■『発達障害、認められない親 わが子の正解がわからない』著者・ネコ山さんインタビュー【PART1】
――『発達障害、認められない親 わが子の正解がわからない』はSNSでの連載から始まっております。この作品が生まれるきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
【ネコ山】作品が生まれたきっかけは、発達障害についての情報は以前より増えているものの、人によって‘’発達障害‘’という言葉の受け取り方が違うなと感じたことからでした。
また、私自身も子育てをしている中で、「これってうちの子だけ?」「私の対応は正しいのかな?」と悩むことが多く、どんな親も“正解のなさ”にぶつかる瞬間があるのだと感じています。
そんな時に、発達特性のある子どもと向き合う家族のリアルを描いたら、誰かの助けや共感につながるかもしれない…と思ったのがきっかけです。
実際に反響が大きく読者の方々からいただいた声が、作品を続けていくうえでの大きな支えになりました。
――この作品を描くにあたって気を付けたことは何ですか?
【ネコ山】発達障害というデリケートなテーマを扱うにあたり、なるべく「誰かを傷つけないこと」「誰かの正しさを否定しないこと」を何より大切にしました。
また、親の葛藤や迷いをリアルに描き「きれいごと」にしすぎないようにも気を付けました。
実際に育児に向き合っている読者の方にとって「わかる」「自分だけじゃない」と思える作品にしたかったからです。
――主人公のさくらのバイト先で、かつて保育園で働いていたという女性(親が発達障害って認められないのよという女性)登場します。
【ネコ山】この場面では、「親」と「支援者」のあいだにある認識のズレを描きたかったんです。
保育や教育の現場では「この子には特性があるかもしれない」と感じることがあっても、親にそのことを伝えるのは非常に繊細な問題だと思います。
この女性:鮫島さんは、保育の現場で多くの子どもや親を見てきたという立場から、少し上から目線で語ってしまう人物で、「親が認められないのよ」というその言葉には、支援者側の“正しさ”だけが前提になっていて、親が葛藤したり揺れたりする当たり前の気持ちには寄り添えていない。
あえて鮫島さんにそのセリフを言わせたのは、読者に「それって本当に正しいの?」と考えてもらうためでもあります。
そして、その言葉にさくらがモヤッとしながらも言い返せない…という状況も含めて、現実にありがちな“ズレ”や“空気の重さ”を描きました。
――さくら、シュウ、夫など登場人物を描く際に気をつけたポイントなどがありましたら教えてください。
【ネコ山】登場人物を描く際に特に気をつけたのは、誰かを「正しい人」「悪い人」と一方的に描かないことです。
発達障害をテーマにしたこの物語では、登場人物それぞれが持つ背景や立場、葛藤が絡み合うため、誰もが自分なりの正しさを持っています。
主人公のさくらは少し変わった人が好きで、夫やシュウのことを「おもしろい」と感じていますが、子どもを通じて社会と接する中で、だんだんそのズレに気づき始めます。
夫に関しても、単に「理解してくれない人」として描くのではなく、彼なりの価値観や限界、苦しみも描き、立場を尊重しました。
どのキャラクターにも、視点を一方向に偏らせず、複数の角度から見えるように意識しました。
それでも物語の視点は基本的に「母親の心の動き」に重心を置き、さくらの視点から物語を進めるようにしています。
――夫との離婚の危機はなぜ乗り越えられたのでしょうか。
【ネコ山】理由のひとつは、「お互いに完璧ではなかった」と認め合えたからだと思います。…というと聞こえがいいですが、夫がさくらに対しての気持ちを、やっと言葉にしてくれたからです!
“家族でいるために話すことをあきらめない”というのは、希望を持てる部分として描きたかったところです。
――さくらにとってなかなか話がかみ合わない夫・博は、あるいは夫にとってさくらはどんな存在でしょうか。
【ネコ山】さくらにとって博は、「本当は分かり合いたいのに、すれ違ってしまう相手」です。
育児をするうえでいちばん近い存在であってほしいのに、思うように支え合えず、言葉を尽くしても伝わらないもどかしさを感じている相手です。
一方でひろしにとっても、さくらは「自分にはない強さと感情の深さを持つ人」で、どこか距離を感じてしまう存在。
彼は感情の言語化が苦手で、正論や効率を求めがちなので、揺れるさくらの感情にどう向き合えばいいのかわからないことが多かったのではと思います。
お互いにとって、簡単ではないけれど“逃げずに向き合う価値のある相手”だと思っています。
【インタビューPART2に続く】