北斎が琉球の景勝地を描いたのは73歳だった1832年ごろとされる。志ぃさーさんは、部屋の片付けに無頓着だった北斎が90年の生涯で93回引っ越したエピソードを紹介。「ある時、引っ越した先に紙くずが散らかっていた。
当時は、琉球の使者約100人が薩摩藩の役人千人超と共に半年かけて江戸を目指す「江戸上り」が評判を呼んだ。中国風の衣装で音楽を奏で、各地に見物人があふれる「琉球ブーム」の中、半兵衛が北斎に絵を頼みに来る。聞けば、琉球使節の少年が病気になり「死ぬ前にふるさとの景色をもう一度見たい」と言っているからだという。
少年の死に際になって、絵を5枚描き上げた北斎。
「若(わけ)えのによぉ、残念なこったい。将軍さま、何のお役にも立てねぇ。申し訳ねぇ」と嘆く北斎を家斉はねぎらう。絵をあと3枚描いて「琉球八景」として売り出し、少年を供養しようと提案する。
「琉球のためにこれだけの傑作を描けるのは、後にも先にもおめぇしかいねぇよ」。家斉の粋な計らいで観客をほろりとさせた。
同美術館の開館時間は午前9時半から午後5時(金曜は午後7時)。琉球八景展の会期中、休館日はない。問い合わせは同美術館、電話098(879)3219。