俺のクルマと、アイツのクルマ
男にとって車は名刺代わり。だから、いい車に乗っている人に男は憧れる。

じゃあ“いい車”のいいって何だ? その実態を探るため「俺よりセンスいいよ、アイツ」という車好きを数珠つなぎに紹介してもらう企画。

■16人目■
赤池 茂さん(53歳)

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アカイケシゲルさん。53歳。車関連の仕事とともに、週末には地元神奈川県葉山町のアウトドアフィットネスクラブで、マウンテンバイクの講師を務めている。アウトドアフィットネスとは、自然の波や山を利用して、アウトドアの気持ち良さにフィットネス要素を採り入れた新しいフィットネスだ。

■ボルボ 240セダン■

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン

愛車はボルボの1985年式、240セダン。

ボルボは自社で販売した車の自己調査結果を収集し、1972年に安全実験車を発表。この実験車での成果を反映して1974年に販売したのが240/260シリーズだ。その安全性能の高さと、「空飛ぶレンガ」と言われるほどレースで活躍した勇姿などにより、世界中で大ヒット。ボルボの名を世界に広めた名車だ。


原点は「なんでも自分でやった」世界一周

3年かけてバイクで世界一周したことのある赤池さんにとって、’85年式の240に乗り続けるというのは、さほど難しいことではないのかもしれない。

例えば、止まれば死に繋がるアフリカの砂漠を横断する際は、直前のヨーロッパでバイクのオーバーホールを行い、大型の燃料タンクに載せ替えるなど、何でもひとりでやってきたのだ。

車だって構造さえわかれば何とかなる。

実際、240でもたいていの修理は自分でやれるという。

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン
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「高校生の頃からバイクに乗るのが好きだった」という。あまりにも好きすぎて、仕事を辞めてまで日本一周を始めたほどだ。

その旅の終盤、沖縄の離島へ向かうフェリーの中で「サハラ砂漠は面白いぞ」と語る、バイク乗りの旅人がいた。バイクでサハラ砂漠なんて、えらいホラを吹くおっさんだなとその時は思ったそうだが、離島に着いて他の旅行者とお酒を飲みながらその話をしたら「それって、賀曽利 隆さんじゃないか?」と言われた。

賀曽利 隆さんとは、日本人で初めてバイクでアフリカを横断した第一人者であり、日本人で初めてパリダカへ参戦した伝説のバイカー。

それを聞いた途端「バイクって奥が深い。日本一周なんかより、世界のほうが面白そう!」と思ったという。

だから本当は沖縄から四国へ行く予定だったが、すぐにキャンセルして東京へ戻った。アルバイトでお金をため、まずはアメリカへ。

ネイティブアメリカン居留地で数日過ごした後、現地の新聞の個人売買の欄を見てバイクを買い、それにまたがってアメリカを横断。一旦帰国すると今度は3年間しっかりお金を貯めて、世界一周の旅へと出掛けた。

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン
カーナビもスマホの案内アプリも使わない。「頭の中にだいたい地図がある」からと。地図本も一応載せているが、林道まで頭に入っているという。

世界一周の途中で、父親が亡くなり、一時帰国。その際に久しぶりに会った一緒にバイクで遊んでいた友達から「仲間のひとりがマウンテンバイクを始めたんだけど、面白いから一緒に行かないか」と誘われた。

誘われるままにマウンテンバイクに乗ってみると「これがまた面白い」。しばらくして再び世界一周へと出掛けたが、マウンテンバイクの楽しさは脳裏に残り続けた。


マウンテンバイクを楽しむためのボルボ・240

帰国後しばらくしてエンジンの付いたほうのバイクをやめた。理由は「子供と一緒にいる時間をふやしたかったから」だという。

“バイク遊び”は、主に国内のオフロードコースを走ること。

しかしそのために週末はしょっちゅう県外まで出掛ける必要があった。「そうなると幼い娘と遊べない。それがかえってストレスになっていったんです」。

そんなときにマウンテンバイクを思い出した。

住んでいるのは葉山。ヨット発祥の地ということもあり海のイメージが強いが、実は起伏に富んだ里山がたくさんある。

「試しにと裏山を走ってみると、すごく面白かった」。近場なら子供と遊んでからでも楽しめる。すぐにマウンテンバイク一辺倒になった。同じく近場で楽しめる波乗りも楽しむようになった。

