※本稿は、ブリジッド・ディレイニー著、鶴見 紀子訳『心穏やかに生きる哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・再編集したものです。
■「コントロールできるもの」を見極める
当時私たちは知る由もありませんでしたが、2019年のあの夏に、劇的に私たちの生活を一変させ、環境破壊につながる一連の出来事が始まったのでした。火事、呼吸できないほど汚染された大気、パンデミック、洪水。世界が急に道を踏み外し、さらにコントロールが利かなくなったように思われる最中、生活の中で「自分がコントロールできるもの」を明らかにすることはきわめて重要でした。
ストア哲学を学んで私の人生が変わった理由はそこにあります。
世界が急速に劣化していく現実にどう立ち向かうか、こうした変化に直面しながらどうやって強靭な心を持ち続けるか、そして変化に対して自分が何をできるのかを、私に教えてくれたのです。
古代ストア派は現実について多くの主張がありました。人生と正面から向き合うこと、何のために人生があるのかを理解すること、そして現実を受け入れて行動することです。
ストア派が行動を起こす前に最初に行ったステップは、何でも基本的なテストに当てはめてみることでした。これは「コントロールテスト」または「コントロールの二分法」と呼ばれるものです。ストア派は、置かれた状況においてコントロールできることと、できないことを見極め、できることだけに専念しました。
■コントロールできない悩みは時間の無駄
これは2019年の夏、マーティン・プレイスにあるアンドリューのオフィスで、私とアンドリューが勉強会を始めたときに最初に扱ったストア派の原則です。アンドリューはホワイトボードを用い、それから私たちは紙に書いて、コントロールテストがどういう風になるのかを分析しました。それは大体図表1のような感じでした。
ストア哲学の実践においてコントロールテストはきわめて重要なので、エピクテトスは『提要』の冒頭の一節で提示しました。
「自分でコントロールできるものもあれば、できないものもある。自分でコントロールできるのは意見を持つこと、物事を追求すること、欲望を抱くこと、反感を覚えること、つまり我々自身の行動に基づくすべてだ。コントロールできないものは自分の身体、財産、他人からの評判、命令を受けること、つまり自分の行動に基づかないすべてである」
この一節はストア哲学の基盤であり、厳しい試練となるものです。自分でコントロールできるものを提示してくれていますが、私はそれを次のように解釈しました。自分の品性、他者への対応、そして自分の行動と反応です。その上でエピクテトスは、その他のことをコントロールしようとするのは忘れなさいと勧めます。時間とエネルギーを無駄にするだけだと。
■むしろ影響があることに集中できる
これは自分で直接コントロールできないもの、例えば天候不順に対して、私たちは何の努力もすべきではないという意味ではありません。
しかし、たとえ厳しい訓練を積み、清廉潔白に行動し、同盟を結び、多大な努力をしても、その結果はコントロールできないと彼らは理解していました。コントロールできるのは自分自身の品性、行動(と反応)、そして他者への対応だけだったのです。
私はそれを聞いた当初、影響を与えうる範囲としては不十分のように思いました。ですが、この一見狭い範囲の中で、古代ストア派の人たちは非凡な人生を送りました。範囲外の事柄はコントロールできないものとして受け入れるのは、無力なのではなく、むしろその反対でした。自分の品性、視点、そして生き方に焦点を絞れば、自分が真に実際的な能力が発揮できる場を利用して、変化をもたらすことができます。また、コントロールできないものに依存しすぎず、心の平静さを保てるのです。
■「悩むこと」を選ぶと人は自由になる
勉強会の初めの頃、アンドリューは、コントロールテストが意思決定を行うのに役立つ手段である上に、ストア哲学を日常生活に応用する上で、自分にとって必要不可欠なものだと説明してくれました。
コントロールテストは、全体を束ねる中心的な原理だ。すべてを明らかにしてくれるものであり、自分の意志を決定したり感情を適切なことに注いだりしやすいようにしてくれる。
「コントロールテストは僕にとって最高に役に立つものさ、自分がコントロールできないものに重点を置かないからね。コントロールできるものは非常に限られていて、有難いことに自分の力で影響を与えることができる。色々とややこしい世の中において、人を自由にしてくれるものだと僕は思う」とアンドリューは言いました。
■思い通りに行かなくてあたりまえ
私のように、心身がいつも混乱と無秩序の状態にある人にとって、「簡単なテストが、意思決定を妨げるもやもやを切り裂いてくれる」という考えは、とてつもなく魅力的で、また重要でもありました。コントロールテストのおかげで、機会、偶然の幸運、ツキ、説得、希望に過度に依存したり、思い通りにうまく行かなかったときにがっかりしたりすることがなくなったからです。
コントロールできることが実際ほんの少しだけなら、物事が思い通りになるなんてありえない!
実は、私の人生の大半は、自分でコントロールできないものからの働きかけで展開してきました。私には目指している目標が山ほどあって、そのために一生懸命に努力してきましたが、自分でコントロールできない力によって(例えばタイミングとか)阻まれ、たどり着けないでいます。
すぐに思いつく例を1つ挙げれば、新卒1年目に不況の中で法律関係の仕事を探し、100通も応募したのにたった1通しか面接の連絡が来ませんでした。もし卒業するのが10年遅くて、もっと経済が回復していたら多分結果は変わっており、私は全く別の道に進んでいたかもしれません。
■コントロールできるものはたった3つ
ストア哲学を私なりに解釈すると、私たちが完全にコントロールできるのは、次の3つだけです。
1.私たちの品性
2.私たちの反応(場合によっては私たちの行動も。
3.他者への対応のしかた
その他のことは、部分的に私たちがコントロールできるものか、あるいは全く私たちの手には届かないものです。
部分的なコントロールとは、比喩的に言えば、船は操れても天気は操れない船長のようなものです。また、私たちの身体や見た目も、部分的にしかコントロールできません。体の表面に何をつけるかはコントロールできますが、見た目や健康や血液型を決定する本当に大きな要因は遺伝子です。そして、科学の進歩により一部の例外はあるものの、私たちは遺伝子構造をコントロールすることはできません。
コントロールは私たちにとって心理的に重要です。なぜならそのおかげで、人生の旅路でハンドルを握っているのは自分であり、ただあてもなく彷徨っているのではなく、ぐんぐん前へ進んでいるのだと、また自分には物事に働きかける力があり、選択ができるのだと感じられるからです。コントロールできるものが沢山あると考えるのを私たちは好みますが、それは安心感を与えてくれるからです。
■評価も身体もキャリアも健康も選べない
私たちが自分でコントロールできると見なしているものはいくつかあります。世間から自分がどう見られているか、評判、機会、誰を愛し、誰に愛されるのか、そしてどう生きるか。私たちは自分の身体をコントロールできると思っています。どう見えるか、どう動くか、身体の形や大きさなど。
船の比喩に戻ると、私たちは自分の船の主で、船の進む方向を決める立場にあると思っています。しかし素晴らしい目的に基づいていても、また意志と努力の限りを尽くしても、予測不可能な状況――例えば嵐――のせいで、航路が外れてしまうこともありえます。初めから私たちにはそんなにコントロールする力がないというのが、苦くて厳しい真実なのです。
■苦悩や不幸の正体は「思い込み」
生活の中であなたがコントロールできないあらゆるものを思い浮かべてみてください。
事故にあう、病気になる、誰と出会って恋に落ちるか、誰と両想いになるのか。いつ両親を失うか、いつ友達を失うか、我が子を幼くして失うのか、または(ある程度ですが)子どもを持つかどうかもコントロールできません。自分が仕事に抜擢されるか、投資が良い結果を生むかどうかもコントロールできません。自分の上司を決めたり、同僚を選んだりはできません。デート中の相手があなたとの関係を真剣に考えるかどうかはコントロールできません。経済の崩壊、パンデミック、物価の上昇、戦争の勃発、石油価格のつり上げ、金利の上昇、材木不足、これらがいつ起こるのかに対して、あなたには影響力がありません。
すべてコントロールできないものです。なのに、私たちは人生には自分でコントロールできるものが沢山あると思い込んでいます――そのせいで、物事が思い通りにならなかったときに悩みの種が生まれ、私たちは苦悩したり不幸だと感じたりするのです。
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ブリジッド・ディレイニー
ジャーナリスト
英国『ガーディアン』紙のジャーナリスト。毎週執筆している人気コラム「ブリジッド・ディレイニーの日記」は、オーストラリア、アメリカ、イギリスで広く読まれている。著作は『This Restless Life』『Wild Things』『Wellmania』。『Wellmania』を原作としたネットフリックス社のコメディドラマで、共同制作者・副プロデューサーを務めた。
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(ジャーナリスト ブリジッド・ディレイニー)