2月14日に西野カナのデビュー15周年を記念したオールタイムベスト『ALL TIME BEST ~Love Collection 15th Anniversary~』が発売された。バレンタインデーにリリースされるとは何とも“らしい”ところだ。
全シングル35曲とアルバムリード曲に加えて、その他のアルバム曲、シングルカップリング135曲の中から上位10曲を選出したファン投票盤も含めた4枚組、全51曲という豪華アイテム。彼女のヒット曲と共に平成を過ごしてきたファンにとっては必聴、必携の作品集と言えるだろう。今週はそのリリースに合わせて、彼女自身初の1位を獲得作品であり、平成時代生まれのソロ歌手として初のチャート1位獲得アルバムである『to LOVE』を取り上げる。これまでまったくと言っていいほど西野カナを聴いて来なかった、俗に言う“西野カナ弱者”の筆者だが、かなり興味深く聴いたことを最初に記しおく。

ヴォーカリゼーションの特徴

絶妙な均衡というか、塩梅というか、バランス感覚というか、そうものを感じるアルバムであるし、それはおそらく彼女のアーティスト性でもあるのだろう。これが筆者の西野カナ『to LOVE』を聴き終えての率直な感想である。
濃くはない。かと言って、薄くはない。熱くはない。だけれども、冷めてもいない。太くはないし、細くもない。あと、辛くはない。
しかしながら、甘いだけではない…とか、もうこの辺にしておくけれど、ちょうどいいところを進んでいる印象である。どちらかに傾いたり、どちらかの分量が多くなったりすると、厭味やエグみが出るんじゃないかと思う。もしそうなっていたら、聴き手を選ぶ格好になったと想像してしまうし、そうでなかったからこそ、彼女はミリオンシンガーになったのだろう。

そういうわけで、以下、その“ちょうどいい”と感じたところをいろいろと書いてみたい。…いろいろ書くが、あくまでも個人の感想で、少なくともそれが悪いとかダメだとかいうことではないと、予めご了承願いたい。と、事前に一応予防線を張っておく。


まずは、音楽ジャンルについて…である。『to LOVE』を聴いた限り、これはコンテポラリR&Bに分類されるものであることは分かる。M4「Hey Boy」が唯一ロック要素強めな感じではあるものの、それ以外の収録曲はどれも所謂R&Bと言っていいと思う。最も分かりやすいところはM5「もっと…」で、スクラッチを入れたサウンドからストレートにヒップホップ要素を感じるところではある。歌唱法では、とりわけM13「You are the one」冒頭でのスキャットには“R&B味”がよく出ている。しかし、そうは言っても、その“R&B味”が出過ぎていないのもまた、ほとんどの楽曲で感じられるのである。
M5にしてもそうで、サウンドは如何にもヒップホップだが、歌い上げていないのである。いい意味で癖がないという言い方でもいいかもしれない。メソッドがあることはM13を待つまでもなく分かるし、随所でハイトーンも聴けるのでレンジの広さも確認出来る。しかし、極端に派手なヴォーカリゼーションはまったく見られない。

これは筆者の想像だが、彼女は(もしくは彼女のスタッフは)あえて多彩な歌唱を選んでいないのではなかろうか。そう考える理由は3つ。
ひとつは、これはかなり穿った見方かもしれないが(それなりに正鵠は射ていると思うが)、他アーティストとの差別化である。所謂R&B界では、オクターブと声量を駆使して曲芸のような歌を聴かせる女性シンガーも少なくない。日本国外にまで範囲を広げたら、ブラックミュージックシーンでは迫力ある歌はもはや必須と言ってもいいほどだろう。西野カナはそこと勝負するつもりはない…というと語弊があるが、そことはタイプが別であることを認識しているのではないかと思う。というのも──これがもうひとつの理由だが、そうした曲芸のような歌唱は、そもそも彼女の声質に合わないということ。アルバム冒頭のM2「Best Friend」から、彼女の歌声には独特の揺らぎがあることは多くの人が確認するところではないかと思う。
それは力強さなどではなく、言ってしまえば、どこか寄る辺ない感じである。その寄る辺なさは聴き手側に何らかの効果を及ぼしているのは間違いないし、その中にこそ強さを感じるのが彼女のアーティスト性としておもしろいところではあろう。だが、それはそれとして、彼女の声質は本質的に強めの圧が似合わないのだと思う。誤解を恐れずに言えば、彼女の声は可愛らしいし、そのアドバンテージを最大限に活かすのはバリバリのブラックミュージックではないと思うのだ。少なくとも『to LOVE』ではその判断があったのではなかろうか。もうひとつ、西野カナがあえて“R&B味”を強く出さない理由は、歌詞にもあるのではないかと思う。『to LOVE』の歌詞はその内容からして、歌い上げるタイプであったり、過剰に感情を出したりする歌唱がマッチしないのでないだろうか。その辺は後述する。

メロディーに見る“R&B味”

独特の揺らぎから生まれる寄る辺なさ、可愛らしさは、のちに「トリセツ」(2015年発表のシングル)とかに収斂していったのだろうと、筆者のような極度な“西野カナ弱者”でも想像するところだし、過度に“R&B味”を出さないというか、それを抑えたところ、もっと言えば、迫力を出し過ぎないようにしたところは、それ故に大いに大衆に支持されたのではなかったかと考える。本作『to LOVE』に収録されたシングルナンバーからもその辺は感じられる。具体的に言えば、M2「Best Friend」、M8「MAYBE」、M11「Dear…」、M12「会いたくて 会いたくて」である。いずれもサビがキャッチーなのはシングルとして当たり前として、注目なのは、それ以上にそのサビでの歌唱が比較的プレーンなところだ。M2、M8ではファルセットも使っているし、M2ではスキャットも聴こえてくるので、サビに全然“R&B味”がないというわけではないが、少なくともM11、M12ではそれがまったくと言っていいほど感じられない。M11などは所謂バラードなので如何様にもフェイクを駆使出来そうだし、アウトロ近くではCメロを挟んでサビが3回あって、ご丁寧に…というべきか、その内のひとつはリズムレスなので、“味”を出すにはおあつらえ向きな感じすらある。だが、そうなっていない。それこそ、西野カナらしさ、歌手としての彼女の特徴をもっとも活かすのはそれがベターとする判断があったからではなかろうか。そんな風に思える。もっともこれらシングル曲でも、A、Bメロ、さらにサビにおいても自身が当てているコーラスではR&Bらしいフリーキーな歌い方をしている箇所もあるので、だからこそ、サビはプレーンに…という配慮があったのかもしれない。そういう見方もアリだろう。その辺では本稿冒頭で述べた均衡、塩梅、バランス感覚といったものが感じられるところである。

“R&B味”がないわけでもないし、“R&B味”一辺倒でもない。それはシングルチューンに限った話ではなく、他の収録曲にも見られる。こちらは、個別の楽曲内に“R&B味”がある箇所とそうではない箇所がある…というのではなく、“R&B味”のある楽曲もあれば、そうではない楽曲もあるという見方である。サウンド面ではM5、歌唱法ではM13がR&B的と先ほど指摘したが、ラップ調の歌唱もあるM10「Come On Yes Yes Oh Yeah!!」もそっちに分類されるだろうか。一方、“R&B味”をほぼ感じないのがM4「Hey Boy」である。イントロからエレキギターが鳴るロックチューンで、デジタル音もそれなりに聴こえるものの、基本はバンドサウンドが支えている。リズムからするとサーフロックに分類しても良さそうな印象である。誤解を恐れずに言えば、Avril Lavigne辺りを彷彿とさせるものであろう。本作収録曲ではM7「このままで」が“R&B味”の強いほうだと思うが、M7がありながら、M4もあるというのが『to LOVE』のおもしろいところではあろう。バラエティ豊かと言ってしまえばそこまでだが、R&Bに寄り過ぎない配慮がなされた結果ではないかと筆者は見る。サウンド面で言えば、オープニングのM1「*Prologue* ~What a nice~」からその意志が表れているような気もする。キラキラとした音像と、ディズニー映画の劇伴のようなドラマティックさも有しているM1には、聴き手を選ばない汎用性がある。M8やM9「WRONG」のようなダンスチューンがありながら、M1のようなドリミーな側面もあるというのもまた、本作、ひいては西野カナというアーティストのおもしろいところだろう。均衡、塩梅、バランス感覚はアルバムのサウンドを通しても貫かれていると感じるところである。

