「東京だけでやってきた僕らが、場所を変えることで、その地の課題を解決したり、自分たちも気づかない新しい価値を作れたりするんじゃないか」。システム開発・データセンター事業を展開するアルティネット(東京都文京区)の宮原哲也社長が、名峰・剱岳の麓にある富山県上市町に同社初のサテライトオフィスを開設してから、約5年。
父親が創業した設計測量会社を飛び出した宮原さんが25年前に設立したアルティネットは、ネット販売やゲーム、音楽などのコンテンツ配信といったWeb系システム開発を強みに成長。IT黎明(れいめい)期に一世を風靡(ふうび)した「iモード」の通販サイトや、スマートフォン決済の前身となった携帯電話決済サービスの構築に携わった実績もある。
設立20周年を迎えた2019年、一つの思いが心に浮かんだ。「東京だけではなく、地方創生のためにITを活用すれば、少子高齢化や空き家などの問題解決にも役立てるのでは」。意気投合したのが、現在、上市サテライトオフィス代表を務める上市町出身の永井浩和取締役。業界内で以前から交流があり、ちょうど所属していた会社を辞めるタイミングだった。埼玉県生まれの宮原さんも実は富山がルーツ。祖父母が関東での配置薬営業拠点を任されていた生粋の富山人で、「小さなころから、おにぎりはとろろ昆布、渦巻のかまぼこがふつうだと思っていたんです」(宮原さん)
さっそく視察に訪れた上市町では、「役場の職員がつきっきりで街中を案内してくれて、『ぜひ来て』という熱量がすごく高かった」。路面はガラス張りのオフィス、奥には蔵や座敷、坪庭もある、元布団屋だった中心商店街の古い商家を拠点に決めた。紹介役は空き家再生プロジェクトを進めている上市町商工会青年部メンバー。地元の中小企業・自治体・高校など産官学で構成される組織「ハッピー上市会」とも絆ができ、町や人の吸引力に飲み込まれていく。
▽美術館と連携、スポーツ選手の支援も
20年11月の開所後、永井さんはフル回転で動き出す。サテライトオフィスは、国際的な子ども向けのプログラミング道場「CoderDojo」の上市拠点となったほか、高校生のeスポーツ大会も開催。町内の西田美術館との協力では、「枕草子展」のために美術部の中学生が描いた清少納言のイラストを、生成AIで動いて話す動画に。地元の写真愛好家の撮影写真と合わせ、清少納言の語りで枕草子が学べるデジタル映像作品を制作した。サトイモ、ショウガなどの特産品PR事業は、オンラインだけでなく、生産者を都心のオーナーシェフに引き合わせたり、試食会をしたりする機会も創出している。
挑戦はITと関係ないスポーツ分野にも。スポンサーがおらず、世界ランキングを上げるための国際大会の遠征費用捻出に苦労している上市町の車いすテニス選手、笹島湧希さんを応援するクラウドファンディングだ。自身もテニス愛好家の宮原さんが、大学時代の後輩にあたる協会関係者から状況を聞き、支援を決めた。クラファンをきっかけに、笹島選手が子どもたちに教える車いすテニス教室も実現。「障害があっても頑張っている先輩がいることを知り、一緒にプレーをするという経験は、子どもたちにとっても未来への前向きなメッセージになったと思う」(永井さん)
昨年3月には、地方創生をもっと推進しようと、アルティネットを含む上市町内外の5社が出資し、「株式会社KAMIICHIチャレンジ」を設立。商工会青年部長を務める若手事業者をトップに、「まちづくり」「ファンづくり」「ひとづくり」の3本柱でプロジェクトを展開する。第1弾で取り組むのが、ふるさと納税のテコ入れ。
▽「懐の深さ」が上市愛の源泉
果てしない「上市愛」の源泉は? 宮原さん、永井さんが口をそろえるのは、効率さとか理屈ではなく、迎えてくれる「懐の深さ」だという。人口は減っているが、商店街のオフィス前は小学生から高校生までが毎日通り、大人もちょくちょくアポなしで訪れる。夜更けまで飲めば、生き字引のような名物ママが「おかえり~」とハグしてくれるスナックもある。
年数を重ねるなかで、「自分たちが東京では全くやらなかった領域に踏み出せている。それは、街の人たちとの交流があったから、『これお願いできるんじゃないかな』『相談してみよう』って思ってもらい、生まれたのかなと思っています」(宮原さん)
創業来、掲げるモットーは「インターネットとインターネットを支える技術で1人でも多くの人を幸せにする」ことだ。どこで働くこともできる時代。アルティネットは、東京と上市の相互交流ももっと増やし、挑戦を続けたいと考えている。