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大丸隆平(おおまる・りゅうへい)と初めて挨拶を交わした時、最初に目に飛び込んできたのは彼が着ていたTシャツだった。ニューヨークのチャイナタウンで購入したというパンダをあしらったTシャツ。間の抜けた表情の2匹のパンダが座っている。自宅には同じ柄のTシャツが20着くらいあるという。
大丸は、ニューヨークを舞台に、名だたるトップブランドのパタンナー(デザイナーの画を元に型紙をつくる)として名を挙げた。Alexander Wang、Thom Browne、Prabal Gurung、Jason Wuなど、合計2万着以上のパターンメイキングを手がけてきた。
2013年のオバマ元大統領の就任式の際、夫人のミシェル・オバマが着た服や、最近では次期副大統領就任が確実なカマラ・ハリスの服も、有名ブランドのデザイナーが大丸を指名して、つくらせた。
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パタンナーとしての豊富な経験を基に、大丸は2015年には自らのブランド「OVERCOAT(オーバーコート)」を立ち上げている。性別、人種、年齢にとらわれず、どんな人でも着られるように、ほとんどの服がワンサイズという特徴を持っている。
5年経ったいま、大丸はブランドをさらに加速させようとしている。過去最大規模のポップアップを開くために、このほど帰国した。しかし、コロナ禍でファッション業界全体が大打撃を受けているなかで、彼はどんな勝負を仕掛けるというのか。
主要科目とアウトプット
福岡県出身の大丸、教育熱心な両親に言われるまま勉強に励み、高校は地元の進学校に入学した。だが、16歳のとき、途中で学校へ行かなくなってしまう。
学校では、鳥かごに入れられたような不自由さを感じていたという。国語、数学、物理、歴史など主要科目と呼ばれる教科の勉強はインプットばかり。アウトプットを重視する美術や体育は、「サブ」としてみなされる。アウトプットがもっと肯定されるような場所はないのか。大丸がその思いを強くしたのは、祖父の死がきっかけだった。
「うちは家具屋だったんですが、おじいちゃんが死んだ時、遺影を置く台を家族で探したんです。おばあちゃんがちょうどいい台があると言って、小さな机を持ってきた。それはおじいちゃんが初めてつくった勉強机でした。おじいちゃんが最初にアウトプットした作品のうえに、彼の最期を飾る写真が載っている。その人が死んでも、作品は残り続ける。
大丸はその頃から、服をつくるようになる。学校に嫌気がさしてから、救いを求めるように服の世界にのめり込んだ。
おばあちゃんとピンク髪青年
学校へ行くのをやめてしまった大丸を説得するため、20人ほどの親戚が集まった。しかし、彼はその場で学校ではなく家出という選択をする。友達の家を転々としながら、服づくりに勤しむ。書店で何冊も服づくりの本を購入して、見よう見まねでつくる。時には服にペイントを施し、アート作品のように仕立てたこともあったという。
そんなとき、ファッションの世界に没頭していた大丸は、ある女性を紹介される。大丸の人生に大きく影響を与えた人物だ。彼女は教室を主宰して、主婦たちに洋裁を教えるおばあちゃんだった。独学で服づくりをしていた大丸だったが、初めて「先生」につくことになった。
当時、大丸はピンク色の髪に迷彩の服を着ていた。「大人はみんな憎んでいました」というくらい、世の中に喧嘩を売るような格好をしていた。
学校へ行かない大丸を否定してきた大人たちのなかで、おばあちゃんだけが唯一心を許せる存在だった。彼女はそんな大丸に、2年間、洋裁の基礎を丁寧に教え、彼を山本耀司、高田賢三、コシノジュンコなど、名だたるデザイナーを輩出していた文化服装学院へと導く。
「彼女のご主人は、古い人だから、相当厳しかったようです。女性は家で家事をしなくてはいけないと言っていたらしく、洋裁は夫が寝てからやらなくてはいけませんでした。でも、普段はそんなことは表面には一切出さない人でした」
パンク・ロックのセックス・ピストルズを聴きながら、主婦に囲まれて洋裁を懸命に学ぼうとする大丸に、彼女は好きなことに一心に突き進む自分を重ねていたのかもしれない。
ニューヨークへの旅立ち
ファッションの道で生きていくことを決め、無事に文化服装学院を卒業すると、彼は日本の有名ブランドで働くことになる。才能が花開き、その後アメリカのIT企業からデザイナーとしてヘッドハンティングされることになる。
ニューヨークに行くことになったのは、その誘いがきっかけだった。しかし、IT企業の業績が悪化し、現地に着いてから契約は白紙となってしまう。すでに日本の自宅も引き払ってしまったため、帰るところもなく、そのままニューヨークにとどまることを決意する。
ブルックリンの安アパートで、男4人での共同生活を始めた。ある日ルームメイトの1人が「僕の友達が、服づくりができる人を探している。
