■難問は手を動かしながら解く。人間はそうして考えてきたもの
富山大学理学部助教として地球惑星科学の研究をしていた36歳のころから小説を書き始め、研究との両立が難しくなった38歳のとき大学を辞めて専業作家になりました。
そんな経歴から「理系の作家」として認知していただいているようです。
2人の息子は幼いとき「パパは絵本を描いている」と勝手に言っていましたが、今では小学4年生の長男、小学2年生の次男とも、小説家だと理解しています。しかし、なかなか本が売れない時代が続き、作家生活15年の今年『藍を継ぐ海』で直木賞を受賞したときは、子供たちも「直木賞だ!」と大いに喜んでくれて、うれしかったですね。
作家になってよかったのは、自宅で仕事をしているから、2人の子供の成長をじっくり見守れること。うちは妻が会社員なので、子供たちが学校から帰ってきたら、私が「おかえり」と迎えることが多い。そして、宿題があれば一緒に勉強をし、次男はまだひとりで公園には行けないので、連れて遊びに出かけます。
長男は小学校から帰ったらまず宿題をやるような子。生真面目で思いつめがちなので、「勉強で間違えても、失敗しても大丈夫だよ」という声掛けをするようにしています。中学受験を視野に入れ、進学塾にも通い始めました。私も妻も中学受験をしたので、なんとなく自然に受験するものだと考えていますが、本当に受験するかは本人しだいですね。
長男は算数が好きだから、将来は数学者になりたいと言っていて、理系の父親としては「数学者は最高だよ~」とポジティブに応援しています。今後、目指す職業は変わっていくかもしれませんが、数学的素養があって損はしないでしょう。

一方、次男は自由に生きている感じで、宿題をやらずに学習教室に行っても平気なタイプ。将来はユーチューバーになりたいそうなので、よく聞いてみたら「ゲーム実況をやる」と言う。「他人が作ったゲームをやっているだけなのは、パパはあまり尊敬できない。自分でゲームを作る人になるという発想を持ったほうがいい」と、7歳を相手に真面目にアドバイスしてしまいます。
私が子供のころはインターネットもなかったから、絵を描いたり工作したりと、手を動かし何かを作っていたけれど、今の子は娯楽がありすぎて、受動的になりがちなことは心配しています。どういうきっかけを与えれば、ゼロから作り出す楽しさを教えられるのか悩みますね。
宙わたる教室』にも書いたことですが、人間、頭と一緒に手を動かさないと、答えは自動的には出てこない。エンジニアだった私の父からも、算数の問題が解けないときは、図にしてみるよう教えられましたし、研究者時代のフィールドワークがまさにそうでした。野外に出て地層に向き合い、スケッチしたり岩石を採ったりし、頭と体を同時に使う作業は、実に気持ちがよいものでした。
デビュー作からディストピア的な近未来も描いてきましたが、この不確実性の時代、子供たちに何かひとつ望むなら、周囲と助け合って生きていける人間になってほしい。人を思いやる優しさがあり、信頼できるよい友達がいれば、たとえ危機的な状況になっても生き抜けるのではないかと思います。
【私のおすすめ】親子で工作・天体ペーパークラフト
長男の夏休みの工作で、一昨年は潜望鏡を、昨年は太陽系の惑星の天球儀を一緒に作りました。
ガチャガチャのカプセルに紙を貼って作るペーパークラフトの素材をネットからダウンロードし、できた模型を「水金地火木土天海」の順に配置。子供は地道な作業に飽きてしまって、つい僕が手を出してしまう場面もありました(笑)。
伊与原 新(いよはら・しん)

1972年、大阪府生まれ。大阪教育大学附属天王寺中学校高校、神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻。2010年に『お台場アイランドベイビー』(角川書店)でデビュー。24年に『宙わたる教室』(文藝春秋)がドラマ化。『八月の銀の雪』(新潮社)で直木賞候補、25年『藍を継ぐ海』(同)で第172回直木賞受賞。
※本稿は、『プレジデントFamily2025夏号』の一部を再編集したものです。

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伊与原 新(いよはら・しん)

作家

1972年、大阪府生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。富山大助教時代の2010年に『お台場アイランドベイビー』(KADOKAWA)で横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビュー。『月まで三キロ』(新潮社)で新田次郎文学賞などを受賞。
21年に『八月の銀の雪』(新潮社)で直木賞候補、25年に『藍を継ぐ海』(新潮社)で第172回直木賞を受賞。2024年には『宙わたる教室』(文藝春秋)がドラマ化。

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(作家 伊与原 新 構成=柏 陽子 撮影=木村直軌)
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