■消費者の味方はいなくなった
小泉農水大臣が農業ムラに取り込まれようとしている。
8月31日のNHK日曜討論で、随意契約による備蓄米の放出について「農家の方にとっては、あいつふざけんなと、何大臣だと思ったと思います」と生産者側の反発を考慮しつつ「安定化に向けたかじ取りの一環という思い。時間がかかるかもしれないが丁寧に説明を続けたい」と発言した。
当初の「ジャブジャブにしてコメの値段を下げる」という消費者寄りの姿勢が、ここにきて農水省の事務方や自民党農林族議員と接する中で、農業サイドの意見を無視できないという認識に変わってきたようだ。
「需要に見合った生産」という農政トライアングルの主張を受け入れ、減反維持に舵を切ったのも、その一つだ。
■生産者と消費者に優しい政策
農家にとって米価は高ければ高い方がよい。備蓄米の放出によって米価を下げようとすることには反対する。
他方で、消費者としては安い方がよい。昨年初まで精米5キログラムあたり2000円で買えていたものが、今はその倍の4000円を超える。生産者と消費者双方が納得する“適正な価格”は存在しない。
方法はある。
■農業振興のためにも必要な「減反廃止」
減反を廃止して生産者に直接支払いをすれば、生産者の所得を確保しながら消費者に安くコメを供給できる。しかし、番組を通じて、そのような施策は聞かれなかった。
小泉農水大臣は、民主党の戸別所得補償政策が農業の基盤整備を含む農業土木予算を削ったことを、「いま生産性向上のために基盤整備が必要な中で適切ではない」と否定した。確かに戸別所得補償政策はバラマキという問題を抱えるものだったし、減反・高米価を維持したうえで直接支払いをしたので、消費者に安くコメを供給するものではなかった。
しかし、財源を農業土木予算ではなく、減反を廃止してその補助金3500億円から捻出すればおつりがくる。消費者に安くコメを供給することや農業の基盤整備のためにも減反廃止が必要なのだ。
■これまでの米価は安すぎたのか
この番組では、零細な農家と大規模な農家が出演していたが、双方とも「これまでの米価は安すぎた」と主張していた。
そうだろうか?
これまで農水省もJA農協も卸売業者に販売する価格が玄米60キログラム当たり1万5000円(概算金では1万2000円)になるように意識して減反政策を実施してきた。これは低すぎたのだろうか?
1ヘクタール未満の農家はコストが高いのでずっと赤字である。0.5ヘクタール未満の零細農家の生産費(労働費を入れない実際にかかった費用である物財費)は60キログラム当たり1万6198円、0.5~1ヘクタールの農家で1万3133円(2023年)で、1万2000円の概算金でも赤字である。
■「減反・高価格政策」が続くワケ
減反しないで米価を下げれば、これらの農家はコメ作りをやめ、農地を貸し出して地代収入を得る。規模の大きい農家に農地は集積してよりコストの低い効率的な農業を実現できる。米価はさらに下がるので消費者はメリットを受ける。
逆に言うと、これまで減反・高米価政策をとってきたのは、このような零細な農家をコメ農業に滞留させるためである。それが兼業収入を預金として活用できるJA農協の発展につながった。
番組で零細な農家が「これまでの農政の規模拡大路線は小規模農家を邪魔者扱いするものだ」という趣旨の発言をし、小泉農水大臣もこれに理解を示すような態度をとっていたが、実際の農政は、1960年代以降ずっと小規模コメ農家維持政策だったといってよい。
■空前のコメ・バブルが起きている
いまの農家手取り概算金3万円という水準は、これまで減反政策が目標とした価格の倍以上である。
コストの高い1ヘクタール未満の零細農家でも大幅な黒字転換である。30ヘクタール以上層の農家の物財費は零細農家の約半分の7414円である。例えば50ヘクタールの農家なら、以前の1万2000円の概算金でも年間2000万円の所得を得ていたが、概算金が3万円なら所得は1億円である。5倍の増加だ。
つまり、今はコメ・バブルなのである。これまでの米価も安すぎたのではない。物価上昇へのコメ・インフレの寄与度は大きく、日銀の物価目標がコメで達成されるかもしれない。
■昨年の130倍もコメの輸入が増えているワケ
日曜討論では、キログラム当たり341円という輸入禁止的な関税を払ってまでも輸入が増加していることが指摘されていた。7月の輸入量は2万6397トンで前年同月比の130倍以上に上っている。これが弁当や外食などに供給され、国産米の需要が侵食されかねないという懸念が農業界から表明されている。
しかし、因果関係を取り違えてはいけない。
341円は60キログラム当たり2万460円である。国産の米価が1万5000円なら絶対輸入されなかった。概算金にJA農協のマージンを加えた米価が3万3000円だから、9000円で輸入したカリフォルニア産米に2万円の関税を払っても、なお国産米より安く供給できるのだ。国産米の価格が低下すれば、輸入は止まる。国産の需要が減少することを心配するなら、コメの値段を下げることだ。
■なぜ、増産なのにJAは概算金を吊り上げたのか
日曜討論では、大臣や専門家は猛暑や水不測の影響は少なく、今年産の生産は増えると見通していた。生産が増えるのであれば、供給が増え、価格は下がる。
しかし、これはJA農協にとって都合が悪い。卸売業者に売る価格が60キログラム当たり2万5000円に下がると、農家に払うことができるコメの価格は2万1000円くらいに下がる。概算金はあくまでも仮渡金なので、3万円の概算金と実現した米価2万1000円との差を農家から戻してもらわなければならない。しかし、いったん渡した金を返せと言うのは容易ではない。過去にこのようなことを行った結果、翌年農家はJA農協への出荷を控えたという事例がある。
JA農協は、そんなことは見通しているのだろう。
一つの方法は、JA農協自身の在庫を増やして市場への供給量を減少させることである。ただし、これには倉庫料などの負担が避けられない。米価が低下した2007年、JA全農は、農家への概算金を、前年の1万2000円から7000円へと大幅に減額した。
全農は、組合員農家より自己の利益を優先した。コメ業界でこれは7000円ショックと言われた。関係者は「農家の組織がそこまでするか」と思った。しかし、今回、この手は使えない。なにより、JA農協はコメの集荷率を上げたいのである。
■小泉備蓄米がJAに大チャンスをもたらした
心配する必要はない、JA農協の最大の経営資産は政治力である。
永田町の自民党農林族議員を使うのだ。2007年には、政府に34万トンを備蓄米として買い入れ・保管させ、米価の底上げを行った。さらに、約1600億円だった減反補助金を補正予算で500億円上積みさせ、翌年の減反を10万ha強化して、110万haとした。
幸い、備蓄米は底をつき、4年古米と5年古米の30万トンが残るのみである。
備蓄目標の100万トンとの差は70万トンもある。60万トン供給量が増えたとしても、農水省に備蓄米として買い入れさせればよい。高米価は維持できる。概算金を下げる必要はない。コメの集荷率も上がる。一石二鳥ではないだろうか?
備蓄米の水準回復なら輸入米の増加でも実現できるが、それに気が付く人はいないだろう。JA農協のための農政に揺らぎはない。
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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)、『食料安全保障の研究 襲い来る食料途絶にどう備える』(日本経済新聞出版)など多数。近刊に『コメ高騰の深層 JA農協の圧力に屈した減反の大罪』(宝島社新書)がある。
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(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁)