レギュラーの邦楽名盤では、誰もが名盤と認めるアルバム多くの人が知るアーティストの代表作を紹介しているが、この【独断による偏愛名作】は “独断”と“偏愛”とサブタイトルを付けているくらいなので、誰憚ることなく、筆者の好きなアーティストについて書かせてもらうことになっている。今回はその中でもトップクラスに思い入れの強いバンド、長澤義塾である。
思いのたけは本文にたっぷりと書いたので、このリード文ではあまり語ることがないくらいだが、強いて付け加えるのであれば、長澤義塾を知る人からこの拙文を喜んでもらえるのももちろん嬉しいけれど、それ以上に、彼らを知らない多くの人たちに長澤義塾の音源を聴くきっかけになるのではあれば、とても喜ばしく思う。

埋もれたままはもったいない

失礼を承知で申し上げると、今回紹介する長澤義塾は、当コラムが紹介してきたさまざまなアーティストの中で最も知名度の低いバンドだろう。いや、そう断言してもいいと思う。“ながさわぎじゅく”と読む。メンバーは、長沢一浩(Vo)、逆井 信(Sax)、田辺秀樹(Gu)、平出 悟(Dr)、原田 淳(Ba)の5人。1992年3月、シングル「春をとめないで」でメジャーデビュー。
同年4月、1stアルバム『かかってきなさい』を発表し、翌年1993年10月に2ndアルバム『グラッチェ!』をリリースしたのち、解散している。公式サイトはなく、Wikipediaにも長澤義塾の項目はなかったので、解散の正確な日付も分からないし、その後のメンバーの活動も公にはなっていない(ちなみに、上記の短いプロフィールを探すのも若干難儀したほどではある)。

ヒット曲がひとつでもあれば、その名を覚えている人もそれなりにいたかもしれないが、残念ながら彼らの楽曲で多くの人が知るものはない。音源の少なさ、活動期間の短さからしても、“知らない”が正解である。しかしながら、知名度の低さは、そのアーティストの優秀さに直結しない。長澤義塾を知らない人はこの機会に是非覚えて帰ってほしいと心から思う。
解散から30年経ったが、彼らの音楽は古びていない。実名は挙げないけれど、長澤義塾と同時期に世に出たアーティストの音源を今聴くと、デジタル音の多さに却ってチープさを感じてしまうことがよくある。それらの中にはメロディーの抑揚がなさ過ぎて、チープを通り越し、陳腐に感じてしまうものがあるのも事実だが、長澤義塾の音源からは──1990年代らしいドンシャリ感があるのは否めないところではあるものの、時代の一過性をほとんど感じないのである。むしろ今だからこそ、多くの人たちに受け入れられるのではないかと、筆者は半ば本気で思っている。

海外の一部好事家の影響から逆輸入されるかたちで1970年代、1980年代の邦楽がシティポップとして持て囃されている昨今。ここ数年、当時のレコードの再発も増えている。
CDだけでなく、アナログ盤での再発も多く、それはそれで業界全体にとってはいいことではあろう。当時埋もれていたアーティスト、楽曲には優れたものがあったことも事実だし、復刻はまったくもって意義深いことではある。だが、埋もれた名盤、名曲は1970年代、1980年代よりも1990年代のほうが多いように思う。当時のメイン媒体であったCDの売り上げは世界的にも1997年から1998年がピークだったと言われている。玉石混淆は承知だが、それにしても圧倒的に分母が違うわけで、埋もれた玉が1970年代、1980年代の比ではないことは、数学的にも想像できる。加えて、現代にはサブスクがある。
サブスクそのものの良し悪しには議論はあるようだが、リスナーは手軽にあらゆる音源を聴ける時代になっている。海外の一部好事家がそうしたように(今回のシティポップブームは海外のリスナーがサブスクで発掘したことに端を発した…という説がある)、リアルタイムでは陽が当たらなかった1990年代の作品を誰もが発掘できる土壌は整っている。1970年代、1980年代の良質音源はそろそろ掘り尽くされただろう(確証はありませんが…)。

次は1990年代だ。未だ埋もれた良作の発見、再発見が相当数期待できる。その中で、筆者はまず長澤義塾を推したい。
以下、彼らの2nd『グラッチェ!』についてあれこれ述べていくが、この駄文に少しでもピンと来た人は何はともあれ、『グラッチェ!』、あるいは1st『かかってきなさい』を聴いてみてほしい。幸い、ともにサブスクにある。とりあえず長澤義塾で検索である。

良質なメロディーを贅沢に展開

前置きが長くなったが、これは筆者の熱量の余り故のこととご理解いただければ幸いである。ここからは長澤義塾の優れたところを述べたいと思う。まず何と言ってもメロディーがいい。
歌の主旋律は親しみやすく、印象的なものばかりである。あえてジャンル分けをするならば、J-POP要素強めのR&Bといった感じだろうか。どのフレーズにも滑らかな抑揚がしっかりとあり、加えていわゆるA、B、サビという展開もちゃんと持っている。『グラッチェ!』収録曲は全てそうで、曲間のブリッジやインタールードの役目となるような捨て曲はない。

