には不満を一切言わずに弟たちに対しては「いい加減にしなさい!」と叱りました。
ある日、兄弟も実家にいるときに兄がお漏らしをしてしまったことがありました。トイレまで間に合わなかったんです。弟が兄と同じ部屋で寝ていたはずなのに、兄が起き出して一人でトイレに行く途中にお漏らししちゃって、廊下がびしょびしょに。
すぐに私が片付けて、弟を起こそうとしたのだけれども、ぐっすり寝ていて起きない。「頼む相手を間違えたか」と感じていたところ、兄の親友――ある建設会社の社長さん――が立ち上がってくださり、弟たちに「このままだとお姉さんたち(私達夫婦)が倒れてしまう」と説得してくださったんです。
それでやっと弟たちも重い腰を上げて、「地域包括センター」に一緒に相談に行ってくれたんです。
―― その段階で初めて行政に相談に行かれたのですか。
おばあちゃん いえ。実は以前から兄には「『役所』のいろんなイベントにとにかく顔を出してね」と伝えていたんです。「地域包括センターにも顔を出してね。イベントがあったら必ず顔を出すようにしてね」と言っていたところ、それをやってくれていたんですよ。
―― 行政の方々も状況を理解してくださっていたのかもしれません。
おばあちゃん 行政の方だけでなく、地域の方もすごく良い方ばかりなんです。昔からのお知り合いなので、何かあるたびに力をかしてくれていたんです。それで話がすんなり進んで、要介護認定を受けることができました。
―― 介護認定を受けてからはすぐに介護施設への入所を検討されたのでしょうか。
おばあちゃん 「すぐに施設に」とはなりませんでした。“入れる”という考え方が先行してしまい、ものすごく抵抗があったんです。自由がなくなるのではないか、実家にいるのが一番じゃないか……。
そうかといって、実家に兄を一人にしておくわけにはいかない。ものすごく悩みましたが、それで……。

施設入所については抵抗を感じていた「おばあちゃん」。後編ではおばあちゃんのお兄さんが介護施設に入所されたお話を伺います。