歌詞に見る刹那のソウル

さて、最後に『to LOVE』収録曲の歌詞を見てみよう。これはアルバムを頭から通して聴いていて気付いたことだが、サビの歌詞がほとんど変化しない。他のアーティストでは、1番と2番とでサビの歌詞がまるっと変わることもあるし、まるっと変わらないまでも、その一部が変わることはわりとある。本作収録曲はそれがあまりない。シングル曲は、まったく変化しないと言ってもいい。

《ありがとう/君がいてくれて本当よかったよ/どんな時だっていつも/笑っていられる/例えば、離れていても 何年経っても/ずっと変わらないでしょ/私たちBest Friend/好きだよ、大好きだよ》(M2「Best Friend」)。

《もっと愛の言葉を/聞かせてよ私だけに/曖昧なセリフじゃもう足りないから/もっと君の心の中にいたいよ/どんな時でも離さないで》(M7「このままで」)。

《会えない時間にも愛しすぎて/目を閉じればいつでも君がいるよ/ただそれだけで強くなれるよ/二人一緒ならこの先も》《どんなことでも乗り越えられるよ/変わらない愛で繋いでいくよ/ずっと君だけの私でいるから/君に届けたい言葉/Always love you》(M11「Dear…」)。

《会いたくて 会いたくて 震える/君想うほど遠く感じて/もう一度二人戻れたら…/届かない想い my heart and feelings/会いたいって願っても会えない/強く想うほど辛くなって/もう一度聞かせて嘘でも/あの日のように“好きだよ”って…》(M12「会いたくて 会いたくて」)。

サビ頭のM12は、その頭だけが《会いたくて 会いたくて 震える/君想うほど遠く感じて/もう一度聞かせて嘘でも/あの日のように“好きだよ”って…》と縮小されてはいるものの、言葉は寸分違わない。楽曲が進行するに連れて歌詞を変化させてなくてはならないという法があるわけじゃなし、変わらなくとも別に構わないのだけれど、ここまで変わらないと、おそらく徹底してやっていることだと推測出来る。言うならば、あえてリフインさせているということだ。何故だろうか? 考えられる理由としては、やはり強調ということになるだろう。本作収録曲、とりわけシングル曲は、1曲を通じて物語を語るタイプではなく、ひとつのシチュエーションとそれに伴った感情を吐露するタイプである。時系列に沿って進んで行くものではなく、瞬間、刹那を描写したものということも出来る。そう考えると、徐々にテンションを上げていくのではなく、そのエモーションをパッと(ズバッと…とか、フワッと…とか擬音はいろいろあるが)そこに乗せればいいし、歌詞がまったく同じであるが故に、2サビ、3サビで歌い方を変える必要はないのだ。そんな風に考える。歌い上げるタイプであったり、過剰に感情を出したりする歌唱がマッチしないと前述したのはそこである。歌詞、メロディーに宿ったソウルはひとつであるが故に、歌い方がコロコロと変わるのはおかしい。そういう言い方も出来るだろうか。これはあくまでも一考察。実際、彼女自身がどう思っているのかは分からないし、多分、間違っているとも思う。だが、西野カナの音楽は、そんなふうにあれこれと考えさせる余地を孕んでいることは間違ない。考えさせる余地があるということは、ポップミュージックとして極めて優秀ということである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『to LOVE』

2010年発表作品

<収録曲>
1.*Prologue* ~What a nice~
2.Best Friend
3.Summer Girl feat.MINMI
4.Hey Boy
5.もっと…
6.love & smile
7.このままで
8.MAYBE
9.WRONG
10.Come On Yes Yes Oh Yeah!!
11.Dear…
12.会いたくて 会いたくて
13.You are the one
14.*Epilogue* ~to LOVE~