「弊社の看板娘」とは……

コロナ禍が少し落ち着いたせいで、観光地にも賑やかさが戻ってきた。

東京の名所、浅草もそのひとつ。


今回、訪れたのは雷門にほど近いオフィス。中を覗くとーー。

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浅草で人力車を引く看板娘は、女性俥夫の増加に大きく貢献していた

看板娘、発見。


ここは、浅草で人力車による観光業を営む「東京力車(りくしゃ)」。約70人の俥夫を抱えている。

外に繰り出してさっそく登場していただきましょう。

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「よろしくお願いします」。


こちらは、都内の女子大に通う浅野里英さん。俥夫のアルバイト歴は約2年半だ。ご出身はどちらですか?

「生まれたのは東京ですが、父が転勤族だったので、生後すぐにミラノへ。その後、フランクフルトと上海にも住みました」。

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フランクフルト時代によく遊んだ公園(左が妹、右が弟)。


お母さんがよくスーパーマーケットに連れて行ってくれていた。

妹や弟とソーセージ店の店頭に張り付いてニコニコしていると、タダでソーセージを分けてもらえたという。

中学以降は東京暮らし、高校ではチアリーディング部に入部した。

「私はトップで持ち上げられる役でした。下の子たちが持ち上げやすいように、自分が体重をかけるところをはっきり伝えます。さらに、脚を含めて体の全部を固めると持ち上げやすいでんです」。

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高3の夏、最後の引退演技(里英さんは上段中央)。


「ダンス経験もないので、最初はついて行くのに必死でした。でも、昔からの友人に『笑顔が増えたね』と言われました。チア部でがんばらなかったら、俥夫のアルバイトもやっていなかったと思います」。

子供の頃に暮らしたヨーロッパへの思いも強い。

聞けば、つい先日も友人とパリ、ウィーン、フランクフルト、ハイデルベルク、マドリードなどを旅行してきたばかりだという。


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スペインのセゴビアでは世界遺産に登録されている「ローマ水道橋」も訪問。


「私、パンが大好きなんですがパリの『BO&MIE』というお店で買ったクロワッサンがめちゃめちゃ美味しかった思い出があります。外側がパリパリで、バターがやさしく香るんです」。

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地元のファンが多いクロワッサン。


パン好きとあって、里英さんは自分でパンを作ってしまう。しかも、すべて手捏ねなのだ。

「まず、強力粉と水、塩、砂糖、イーストパウダーをひたすら混ぜながら捏ねます。次に一次発酵させて、また捏ねた後で生地を休ませて、成型、二次発酵を経て、ようやく焼くという手順です」。

ひたすら捏ねるのも大変そうだが、単純作業はストレス発散になるという。

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完全手作りのねじりリンゴジャムパン。


ヨーロッパ旅行に話を戻すと、最終日に大事件が起きる。

「マドリードでパスポートを失くしたんです。
どこを探してもないし、友人は先に帰国しているし、スペイン語は喋れないという大ピンチ。

空港で呆然としていたら、隣にいた日本人男性に声を掛けられて、事情を説明したらマドリード在住の日本人女性を紹介してくれました」。

その日は女性の家に泊まりつつ、翌日に警察などでの再発行手続きを手伝ってもらった。

別れ際に「お礼の品を何も持ってないんです」と言ったところ、女性の返事は「私も旅先でいろんな人に助けられたの。そういう出会いは巡ってくるものだから、あなたも困っている人を見かけたら助けてあげてね」という泣けるものだった。

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無事、帰国できました。

--{}--さて、里英さんが人力車の俥夫というアルバイトを選んだのは、ガンプ鈴木さんという男性が人力車で世界を旅する動画を見たこと。さっそく応募したところ、ガンプさんも同じ東京力車の所属だった。

そして、今回の推薦人は俥夫の大先輩、及川 唯さん。なんと元プロボクサーだという。

「いまウチには20人ぐらいの女性俥夫がいますが、もともとはほぼ男性のむさ苦しい職場。でも、里英がSNSで動画を発信し始めてから、女の子からの応募が急に増えました。


彼女自身、一生懸命走ってくれているけど、いてくれるだけでもありがたい存在ですね」。

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「男の俥夫も里英と会話できるだけで嬉しそう」と及川さん。


しかし、浅草にはほとんど来たことがなかった里英さん。研修を受けながら、街に関する知識や歴史を必死で勉強した。

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研修時に使っていたまとめノートは、いまでも時々読み返す。


というわけで、いざ出発です。

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車でも徒歩でもない景色はかなり新鮮。


やがて、スカイツリーのビュースポットに到着。

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これはすごい。


里英さんが「スカイツリーの高さはご存知ですか?」と聞く。武蔵国だから634メートルですよね。「大正解です!」。


それぐらいは知っていますよと思っていると、細い路地に挟まれるようにスカイツリーが立つという面白い風景を案内してくれた。

さすが、これはガイドなしでは発見できない。

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「隙間ツリー」と名付けたそうだ。


続いて、通りかかったのがこれまた浅草の定番名所「神谷バー」。電気ブランが有名ですよねと振ると、里英さんの説明ははるかに濃かった。

「あのビルは空襲で奇跡的に焼け残ったので、浅草で一番古い建物なんです。浅草の復興の象徴、中心地ということで住所が1丁目1番1号となっています」。

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うわ、気付かなかった。


浅草にサンリオショップがあることも知った。オープンは2019年。

「キティちゃんの目が開いていますが、あれは夜になると閉じるんです。眠っているということで」。


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単なる観光ガイドを超えた解説。


浅草らしいB級グルメも教えてもらった。

メンチカツ、天ぷら、トンカツ、唐揚げなどの匂いを嗅ぎながら、その名も「もんじゃころっけ」(400円)。つうは「もんころ」と略すらしい。

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出来上がりを待つ人々で賑わっている。


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もちろん、人力車に乗りながらいただきます。


なんというか、もんじゃよりはコロッケよりの味だった。とにかく、浅草らしいことに変わりはない。

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浅草六区通りにて記念撮影。


人力車は日本固有のものかと思っていたが、よく考えたら海外にも似たような乗り物はある。里英さんがマレーシアで撮影したという壁アートの写真を見せてくれた。

「世界遺産の街、ジョージタウンにストリートアートが有名な一角があって、そこで人力車の絵をたまたま見つけました。日本人っぽい紳士が乗っています」。

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マレーシアでは人力車を「トライショー」と呼ぶ。


このアルバイトを始めた当初は声を掛ける営業が苦手だった。しかし、数字にとらわれず、自分が楽しむことだけを考えるようにしたところ、営業成績も上がったそうだ。

現在、大学3年生。すでに、大手IT企業への就職が決まっているが、もしかすると卒業後も休日は人力車を引いてくれる……かもしれない。

では、読者へのメッセージをお願いします。

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[取材協力]
東京力車
https://tokyo-rickshaw.tokyo
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