広告表現に見られる性別役割にはどのようなものがあるか。『その〈男らしさ〉はどこからきたの? 広告で読み解く「デキる男」の現在地』(朝日新書)を上梓した小林美香さんは「たとえば男性向けの脱毛広告に女性が登場する場合、女性の役割は、男性に対する褒め役・性的なサービス役として描かれている」という――。

■MEN’S TBCの広告変遷が映すもの
男性のヒエラルキー意識の表現方法が年を追うごとに変化していることを見て取れるのが、MEN’S TBCの広告です(図表1)。
男性脱毛を大々的に打ち出し始めた2019年には、女性向けのエステサロン、エステティックTBCのイメージキャラクターを務めるモデルのローラが黒いスーツとネクタイというマニッシュないでたちで登場し、その傍には鼻から上がトリミングされた男性が、口ヒゲと顎ヒゲに視線を誘導するような位置にたたずんでいます。
「男の肌は強いって思ってない?」とローラが問いかける言葉に、「脱毛は、スキンケアのひとつです。」という白文字のコピーが添えられ、スキンケアに対する自覚と自己管理を促しています。
2021年5月にはプロボクサーの井上尚弥が起用され、スーツ姿と上半身裸体の姿でファイティングポーズをとり、「男は肌も強いって思ってる?」という言葉で、「男は強い」ことを前提にスキンケア=脱毛を鍛錬として表現しています。同年11月には芸人コンビのサンドウィッチマンが起用され、大きく口を開けた表情で、「男をもっと、クリーンに。」と清潔感の追求をより全面的に打ち出しています。
そして2024年11月にはプロサッカー選手で実業家の本田圭佑が起用され、「ヒゲ脱毛は、効果で選べ。」「いつかじゃなく今だ。」「俺は本物しかいらない。」という強い口調で断言・命令する表現が採用されました。
■本田圭佑に命令されたい男たち
2019年から2024年までの5年間に制作された広告をたどってみると、黒地に黄色の文字の組み合わせ(警告色として注意喚起をするために用いられる配色)や、登場する人物の黒いスーツの着用は共通してますが、訴求の仕方が徐々に変化しています。
最初は脱毛が「スキンケア」に位置づけられることを明示して、プロボクサーという強い男性像を前面に打ち出すことによって行動を促す段階です。その後、徐々に男性脱毛が社会の中で認知され定着する過程でサンドウィッチマンが起用され、「クリーン(清潔感)」を打ち出し、仲間としての距離から呼びかけて誘う表現が用いられています。
さらに、本田圭佑が指導者・上司役として断言・命令するような表現は、階層的な組織の中での上下関係や、就労に求められる態度(決断力や本質の強調)を強く印象づけ、切迫感を演出して煽り、即座に行動するように促します。
このような能力主義的でホモソーシャルな関係の中に男性を描くことに加えて、女性の視線を通した評価を表現するものもあります。たとえば、「美容男子」として知られるアイドルグループSnow Manのメンバー、渡辺翔太を起用した湘南美容クリニックの男性脱毛のCMでは、半ズボン姿で膝下を見せるようなポーズで座る渡辺をカメラマンが撮影している様子が映し出されます。

■コンプレックスを刺激する意図的な表現
撮影現場に立ち会う女性二人は、モニターに映し出されるすね毛の生えていない渡辺の脚を見て「さすが美容男子、足元までツルッとしてますね」「みんな結構見てますしね」と褒めそやします。
三人の会話を聞いていた同じく半ズボン姿のアシスタント男性が、「え、そんなとこまで。やっぱ脚も脱毛なのかな。でも意味あんの?」と自問していると、渡辺がその男性に近寄り「ツルッと肌なら、男も医療脱毛じゃない?」と話しかけます。
このように「評価する側」としての女性の視線を導入する表現は、男性が直接男性を見て憧れるのではなく、女性ウケする、モテる男性が持つ「脚の肌までツルツルである」という高評価ポイントを自分も獲得したいと思わせるように誘導する表現です。
また、アシスタント男性に詰め寄る渡辺の距離感はバディ(仲間)のような近さですが、容姿においては両者に差があることを示す意図があり、コンプレックスを刺激する表現でもあります(図表2)。
男性向けの脱毛広告に女性が登場する場合、男性を褒めて、サポートする存在として描かれます。また、Instagramのタイムラインやストーリーズに表示される広告や、TikTokのようなソーシャルメディアの動画広告では、クリニックやサロンの女性スタッフが登場して受付で接客したり、画面越しに視線を向けて、サービスの内容や特典について直接呼びかけたりするような場面が頻繁に流れます。
■ミソジニーを刷り込む無法地帯のデジタル広告
さらに女性がミニスカートを穿いて個室で男性に施術をしたり、VIO脱毛(肛門や性器周辺の陰毛も含む下半身の脱毛)をすすめるなど、あたかも女性たちが個室で男性の身体に触れて施術し、性的なサービスをも提供する存在であるかのように描かれることもあります(図表3)。
公共空間に掲出される広告では、このような露骨な性的表現が用いられることはありませんが、スマートフォンでの閲覧を前提とするデジタル広告(クリニックやサロンの公式広告だけではなく、広告配信会社が制作するものも含まれます)は、年齢やジェンダーの属性に従ってターゲティングされているために、とくに若年層の男性に対しては性的な表現を多用し、わずかな瞬間で注意を惹きつけて、反応を促す傾向があります。
このような広告表現は、女性をケアとセックスの役割に押し込めるミソジニー(女性嫌悪)的なジェンダー観を刷り込むものであり、年齢制限の設定もなく頻繁に表示される状況は明らかに問題があります。
■「バカとエロの大縄跳び」という呪縛
これまでに脱毛広告で男性を描写する4つのパターンと、そこに内包されているホモソーシャルな男性同士の関係と階層構造、さらに女性が登場する広告では、女性が男性に対する褒め役・性的なサービス役として描かれることを読み解いてきました。

