※本稿は、NHK「笑わない数学」制作班編『笑わない数学3』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「当たり前」を示したユークリッド幾何学
今回取り上げるテーマは「非ユークリッド幾何学」。なんだか難しそうな言葉ですね。
非ユークリッド幾何学というからには、「ユークリッド幾何学」があります。非ユークリッド幾何学と違って、こちらは多くの人に馴染みのあるものです。現代の私たちが中学校で習う「図形の性質」こそが、ユークリッド幾何学だからです。
その単元で私たちは、「二等辺三角形の2つの底角は等しい」とか、「平行な2直線の錯角は等しい」とかを習いますが、これらはいずれも、ユークリッド幾何学の性質です。
中学校で習う図形の性質は、およそ50個。高等学校ではもっとたくさん登場します。しかも、これらはただ暗記すればいいものではなく、本当に正しいことをきちんと証明できる必要があります。
なんだか大変そうですね。しかし実は、すべての図形の性質は、「公理」と呼ばれる当たり前にしか思えない簡単な事柄から証明できるのです。
その公理とは、ずばり、次の5つです。
公理1「2つの点を通る直線は、1本だけ引ける」
公理2「直線は、いくらでも延ばすことができる」
公理3「ある点を中心にして、好きな(任意の)大きさの円を描くことができる」
公理4「直角はすべて等しい」
公理5「直線と(その直線上にない)点があるとき、点を通って、直線に平行な直線は1本しか引けない」
いかがですか? どれもこれも「当たり前」だと感じられるのでは?
そして驚くべきことに、皆さんが習ったような図形の性質はどれも、このたった5つの公理から証明できてしまうのです。
■たった5つの公理からいろいろなことが証明できる
例えば、先ほど紹介した「平行な2直線の錯角は等しい」ことなんかを証明することができます。
そしてさらにこの性質を用いると、「平行四辺形の対角は等しい」「三角形の内角の和は180°である」などといった性質も、次々と証明できるようになります。スタートはたった5つの公理ですが、それらを使って証明した性質を活用することで、さらにさまざまな性質を証明できるようになるのです!
このように、公理から証明した性質を使うと、さらに別の性質が証明できますし、その性質を使えば、またさらに別の性質を証明することもできます。
今から2000年以上も昔にこの事実に気が付き、証明の連鎖をまとめた数学者が、ユークリッドです。彼の著書『原論』の中に、5つの公理と、そこから連鎖的に証明できるたくさんの定理が書かれています。彼の名にちなんで、図形の性質を考えるこの分野を「ユークリッド幾何学」と呼ぶようになったのです。
■公理5に生まれた疑義
「当たり前」としか思えない5つの公理を土台にして作られたユークリッド幾何学は、数ある学問の中でも唯一無二の、決して覆ることのない、絶対的な真理だと考えられるようになっていきました。
しかし、そんなユークリッド幾何学にも1つだけ、「これはちょっとおかしいんじゃないか?」と疑問を挟む余地がありました。
それが、公理5「直線と点があるとき、点を通って、直線に平行な直線は1本しか引けない」です。
他の公理に比べて、これだけちょっと長ったらしくて、まどろっこしく感じます。
実はこの疑問が、今回のテーマである「非ユークリッド幾何学」へとつながるのです。
■平行な直線が無数に引ける世界を考えた数学者
公理5に疑問を抱く数学者は、古くからたくさんいました。例えば5世紀の数学者プロクロスは、公理5に対して「公理5は公理の中から除外しなければならない」という言葉を残しています。
しかし、数学者たちの長年の議論にもかかわらず、公理5にはなんの問題も見つかりませんでした。
多くの数学者が公理5の証明を試みる中、ハンガリーの数学者ボヤイ・ヤーノシュが、ちょっと風変わりなアプローチを試みました。
公理5は、「ある点を通り、直線に平行な直線は、1本しか引けない」ということをいっています。
そこでボヤイは、そのような平行な直線が無数に引ける世界ではどうなるか、と考えてみたのです。
ボヤイが考えた世界では、ある直線に対して、図表2のように、2本以上の平行線を引くことができます。この図では平行に見えませんが、今は心の目で見て、これらがすべて平行だと思ってください。
■三角形の内角の和が「180°未満」の世界が現れた
公理5をこのように置き換えると、いったい何が起こるでしょうか。無茶苦茶で矛盾だらけのとんでもない世界ができてしまうのでしょうか?