それでいて、さまざまなタイプのメロディーがある。アップチューンでは、M1「さるのしっぽ」はポップで、M4「BLACK JACK 21」はシャープ、M9「消えた参謀」は疾走感がある。テンポが緩めな楽曲で言えば、M5「リーチ」は柔らかく、M7「Garden of Flower Child」はメロウ、M8「ライバル」はアーバンな雰囲気、そしてM10「2 OUT満塁」はどこかノスタルジックと、それぞれに個性的だ。もっとも、筆者はすでに歌詞やサウンドを含めて耳にしているからそんなイメージを持ったのだろうが、仮に歌詞やサウンドがなかったとして、どれもこれも、初めて聴いた人も毛嫌いすることなく聴ける旋律ではあると思う。10曲あるので、どんな人でも間違いなく、ひとつやふたつはお気に入りのメロディーが見つかるだろう。

このメロディーの良さは、楽曲にはR&Bやソウルの要素がありつつも、長沢の歌唱がフェイクなどに逃げていないところにも要因があるのではないか。今回、改めて本作を聴いてそんなことを感じた。2000年以降すっかりシーンに定着したコンテポラリR&Bでは、フェイクを多用した歌唱で歌にエモーションを込めることが多々ある。プレーンに歌うよりは迫力が増すし、多くの場合それはそれで問題ない。だが、中には大したメロディーでもないのに、必要以上にフェイクを駆使したり、必要以上にハイトーンを繰り出したり、曲芸と見紛うような楽曲もたまに見受けられ、興醒め、閉口することがたまにある。長沢の歌唱にもフェイクもアドリブもあるにはあるが、それらは必要最低限に抑えられている。歌をないがしろにしていないというか、歌の主旋律の音符を丁寧に追っている印象が強い。今回、『グラッチェ!』を聴き直して、改めてそこに好感を持った。要するに、ちゃんと歌っているのだ。だから、ほとんどの歌詞がはっきりと聴き取れる。そこもいい。メロディーをないがしろにしないことが、言葉も軽んじていないことにもつながっているようにも思う。

メロディー展開──いわゆるA、B、サビの件についても触れておこう。ポップであったりキャッチーであったりする主旋律が、実にいいバランスで配置されていることもまた長澤義塾楽曲の特徴である。先にJ-POP要素強めと言ったのはそこにある。“メリハリがある”と言ってもいいかもしれない。フレーズ単位でもいいメロディーが、表情を変えながら、いい案配で連なっていく。この“いい案配”がポイントで、激しく転調するような突飛さではなく、予想が付く範囲でもなく、とてもいい具合にメロディーが続いていくのである。筆者は、コード進行など楽曲制作における専門的なことはよく分からないので、そこにどんな秘訣があるのかは正直言ってよく分からないのだが(申し訳ない)、その展開の妙味も長澤義塾楽曲の気持ち良さに大きく関与しているのは間違いない。個人的にはM3「太陽にホエールズ」とM5「リーチ」が特に良かった。ともに注目したのはBメロ。“サビ前にまだこんなメロディーが出て来るのか!?”と、驚きに近い感想を持った。もちろん、そこからつながるサビもちゃんとしているので、何とも贅沢な気分にさせてくれる。この稚拙な表現で読者にどこまで伝わっているか、我ながら甚だ疑問だが、実際に耳にしてもらえれば、共感してくれる方もいらっしゃると思う。

さまざまなフックが用意されたサウンド

素敵なメロディーを支えるサウンドはバラエティー豊かだ。M6「ZABAZABA」で聴こえてくるキレのあるブラス、M3「太陽にホエールズ」やM9「消えた参謀」などでの軽快なギターのカッティングからは、基本にあるのはソウルミュージックであり、ファンクであることが分かる。M9の間奏でのハイトーンのコーラスは明らかにブラックミュージック由来だろう。しかしながら、決してトラディショナルなそれらだけを目指したバンドではなかったことも聴けばよく分かる。マニアックになり過ぎず、それでいて、ポップスに寄り過ぎない、5人によるバンドサウンドで仕上げている。サウンドもまた聴き手を選ぶようなところはないのである。M1「さるのしっぽ」やM5「リーチ」ではリズムにラテンのフレイバーも取り入れおり、米国音楽に限らず、広くダンスミュージックを標榜していたと見ることもできるだろう。

M7「Garden of Flower Child」やM8「ライバル」といったミドル~スローのナンバーは、先に述べたように、メロウさ、アーバンな雰囲気を持ったサウンドだし、M10「2 OUT満塁」はボサノヴァタッチだ。この辺を抵抗なく聴くことができるリスナーはどの世代にも結構な数いると思われるし、シティポップブームで1970年代、1980年代の音楽を好きになった人は特に気に入るのではなかろうか。逆井信というサックスプレイヤーがいることは長澤義塾のサウンドの大きな特徴である。とりわけM5、M8ではそれが色濃く出ている。その音色、旋律は1980年代AORの雰囲気を受け継いでおり、その時代が好きなリスナーにはたまらないものではないかと思うし、バンドサウンドに上手く溶け込ませることに成功しているので、より面白く聴くことができると思う。また、先ほど歌メロばかりを強調したが、サックスの奏でる旋律も歌メロ同様にメロディーアスでありキャッチーである。その存在が楽曲全体を厚くしているのは間違いなく、初めて聴くリスナーの中には、そのサックスの音色に惹かれる人も出てくることだろう。長澤義塾サウンドにはいろいろなフックがあるということだ。

いいメロディーとバラエティに富んだサウンドというと、ポップで賑やかなバンドと想像する人もいるだろう。それはそれで間違っていないと思うけれども、個人的には、長澤義塾の歌詞からはロックを感じる。“ソウル、ファンクと言っておきながら、ロックとは何だ?”と訝しがる方もいらっしゃるかもしれない。サウンドのロックというよりは、スタンスやスピリッツのロックである。余計に何のことだか分からないだろうから、注目すべき歌詞を以下に挙げてみる。

《お山のてっぺん まだ遠く/駆けずり上げれば また下がる I surrender》《転ばず CHA-CHA-CHA/昇らせて MOUNTAIN TOP》(M1「さるのしっぽ」)。

《砂時計が落ちるように 消えそうなボリュームを上げて/胸の奥に沸き上がる熱風を 高らかに叫び続けて/アンナコトもコンナコトも 歌の中 燃やして/はみ出したまま とび出たまま かなぐり捨てて つきぬけて》(M3「太陽にホエールズ」)。

《燃え尽きる前にせめて この世をかきまわしたい/やけくそになって光るバトン 闇を切り裂け》《研ぎ澄まされた 歌の力で/アトミックパワーなんか へのかっぱ/突き落とされても また這い上がる/鋭い眼差して切り取った Imagination》(M4「BLACK JACK 21」)。

《マリオネットな要求は 聞いたらダメさ 聞いたらダメさ/でたらめばかりのアン・ドゥ・トロワ そんなのイヤさ そんなのイヤさ》(M9「消えた参謀」)。

上昇志向も貫かれているし、レベルミュージック的要素もある。これはもう完全にロックと言っていいだろう。M4やM9はパンクと言えるかもしれない。もちろん『グラッチェ!』にはこうした内容だけではなく、M7「Garden of Flower Child」のようにラブソングと受け取っていいものもあるけれど、目立つのはこうしたタイプだ。そこに何かしらの志しがあったことは間違い。ここからは完全に筆者の推測だが、その志しとは、音楽シーンに新たな風を吹かせようとか、自分たちが嗜好する音楽を盛り上げようとか、そういうことではなかったかと思う。1st『かかってきなさい』の1曲目「それゆけスーパーヘリコプター」はこんなフレーズから始まる。

《枯れ木に花を咲かせましょう育てましょう》(「それゆけスーパーヘリコプター」)。

上記フレーズを頭に入れてからM1「さるのしっぽ」を聴くと、筆者の推測は確信に変わる(と勝手に思っている)。そこには“天下取ったる!”といったような強い気持ちがあったことを感じるのだ。そう言えば、1st『かかってきなさい』のジャケには戦国時代の足軽兵のような長沢の姿が写っていた。『かかってきなさい』というタイトルからも意志が感じられる。実際のところ、本人たちがことさら強く天下取りを意識していたかは今となっては分からないけれど、『グラッチェ!』の歌詞からもそれが読み解けることを、一考察としてここに記しておきたい。

結論から言えば、長澤義塾の天下取りは実現しなかった。しかし、今となればそれも無理からぬことだったように思えてならない。彼らがデビューした1992年はいわゆるビーイングブームの只中(その全盛期は翌年1993年と言われる)。B'zZARD、WANDS、T-BOLAN、DEEN大黒摩季らがシーンを席巻していた。また、LUNA SEAがメジャーデビューしたのも1992年で、ビジュアル系ブームの胎動が始まっていた時期とも考えられる。ただでさえ、新人は苦戦を強いられる状況の中、ビーイングとは音楽が異なり、ビジュアル系のような派手な容姿もない長澤義塾がシーンに埋もてしまったのは、ある意味で必然だったとも思える。その証拠に、同じく1992年組のMr.ChildrenウルフルズTHE YELLOW MONKEYもデビュー即ブレイクしてわけではなく、ミスチルの「innocent world」は1994年、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」とイエモンの「太陽が燃えている」は1995年のリリースである。前年1991年デビューのスピッツにしても、1995年の「ロビンソン」のヒットまで4年がかかった。そういう時代だったのである。メジャーでの活動期間が2年程度だった長澤義塾は正当な評価に至ってない可能性は大いにある。あれから30年経ち、音楽シーンも多様性を増した。長澤義塾は、今こそ聴くべきバンドである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『グラッチェ!』

1992年発表作品

<収録曲>
1.さるのしっぽ
2.泣いたカラス
3.太陽にホエールズ
4.BLACK JACK 21
5.リーチ
6.ZABAZABA
7.Garden of Flower Child
8.ライバル
9.消えた参謀
10.2 OUT満塁