■新聞社が思い知った「ファクトチェック」の限界
夏の参院選をめぐり、敗れた政党は総括に追われ、新聞などマスメディアはそれを熱心に報じているが、総括すべきことが山積しているのはマスメディア、特に新聞も同じだ。参院選前に多くの新聞が選挙報道を見直し、特に「ファクトチェック」に本腰を入れた。
SNSなどインターネット上の偽情報や誤情報の洪水をせき止めるためだが、限界を知る結果になったからだ。「敗者」として新聞は「オワコン(終わったコンテンツ)」に向かっていくのか。
新聞などのマスメディアが存在感の低下に危機感を持ったのは2024年の東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選を経てのこと。SNSでの言説が想定以上に、選挙結果に大きな影響を及ぼし、「SNS選挙元年」と言われるようになった。この背景には新聞などのマスメディアに対し、「本当のことを報じていない」「隠している」との批判、不信、反発があったことは自覚している。
東京新聞は「空気を読まない」ことをモットーにしてきたが、筆者も編集局長時代(2011年6月から6年間)、選挙となると普段よりも特定の政党や候補者を批判することに慎重になっていた。公職選挙法上は、報道や論評によって結果として特定の政党や候補者に利益や不利益をもたらしても問題ないのだが、「選挙の公正」を意識した結果である。
■偽情報が行き着く先は戦争
一つひとつの記事の影響にとらわれず、全体の紙面で公正さを保つ「ジグザグ中立」を口にしていたが、読者からすると歯がゆかったのかもしれない。反省すべきは反省し、本稿を進めていきたい。
SNSでの言説が選挙結果に大きな影響を与える時代になったが、偽情報や誤情報の洪水に無策であっていいはずがない。選挙結果をゆがめること自体、大問題だが派生・連鎖する可能性のあるリスクも計り知れない。
米国のリスクマネジメント会社の分析によると、《偽情報と誤情報》を起点に《社会の二極化》→《人権や市民の自由の浸食》→《域内暴力(暴動など)》→《検閲と監視》→《国家間の武力紛争》と、最後は戦争に行き着いてしまう。
では新聞には何ができるのか。参院選がその答えを出す正念場になったと思う。日本新聞協会は6月に「インターネットと選挙報道をめぐる声明」を発表し、「選挙報道の在り方を足元から見直す」と宣言した。「選挙の公正」を過度に意識した報道から脱し、特定の政党や候補者にマイナスになってもファクトチェックを積極的に行うことが主眼だった。
■マスメディア対SNSという分断
各紙の動きで目立ったのが朝日で、編集局に「ファクトチェック編集部」をつくり、局全体で取り組むことをアピールした。読売は時事、佐賀、日本テレビと共同で取り組む道を選んだ。新聞協会は地方紙を含む各紙のファクトチェック記事を紹介するX(アカウント名「選挙情報の真偽検証_新聞協会」)を開設した。
東京新聞も選挙絡みの街頭演説やSNS上の投稿に関し、6月から真偽を積極的にチェックし、誤りなどを指摘し続けた。大きく取り上げたのが「外国人が優遇されている」という排外主義を内包する訴えで、その象徴が「生活保護受給世帯の3分の1が外国人」という情報だった。
しかし「日本人ファースト」を掲げ、排外主義的な訴えを繰り返す参政党の支持率が上がるにつれ、自民党をはじめ各党が同じ「土俵」に乗って議論を始め、外国人政策が一気に争点化した。
新聞などのマスメディアは参政党の訴えをファクトチェックだけでなく社説などでも批判したが、SNSではユーチューブやティックトックを中心に参政党への共感が広がった。マスメディア対SNSという対立の構図、分断が起きてしまったのだ。
■ファクトチェックが偽情報を広げた可能性
現代社会を「情動社会」と位置付ける上智大文学部の佐藤卓己教授は『新聞研究』の8・9月号で「フェイクニュースにファクトチェックをいくら丁寧に繰り返したとしても、その『真/偽』ではなく『快/不快』が問題の多数者に影響を与えることはできない。むしろ『あなたたちは騙されている』というメッセージは、自らの真実を信じる彼らの自尊心を傷つけるだけかもしれない」と指摘しているが、その通りだと思う。
参院選では期日前投票が国政選挙における過去最多の約2618万人に上ったことも、選挙中のファクトチェックの限界を示した。3連休の「中日」が投票日になった影響もあるが、新聞がファクトチェックをしている間にも、人々は一票を投じていた。期日前投票が定着した時代では、「言った者勝ち」になる可能性が高まったのである。
ファクトチェックが偽情報を広げた可能性があることも東洋大社会学部の小笠原盛浩教授の研究室によるアンケート調査(1500人対象)から分かった。
全回答者の6割近くが新聞やテレビ、ネットなど何らかの媒体を通じて偽情報を見聞きし、その数はのべ約1700件。
新聞やテレビがファクトチェックに力を入れた結果として偽情報に触れる機会が増え、逆に事実と誤認識させてしまった可能性を否定できない。偽情報より事実を際立たせるなど、発信方法にさらなる工夫が必要であることは確かだ。
