※本稿は、ネルス・アビー著、山形浩生訳『ヒップホップ経営学 お金儲けのことはラッパーに訊け』(DU BOOKS)の一部を再編集したものです。
■世界的な大ヒットから一転、自己破産へ
多くのヒップホップ大物たちのキャリアを見れば、自身の法務と財務を管理するのは、自分の得たあらゆる成功、資産、自由を維持するにあたり鍵となることがわかる。それはしばしば、自分を豊かにするか財務的な使用人になるかを分ける条件となる。
MCハマーはヒップホップにおける財務的な転落の最も有名な事例だ。彼はすさまじく成功した――ハマーの「失敗作」とされる『Too Legit to Quit』は、ジェイ・Z(※)のベストセラーアルバム『Vol. 2… Hard Knock Life』に匹敵するほど売れた。1990年代初頭のハマーは、踊る紙幣印刷機だった。1988年から1991年にかけて、彼はアルバム3作あわせて2400万枚を売った。これに対して、ジェイ・Zは1996年から2017年の間にアルバム13作かけて2700万枚を売った。
※アメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー。25年時点でグラミー賞24度の受賞を果たし、フォーブス誌が選ぶ「アメリカでもっとも裕福なセレブリティ」の5位にも選ばれた。
ジェイ・Zはレーベル所有者だったから、手にした金額は彼のほうが多かった可能性はある。
◎3000万ドルの大邸宅(邸宅はきわめて個人化されているので、しばしば売りにくい)
◎移動手段――プライベートジェットや豪華な車など
◎競走馬――廐舎ごと(競走馬の所有者ジョン・ロバーツ[1980年代のマイアミ・コカインカウボーイ]によると、競走馬を喰わせるには月額5万ドル以上かかる)
◎訴訟――許可なくサンプリングしたとして、ハマーはリック・ジェームスらに訴えられた
◎職員――ハマーは200人以上を雇っていた
最後の点の職員こそ、ハマーの話で最も悲劇的な部分だ。
■故郷を救いたいという思いが悲劇に
2009年にラジオ番組の司会オピーとアンソニーに彼は、故郷オークランドからそれだけ多くの人を雇わねばと思ったと語った。同地での貧窮と暴力がひどかったからだという。遠因はクラック(※)だった。
※麻薬の一種
「おれたちは死にかけてた。当時のうちの都市の殺人率を見てくれ。殺人トップスリーに入ったのですごく有名だった。
ハマーは、地域で苦しんでいる人々を雇ったんだという――その命を救うために。
「うん、あれだけの金には(中略)それだけの命の価値があったんだ、おれはね(中略)もう一回やり直すとなれば、銀行にいくらか預金するだろうよ。だが本当の真実を言うなら、生きた人々の命と引き換えにそんなことはしない」
200人以上を雇うのは大仕事だ。各人の給料ももちろんあるが、それ以外の大量の経費もあるんだから。
MCハマー破産の悲劇は、自分のお金の実に多くを人道的な改善のために失ったということだった。失意の中でも彼は英雄視されるべきだった。ところが彼は破産したことで世界的な物笑いの種になった。
■棚ぼた収入が失敗の種
ハマーの賞賛すべきまちがいは利潤追求活動を実質的な慈善活動にしてしまい、自分にはすべてを維持するだけの稼ぎがあり、それが続くと想定したことだった。ハマーの数字に基づくと、年3万ドルの給料を200人以上に支払うというのは、月額50万ドル以上の給料を払っていたということだ。この水準の支出を、自分が利潤を出したり大観衆を集めたりするのにまったく貢献しない人々に主に向けていたんだから、その終わりは予想通りの悲しいものとなった。
ハマーのビジネスマネジメントは、実は結構うまかった――資産を作った。
MCハマーは急速に豊かになった。売り上げは人生の3年間に集中していた。ジェイ・Zの売り上げはハマーよりも低かったが、過去20年でもっと安定していた。ハマーの稼ぎの形と速度は、宝くじに当たったようなものだった。
元々金持ちではなく、強力な財務顧問にアクセスできない人が巨額の棚ぼた収入に出会うと、そうした棚ぼたがすぐに手元を離れる可能性がきわめて高い。これには後先考えずに支出をする、衝動を抑えられない、気前がよすぎる、といった原因がある。これはスポーツ選手やミュージシャンによくあることだが、一部の国の政府も、特に天然資源に基づく経済では見られる。
意図は立派で尊敬すべきものながら、MCハマーもおそらくそうだったんだろう。ジェイ・Zの場合はストリートの薬剤師の出身だったことが、財務計画や予算設定、利潤の再投資について学ぶのに役立ったのかもしれない。
ハマー、ジェイ・Zをはじめ裕福な人々はみな、ビジネスを管理して的確な財務アドバイスを提供してくれる信頼できる人が必要だ。これは一見したほど簡単なことじゃない。
■アメリカで成功者を待ち受ける罠
ドクター・ドレー(※)はかつてMTVのインタビューで、法務と金銭管理についてこう警告した。「稼ごうといくら頑張っても、それをむしり取ろうとする連中が2、3人はいるんだ」
※アメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー。ヒップホップの分野で最も影響力がある人物の一人とされる。ヘッドホンブランドBeats by Dr. Dreの設立者の一人。
結果として、資産を守り、貯え、さらに増やすための人が必要となる。そしてそれでもなお痛い目にあうことがある。リアーナはこれを身をもって学びそうになった。