いえ、そんなことはありません。ボヤイが見出したのは、この世界でもさまざまな定理が連なる理論体系が導かれるということでした。
例えば、ユークリッド幾何学では「三角形の内角の和は180°」でしたが、ボヤイの見つけた新しい世界では、「三角形の内角の和は180°未満」であることが証明されたのです!
唯一無二の絶対真理として学問の世界に君臨し続けてきた「ユークリッド幾何学」。しかし、ボヤイが作り出した「非ユークリッド幾何学」の世界にも、図形の世界が大きく広がっていることが明らかになりました。
ただし、非ユークリッド幾何学が導く図形の性質は、私たちの直観にはそぐわないものもたくさんあります。実際、ボヤイが発表した非ユークリッド幾何学の論文は、当時の数学界から見向きもされませんでした。当時の常識と、あまりにもくいちがっていたからです。
■相反するとみられた定理は「両方正しかった」
しかし、意外な発見は続きます。
ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンは、公理5を「平行な直線が1本も引けない」と書き換えたものも含めた世界を考えてみました。
するとどうでしょう。今度はなんと、「三角形の内角の和は180°より大きい」と導けてしまったのです。そしてこの場合でも、論理的な矛盾は生じず次々と新たな図形の世界が広がっていくことがわかったのです!
「絶対に正しい」と思える事柄から生み出されたユークリッド幾何学。それに対し、突飛な妄想から生まれたかのような非ユークリッド幾何学。
ボヤイの発見からおよそ40年後、驚くべき事実が判明します。
なんと、ベルトラミやクラインたちによって「ユークリッド幾何学に矛盾がないならば、非ユークリッド幾何学にも矛盾は存在しない」ということが数学的に証明されてしまったのです!
つまり、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、どちらも正しい(もしくは、「どちらが正しいか、数学的には決めることができない」)ということがわかったのです。
■非ユークリッド幾何学的世界を予言したアインシュタイン
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、どちらも正しいことが証明されました。ですが、これはあくまで数学の話。「三角形の内角の和が180°じゃない世界」なんてものは理論の中にしか存在せず、現実には存在しない……と、思われていました。
ところが、20世紀に入り、非ユークリッド幾何学の世界が実際に見つかってしまいました。
発見したのは、20世紀最大の物理学者とも呼ばれるアルベルト・アインシュタイン。彼は1916年、それまでの常識を覆す理論を完成させました。
それが、かの有名な「一般相対性理論」。この理論により、私たちの住むこの宇宙が、実はユークリッド幾何学的ではないことが予言されたのです。
■この世界はユークリッド幾何学的ではなかった
1919年、アインシュタインの理論を検証するための観測が、アフリカとブラジルで行われることになりました。それは、太陽の近くを通過する光が、太陽の重力の影響で曲がるのか、曲がらないのか、確かめようという観測でした。
1919年5月29日の皆既日食の日。いよいよこの観測が行われました。観測の結果は……見事、一般相対性理論の予言の正しさが証明されました。
そう、つまり私たちの住むこの世界は、なんとユークリッド幾何学的ではなかったのです!
非ユークリッド幾何学は、私たちの直観に反する幾何学です。私たちはユークリッド幾何学の方を直観的に正しいと感じ、非ユークリッド幾何学の方を「間違った」理論のように感じてしまいます。
しかし、現実にはそうではありませんでした。両者とも数学的には正しく、一方だけを否定できるものではありません。そして、物理学的にも、非ユークリッド幾何学が確かに「ある」ということ、すなわち「正しい幾何学」であることが、示されたのです。
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NHK「笑わない数学」制作班
パンサー尾形貴弘が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組。レギュラー番組としてNHK総合テレビで、シーズン1が2022年7月から9月まで、シーズン2が2023年10月から12月まで放送された。
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(NHK「笑わない数学」制作班)