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン
お気に入りのひとつはキリッとしたこの角目ライト。

娘が手のかからない年頃になると、今度はマウンテンバイクでオフロードコースを走りに出掛けたくなった。「だったら足が必要だなと思い、自動車工場を経営している知人に相談したんです。そしたらちょうど3台ほど車が余っているから、好きなヤツを持っていっていいよって」。

軽トラと、いすゞのジェミニと、青いボルボの3台。いずれもタダで譲ってくれるという。「ボルボがいちばん維持に苦労するなと思ったんですけど、でもなぜか惹かれたんですよね」。

こうしてボルボが愛車となった。「最初は遊びに行く道具として、車を手に入れたつもり」だったのだが、予想通り、道具としてはやたらと手がかかる車だった。

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“グローブをしたままでも操作できる”が、240の魅力のひとつ。この大きめのスイッチ類も「かわいい」そう。

しかし先述のように、たいていの修理は自分でこなせる赤池さん。故障のたびに自分で直す、を繰り返しているうちに「次第に愛着を持つようになったんですよ」。

ほかにも運転中は、異音や異臭がしないかと耳や鼻をフル稼働させていなければならないし、ステアリングを回す手のひらや、アクセルやブレーキを踏む足裏の感覚に、普段との違いがないかと注意を払わないといけない。何かと手がかかる車だった。

それでも、マウンテンバイクで熱くなった気持ちを、スピードをあまり出せず、ゆったりと走るボルボで帰路につくことは、心地良いクールダウンになるという。相棒としては最高だった。

こうして6~7年乗り続けていたのだが、昨年の1月、ボルボとの絆を決定づける出来事が起こった。


奇跡的に回ってくれたエンジン

その日もマウンテンバイクを楽しもうと、西伊豆のオフロードコースまで出かけた。

その帰り道の山の中、伊豆スカイラインを走行中にエンジンが突然ストールして減速しはじめたのだ。慌てて車をとめ、キーを回してみるがうんともすんとも言わない。

「ハーネスがショートして、オルタネーターが動かなくなっちゃったようなんです」。すぐにどこでショートしているのか愛車をくまなく調べるが、目に見えるところにその症状はない。

「見える所なら何とかできたかもしれませんが、裏のほうでショートしてしまったらしく、お手上げでした」。

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン
年式相応のサビもそこかしこに。それもまた味になっている。

その後幾度かキーをひねってみたが、何も起こらない。しばらく呆然としたという。「たぶん10分くらいはボーッとしてました」。1月の伊豆の山中はかなり寒い。しかも日も暮れて辺りは真っ暗だ。車は一台も通らない。

「ダメもとで、かかってくれと願いながらもう一度だけキーをひねってみたんですよ」。すると、セルモーターが回ってエンジンがかかった。

「え、そんなハズは……」と、かかってほしいという気持ちとは裏腹にビックリしたが、実際エンジンは目の前で音をたてて回っているのだ。不思議がっている場合ではなかった。慌てて車を走らせ、伊豆スカイラインの料金所までたどり着くと、青いボルボはそれを見届けたとでもいうように、再びストールして、静かになった。

「結局、料金所の人に状況を説明して、暖をとらせてもらいながら修理工場のキャリアカーを待つことができました」。

きっと最後の力を振り絞って、ご主人を人のいる場所まで送り届けてようとしてくれたのだろう、と赤池さんは振り返る。こうなるともう、簡単には手放せない。

「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン
キャリアにマウンテンバイクを積んで各地のオフロードコースへ。遠いところでは長野の白馬まで走る。

その後愛車はボルボに詳しい修理工場に預け、すべてのハーネスを新調した。「おかげで今は絶好調」だという。

絶好調の青い240なら、欲しがる人がたくさんいそうですねと言うと「ファッションでボルボが欲しいという人には、譲れないです」。

そもそも自ら修理するほど手塩をかけてきた愛車だ。しかも伊豆の山中での恩義もある。「万が一譲るとしても、僕と同じかそれ以上に手をかけてくれる人じゃないと」。

そうは言っても葉山の狭い道には大きすぎるし、「修理に出している間に乗った国産車のほうが何も気にせず乗れるからめちゃくちゃ便利ですけどね」と笑う赤池さん。

けれど、青いボルボとは常に対話がある。エンジン音やステアリング、アクセルペダルなどの感触から「そろそろ踏んでもいいかな?」と話しかけられる相棒と、もうしばらく付き合っていくようだ。

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「ファッション感覚の人には譲れない」車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン

鳥居健次郎=写真 籠島康弘=取材・文