ロビン“リアーナ”フェンティは、今日では世界的な美と歌のアイコンであり、10億ドル以上の価値があると推計されている。だが2009年頃の彼女は破産寸前だった。
2003年当時のリアーナはバルバドス出身の15歳で、野心的な三人組ガールズグループの一人だったが、ある日カール・スターケンとともにニューヨークで作詞デュオとして成功していたエヴァン・ロジャースと会って腕前を披露した。
ロジャースは即座にリアーナのカリスマに衝撃を受けたが、歌えないのではないかと疑った。だがデスティニーズ・チャイルド「Emotion」とマライア・キャリー「Hero」を自分のアレンジで歌ってみせたことで、それがまちがいであることが文句なしに示された。
アンドリュー・ロイド・ウェバー卿はミュージカルの文句なしの王者だが、彼も同時期に彼女がバルバドスのリゾートでカラオケを歌っているのを見た。ウェバーは直観に従わずリアーナをイギリスに連れて帰らなかったが、ロジャースはまったく迷わなかった――リアーナを自社シンジケーテッド・リズム・プロダクションズとプロダクション契約させた。
■デビューからわずか5カ月で世界的な成功を果たすも
その後一年かけて、リアーナのデモテープをレコーディングしたが、そこには彼女の人気に火をつけた「Pon De Replay」も含まれていた。そしてそれを、新生デフ・ジャムの社長ジェイ・Zに送った。
2005年初頭、リアーナはニューヨークに飛行機で運ばれてジェイ・Zの前で歌った。彼はその場で確信したので、契約するまで彼女を建物から出さなかった。その契約はやがてジェイ・Zのオフィスで朝3時に署名され、リアーナはまた財務管理のため、バードンLLPの会計士ピーター・グーニスとも契約した。
こうして事務が片付き、2005年8月のリアーナのデビューアルバム『Music of the Sun』がリリースされた。5カ月後、彼女は17歳のプラチナアーティストで世界的なサクセスストーリーとなった。この最初の成功が四年も続いた後、彼女が破産寸前になったとは説明がつかないように思える。
■最もリッチな女性歌手の一人も一度は失敗していた
何百万も掻き入れているティーンエージャーの財務は、どんなクライアントであれ最大限の信託責任を要求される。
リアーナは喫煙も飲酒も投票もできないほど若かった。
①何千万ドルもの損失。
②いい加減な会計。
③2009年「ラスト・ガール・オン・アース」ツアーが(売り上げ上昇にもかかわらず)損失を出していたのに、支出を減らすよう助言しなかった。
④2009年「ラスト・ガール・オン・アース」ツアーが損失を出していると告げなかった。
⑤「ラスト・ガール・オン・アース」ツアーの総売上のうち、リアーナは6パーセントしか得なかったのに、会計士は22パーセントを懐に入れた。
⑥ビバリーヒルズのおんぼろ邸宅を750万ドルで買うのに反対しなかった――それだけの金が彼女にないことを知っていたにもかかわらず。
⑦歌のロイヤリティが適切に支払われるよう手配しなかった。
⑧国際税務についての訴訟を怠った。
これらのためにリアーナは破産寸前となり、内国歳入庁(またの名をノトーリアスIRS)の監査をアメリカで受けそうになった。当初はこの訴えを受けて立ち、法廷でリアーナが靴と衣服に巨額の無駄遣いをしたと主張していたバードン事務所は、2014年に彼女と和解し、報道では1000万ドル支払ったとされる。この頃には彼女の会計士ピーター・グーニスとそのパートナー(つまり上司)マイケル・ミトニックは同事務所を離れていた。
■転んでもただでは起きない
この波瀾に満ちた体験に則し、リアーナは「Bitch Better Have My Money」をリリースした。この曲のビデオは、会計士(つまり「ビッチ」)とそのトロフィー妻を誘拐し、拷問し、最終的に殺すという全面的な復讐妄想だ。最後はリアーナがトランク一杯の金の上にすわり、その裸体は空想上の財務処理人の血に覆われている。この歌は200万枚以上売れて、Vevo認証ビデオでは初の年齢制限つきのものとなったが、YouTubeで1.6億回以上再生されている。財務的な悲劇にあいかけた彼女は、それを儲かる勝利に変えたわけだ。
リアーナは幸運なほうだ――彼女と似たような状況に陥ったあまりに多くの人々は、怪しげな財務管理から逃れられなかった。ジョセフ“ファット・ジョー”カルタヘナ(※)は会計士にむしられたアーティストだった――そしてひどい結果となった。おかげで彼は4カ月も投獄されたんだ。2021年にポッドキャスト『アーン・ユア・レジャー』のインタビューで、ファット・ジョーはこの体験を「おれが実際に犯罪をやらなかった唯一のとき」と述べている。
※アメリカ合衆国のラッパー、音楽プロデューサー、1998年にリリースしたアルバムはゴールドディスクの認定を受けた。現在はニューヨークでスニーカーショップを営むなど起業家としても活躍している。
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ネルス・アビー
著述家
ロンドンを拠点とするナイジェリア系イギリス人の著述家、放送人、メディア経営者、風刺作家。米大手投資会社ブラックロックほか金融業界で働いていた経験を活かして『ヒップホップ経営学』を執筆。本書は『白人のように考えろ(Think Like a White Man)』(共著)に次ぐ2冊目の著書。
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(著述家 ネルス・アビー)