中井は1995年、元プロ野球選手で当時ヤクルトに所属していた古田敦也氏(59歳)と結婚。その後、なかなか子どもができず不妊治療を始めたが、子宮にたくさんの筋腫ができる「多発性子宮筋腫」と診断された。中井はこれが不妊の原因のひとつだと思い、子宮筋腫の摘出手術を決断した。37歳だった。
手術は成功したが、痛みと発熱が収まらず、その後「腹膜炎」を発症していることが発覚。手術をして大腸の一部を切除したことから、回復するまで1年間の人工肛門を余儀なくされた。不妊治療を諦めざるを得なかったという。
子どものいない人生は、結婚当時は想像もしていなかったと中井。スタジオで不妊治療をはじめた経緯について「私、普通に結婚したら、2~3年後とかにすぐ授かるものだと軽く考えていたんですけど、なかなか授かることができなかったので…。治療自体もうまくいかなかったんですよね」と説明した。
なかなか授からないことについて「やっぱり、生理が来た時にすごいがっかりしちゃう。自分がダメなんだって、いちいち思って落ち込むとか…。
スタジオに元大相撲関脇の豊ノ島も出演。2人目の子どもがなかなか授からなかったことを明かし、周囲から2人目を期待される心境も語った。
中井は「スポーツ選手って(子どものことを)言われることが多いですよね」と共感。「“古田2世が見たいな”って。そう言われてもなあって…」と吐露。「人に言う時は、ちょっと一歩立ちどまって。うまく聞かなきゃなとか、聞き方を工夫するとかするようになりました」と語った。
また、不妊治療を止めた後、古田とは「子どもの話はしなかった」とも告白。「まず私の体が回復するまでは、子どものことというのは…。正直、子どもの話は出なくなりました。
子どもを持たない人生と向き合うことについて、「役割を果たしてないなという…こんなこと言っても意味がないとわかっていても、どこかで申し訳なさとか、引け目とかも今でもある」という。「一方で、いろんな人生がある、いろんな人の幸せがあるということもよく分かっている。それでもどこかちょっと…という気持ちは、女性だからなんですかね。産める性なのに、産めなかったことっていうことに対する思いは、ぬぐえないところはありますね」と明かした。
不妊治療に取り組む人に向けての思いも語り、「それはもう、その方がどういう人生を歩んでいきたいのか。そのご家族、ご夫婦、家族関係で違ってくると思うんですけど。自分の人生、誰も代わりに生きてくれないですし、責任を取ってもくれないので、自分ができることをやって、それでも追いつかなかったときに、その考えを手放すということも」と話し、「手放す、止める、諦めるってマイナスなイメージがあると思いますけど、そこから何かスタートすることって多くあることだと思うんですよね。自分の人生だから、子どもがいてもいなくても。歩んでいかなければいけないと思っています」と呼びかけた。