2003年に『わたしのグランパ』でスクリーンデビューした石原さとみ。そこから21年という歳月が流れたが、「新人のつもりで現場に入った」という主演映画『ミッシング』が公開を迎える。
7年前、メガホンをとった吉田恵輔監督(※吉=つちよし)に、石原自ら「吉田監督の作品に出演したい」と直談判し、紆余曲折を経て完成した映画が今作だ。なぜそこまで石原は吉田監督の現場にこだわったのだろうか。そこには石原の強い思いがあった。

■吉田監督の映画『ヒメアノ~ル』での森田剛の演技に衝撃

 NHK連続テレビ小説『てるてる家族』での主演や、NHK大河ドラマ『義経』のヒロイン、数々の連続ドラマ…、輝かしい俳優人生を送っている石原。しかし本人は10代、20代、30代と年齢を重ねるごとに、さまざまな思いを抱えていたという。

 「10代は好奇心と勢いでやってきたのですが、20代になると、夢が叶っていく一方で、失うものもあることを学び、いろいろなことへの気づきがありました。
さらに30代になった頃に『このままじゃいけない』と焦るようになっていったんです」と石原は言う。

 その焦りについて「自分で自分のことが飽きてしまっていた」と表現する。自分が飽きてしまっているのだから、世の中に飽きられてしまうのは必然だと感じたことが焦りにつながっていたのだ。

 「自分はどうやったら変われるんだろう、どうしても変わりたいという欲求が強く、かなりナーバスになっていました。そんな時、吉田恵輔監督の映画『さんかく』(2010年)を見て衝撃を受けたんです。その後も、吉田監督の作品はすべて拝見しているのですが、特に『ヒメアノ~ル』(2016年)に出演されていた森田剛さんが、これまでのパブリックイメージとは正反対の役をやられているのを見て、強烈な印象を残していて。
「今の私には絶対にオファーが来ないような世界」だと感じました。でもその世界に行きたいと強く思って、監督に直談判しに行ったんです」。

 しばらくの時間が経ち、「やっぱりダメなのかな」と思っていた頃、「脚本を書きました」と連絡があったという。石原が吉田監督に直談判してから3年の歳月が流れていた。

 「連絡をいただいた時は、叫んでしまうくらいうれしかったです。『そう、こういうのをやりたかった!』と思って。
絶対やりたいという気持ちしかなかったです」。

■20年のキャリアがありながら、新人のような気持ちで臨んだ現場

 石原が演じるのは、失踪した幼い娘を探すためになりふり構わず感情をむき出しにする母・沙織里。劇中では、これまでの石原からは想像できないような負の感情が湧き出ている。

 「本当に新人のような気持ちで臨んだ現場でした。臨んだというより、そうせざるを得ないぐらい追い込まれていたんです。その意味で、ここからが新しい私の俳優人生のスタートだと思えるくらいの作品になりました」。


 「新人のようにならざるを得なかった」という石原の言葉通り、現場に入ってからは試行錯誤の毎日だった。特にクランクインしたときは、石原と監督は互いに頭を悩ませたという。

 「最初はなにがOKで、なにがNGなのかわからなかったんです。ずっと『監督、わからないです』って言っていました。だんだんと気づいたのは“意識して演じると、NGになるんだな”ということでした。監督は芝居を撮りたいのではなく、人間が生きている姿を撮りたいのかなと感じるようになっていくと、だんだんと見えてくるものがありました」。


■バランスを取るのが大変だった育児と仕事の両立、それでもやる価値があった“吉田組”

 本作の撮影は出産後に行われたが、脚本を読んだのは妊娠する前だったという。

 「脚本をいただいたのは4年前。その後、企画の河村光庸さんがお亡くなりになったり、私の出産を待っていただくなどいろいろなことが重なり撮影時期が変わっていきました」。

 偶然が重なってずれた撮影時期だが、その時の流れは、石原にとって非常に大きかった。

 「自分の命よりも大切な存在ができると、出産前にも読んでいたはずの脚本が、何倍も怖く感じました。小さな命を目の前にがむしゃらに生活しているという経験をしたことで、子どものためになりふり構わず動く沙織里の気持ちが痛いほどわかるようになりました。
出産前に演じていたら、また違った沙織里になっていたんじゃないかと思えるほどに、感じることが違いました。吉田監督の作品に憧れてから、今日まで長い年月がかかりましたが、産後に撮影できて良かったです」。

 漠然とした不安のなか、自ら進む道を切り開いてたどり着いた吉田組。産後間もない撮影について「やはり育児と仕事の両立は大変」と語るが、それだけの思いをして、やる価値があった作品だったと胸を張る。「ちゃんと“役者”になりたい」という思いを体現できた石原。「まだ言語化するのは難しいのですが、今後の活動に生かせる学びが、確実にありました」と撮影を振り返っていた。

取材・文/磯部正和
撮影/山崎美津留