広告は個別に作られているものですが、その表現の総体として、男性中心的な社会の構造と、男性間のコミュニケーションのあり方、その中での女性に対する見方を反映していると読み取ることができます。
このことを具体的な実感を伴う経験を通して理解する上で、「バカとエロの大縄跳び」という言葉ほど的確なものはないように思われます。この言葉は、作家の白岩玄が男性学研究者の田中俊之との対談で、父親として子どもと接する中で感じることや、男性として生きる中で経験してきたことを振り返る中で述べられたものです。
僕の場合、自分が男性として育つ中で経験した「バカとエロの大縄跳び」が本当に嫌だったという実体験があるんです。男子はみんなでバカなことをするとか、エロを受け入れるという強制参加の大縄跳びのようなものがあって、とにかくそこに入らないことには男の子として認められないという空気がありました。
僕は嫌だったけれど入らざるを得ないから、もう飛んだふりするみたいな感じでやってきたのですが、本当につらかった。息子がもしそういうことを好まなかった場合、自分と同じようにその中で生きていくしかないとしたらつらいと思うのですが、親にできることは限られていますよね(*1)。

■男性同士のハラスメント的な関係の連鎖
男性向けの脱毛広告の文脈では、「バカとエロの大縄跳び」の「バカ」の部分は、仲間と一緒につるんで行動する、ふざけあったり冗談を言いあったりするような関係を作ることの表現に当てはまり、「エロ」の部分は女性からの褒めや性的なサービスの示唆表現に当てはまります。
「バカとエロの大縄跳び」という言葉が秀逸なのは、男性が幼い頃から集団としての振る舞い方を学習する過程で経験することを、誰しもが即座に思い描ける方法で言い表している点にあります。
また、ユーモアと軽やかさを備えた表現であるからこそ、「強制参加の大縄跳び」としての拘束力と恐ろしさが伝わってきます。一度参加したら延々と跳び続けなければならず、参加への拒否や離脱はすなわち集団から排除されて孤立することを意味するのです。
白岩が息子の将来を案じる言葉の中には、このような「バカとエロの大縄跳び」という男性同士のハラスメント的な関係の連鎖は世代を超えて連綿と受け継がれてきたものであり、その連鎖を断ち切ることや、自分の意思でその関係から離脱することがいかに困難なのかを身に染みていることをうかがわせます。

*1 白岩玄・田中俊之「男性が『本音や弱音を吐きづらい』社会の問題点」東洋経済オンライン、2023年7月20日

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小林 美香(こばやし・みか)

写真・ジェンダー表象研究者

国内外の各種学校/機関、企業で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、ワークショップ、研修講座、展覧会を企画、雑誌やウェブメディアに寄稿するなど執筆や翻訳に取り組む。2007~2008年にアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。2010年から19年まで東京国立近代美術館客員研究員を務める。東京造形大学、九州大学非常勤講師。著作に『写真を〈読む〉視点』(単著/青弓社/2005)、『〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する』(共著/青弓社/2018)、『ジェンダー目線の広告観察』(単著/現代書館/2023)刊行。アメリカの漫画家マイア・コベイブの自伝作品『ジェンダー・クィア 私として生きてきた日々』(サウザンブックス社/2024)の翻訳を手がけた。

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(写真・ジェンダー表象研究者 小林 美香)
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