■「言った者勝ち」の世界にしてはいけない
結果論ではファクトチェックに十分な成果があったとは言い難い。しかし歩みを止めることはできない。特にうそは暴き続けないといけない。歩みを止めたら誰よりも喜ぶのが政党と政治家、特に政権側であることが容易に想像がつくからだ。監視の目が弱まればますます偽情報や誤情報が蔓(まん)延し、「言った者勝ち」の世界になる。
選挙の時に限らず、日常的にファクトチェックを続けることにより、その価値を多くの人に知ってもらう努力を続けるしかない。どうすれば、新聞が不可欠なコンテンツ、「フカコン」であることを多くの人に分かってもらえるか。そもそも、これが選挙報道見直しの最終目標のはずだ。
筆者も編集局長の時代、同じ問いを自分にしてきた。
当時も今も思うことは、新聞が自分たちの使命、権力の監視と人々の代弁者であることに徹することが肝要だということである。
■ファクトチェックではなく「丸ごとチェック」
参院選はSNSの活用に長けていたかどうかだけが、政党の勝敗を分けたわけではない。
「勝者」の国民民主と参政が比較的新しい政党として人々、特に現役世代の不満、不安、そして怒りの「受け皿」になったことは各種の世論調査から推察できる。背景にあるのが物価高による生活苦であり、格差社会という現実だ。「右」か「左」という選択ではない。
明治大学政治経済学部の井田正道教授による各党へのイデオロギー認識調査(1000人対象)では、参政党のイメージは「保守」33.5%、「革新」32.3%とほぼ同数だった。
新聞が選挙の時に大事にすべきは、政党や候補者が何を訴えているかを伝えると同じに、いやそれ以上に人々が今、政治に何を求めているのかを現場で取材し、「ここに光を」と政治の側に突き付けることだ。
選挙の時ほど政治の側が「聞く耳」を持つことはない。ファクトチェックと同様、日常的に取り組むことにより世論を喚起することも大事であり、SNSはこういう時に役に立つはず。新聞が活用しない手はない。
どの政党、候補者に一票を投じるのか、支持するのか。内閣を支持するのかしないのか。その判断材料として、特にリーダーたちの生い立ち、性格、志、価値観、思想信条、政治資金の集め方や使途、人脈、過去の言動などを常日頃から「丸ごとチェック」し、読者に提供することも忘れないでいたい。権力監視の使命に基づく大事な仕事である。
■「熟慮の時間」という役割
選挙が終わると与党中心の政局取材が幅を利かすことも、権力の監視になっているのかどうか、見直す時だ。
自民党内の「石破おろし」の動きに紙面を大きく割き、首相の退陣時期を予測する記事が読者の支持を得るとは思えない。
筆者は局長時代、見出しの最後に「へ」や「か」が付くような政治の見通しを伝える記事はスクープとは認めないと局内で宣言した。結果として誤情報になって読者の信頼を失うリスクと、情報源となる権力側の手のひらで踊らされるリスクがあるからだ。
政界は参院選を経て多党化時代に入ったが、政局取材によって政権争い加わらない少数政党の存在は紙面から消えていく。長年の課題ではあるが、このままでいいのかと思う。少数と言っても参院選の比例で社民は121万票、共産は286万票、れいわは387万票を獲得している。その動静のチェックは多様化している読者の知りたい事と一致するはずだ。
2011年3月11日の東日本大震災と原発事故の当時、新聞は「最終確認メディア」として評価されたことを思い出す。新聞への接触率も高まった。
あの頃も偽情報や誤情報が大量に流れたため、読者は何が本当のことかを知るために新聞を購読したと推察している。本稿を読んでもらった読者には東京新聞に限らず、どこかの新聞を信頼できる「パートナー」として購読することをお薦めしたい。
SNSなどのネットメディアと新聞などのマスメディアは敵対関係にあるわけではない。偽情報や誤情報の洪水に流されないためには、新聞という事実に基づく安全な「岩場」において熟慮の時間を持つことが、今の時代には不可欠だと思う。選挙の時に限らず、何が本当のことなのかを知らずに物事を判断し後悔しても、後の祭りだからである。
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菅沼 堅吾(すがぬま・けんご)
東京新聞元編集局長
東京新聞(中日新聞東京本社)の元編集局長。北陸本社、東京本社の代表を経て現在は顧問。今年1月下旬に『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞 1540円)を発刊。原発事故や安保法制など自分の編集局長時代の6年間を中心に何を思い、どう権力を監視してきたのか。舞台裏を明かしながら新聞の価値や使命にスポットライトを当てている。Xのアカウント名は「東京新聞の菅沼さん」。
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(東京新聞元編集局長 菅沼 堅吾)