大丸がつくった服を見て、手伝ってあげた友達は感動した。こんな完璧な服づくりができる日本人がいるなんて、と。口コミで、大丸の噂はあっという間に広まり、たくさんの仕事が舞い込んできた。くるものは拒まずで注文に応じているうちに、今度は大丸は指名されて仕事を依頼されるようになる。大丸の実力は、世界のトップデザイナーが認めるまでになっていた。
OVERCOAT立ち上げ
パタンナーとして年間2000着の服をつくる一方で、彼はデザイナーとしての夢を実現することも考えていた。いまでこそ性別関係なく着られる「ジェンダーレス」がファッションの1つのトレンドになっているが、大丸は学生の頃から、そのようなもっと自由な服がつくれないかと考えていた。
OVERCOATは、彼がパタンナーとして何万人もの体のサイズを測って、自身の身体に刻み込んだ何万というビッグデータから、「最適解」を編み出してつくった奇跡のブランドだ。どんな大男でも小柄な女性でも着こなせるようなデザイン。それを可能にしているのが、OVERCOATだ。
ジェンダーレス、エイジレス、サイズレスのデザイン(写真=OVERCOAT)布を羽織った時、その中心がセンターバックネック(肩と肩を結んだ中心線)に揃っていれば、誰でも美しく纏うことができる。
ブランドのコンセプトは、「Wearing New York (ニューヨークを着る)」。ニューヨークの街を歩いていると、至る所でオーニング(カフェやデリカテッセンの軒先に掛けられている天幕)を見かける。
時にはスペルミスがあったり、ド派手な色を使っていたりするが、マテリアルには雨風に強い布を使っている。これを使ってコートをつくれば、防寒性に優れた服が出来上がるのではないか。ニューヨークでの大丸の日常生活から、唯一無二のアイデアが生み出されたのだ。
MADE “BY” JAPAN
OVERCOATの服は、すべて日本人によってつくられている。ブランドのプロデュースチームはニューヨークを拠点にする日本人たち、そして製作部隊、つまり生産工場は日本にある。彼が「日本」にこだわる理由は、その高い技術力だ。
「大量生産となると対応が難しい小さな工場でも、そこで働いている人たちの腕は確かです。僕たちも小さいチームだからこそ、数に限りがあっても確かなクオリティのものをつくっていきたいと思っている。MADE IN JAPANではなく、MADE “BY” JAPANなんです。日本という場所ではなく、日本人によるクオリティを伝えたいんです」
日本に帰国するたびに、その足で衰退していくアパレル産業の工場をまわってきた大丸。
しかし、日本のスキルにこだわりながら、なぜコンセプトは「ニューヨークを着る」なのか。それは世界で勝負するために、あえて理解しやすいコンセプトを選んだからだったという。
人種のるつぼと言われるニューヨークでさえ、現地で暮らす大丸の目には、まだまだ白人中心の社会と映る。特にファッション業界では、日本人は圧倒的にマイノリティなのだ。この街を動かす人々の目線で考えなければ、届くことさえ困難なことをよく知っている。
高まる口コミの需要
パタンナーとして成功を収め、デザイナーとしても順調に軌道に乗り始めた大丸だったが、今年、コロナ禍によって、新たな厳しい現実を突きつけられた。3カ月のロックダウンで、パタンナーとしても多くの仕事を失った。ようやく7月末にOVERCOATの展示会を日本で開き、それと同時に一般客向けにもポップアップを開くことにした。
しかし、ちょうど東京を、新型コロナウイルス感染の第二波が到来、しかも真夏の外気温は38度、照りつけるような炎暑のなかで、コートを売ることになった。「誰も来ないだろうな」と大丸は諦めかけていたが、予想に反してOVECOATは飛ぶように売れた。
次から次へと訪れたお客さんは「何を選べばいいかわからなかったんです」と口を揃えて言った。情報が溢れる社会の中で、本当にいいものを選ぶ基準。それは口コミだった。厳しい状況にもかかわらず、大丸の服の良さを拡散したのは、その服を買った人たちだった。
コロナ禍でリアルに人と人が触れる機会が減ったからこそ、親しくする友人の感想は価値が高まっている。食べログやグーグルなどに見られるマスの評価ではなく、自分が信頼している人のオススメが心に響くのだ。
「まるで呉服屋で服を買っていた時代に戻ったかのようです」と大丸は表現する。過去最大に売れたポップアップに手応えを感じ、再び、この年の瀬にも開催することにした。
「開催しようと思ったら、第三波です」とおどけて言うが、大丸には再び試練が待ち受ける。しかし、彼は「本物の技術」には自信がある。100万枚を売ることではなく、50着、100着を丁寧に売ることに集中する。だからこそ、口コミもさらに力を増すのだろう。
例のパンダをあしらったTシャツをポップアップ会場でも着ながら、嬉しそうにお客さんに語る大丸。「日本」に縛られず、「日本の技術」を売る。世界の舞台で戦い続ける彼の挑戦はこれからも続く。
[イベント詳細]
オーバーコート ポップアップストア
期間:2020年12月2日(水)~8日(火) / 10日(木)~13日(日)
住所:東京都港区六本木5-2-4 ANB Tokyo 4F
営業:13:00~19:00
井土亜梨沙=文 曽川拓哉=写真
記事提供:Forbes JAPAN