※本稿は、山田正彦『歪められる食の安全』(角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
■「遺伝子組み換えでない」の表示が消えた
2022年3月1日に消費者庁が発表した「食品添加物の不使用表示に関するガイドライン」を発表した。これにより、添加物を使っていない食品であっても「無添加」と表示することが不可能になり、「天然」「合成」「人工」などの言葉も使えなくなった。また添加物を使っていないからといって健康や安全と関連付ける表示(たとえば「人工着色料不使用だから安心」など)も表示できなくなった。改正自体にも憤りを覚えるが、何より深刻なのが、これが国会で審議されて立法化されたわけではなく、一省庁が変えている、という点だ。
食品表示に関するガイドラインの改正は、遺伝子組み換えの表示にも及んでいる。新ガイドラインにより、「遺伝子組み換えでない」という表示が事実上できなくなり、消えた。
それまでの制度と大きく異なっているのは、遺伝子組み換え不使用表示が厳格化された点だ。厳格化といえば聞こえはいいが、私から見ると実際には消費者に不利益な制度だ。
豆腐を例にあげれば、新しい表示制度の意味がわかる。
「遺伝子組み換えでない」
以前は遺伝子組み換え作物の意図せぬ混入率が重量の5%以下の場合は遺伝子組み換えについて表示義務がなく、「遺伝子組み換えでない」と任意で表示できた。
しかし、第二次安倍政権は17年4月に、遺伝子組み換え表示制度に関する検討会を消費者庁内に設置。1年をかけて会議を重ねてきた検討会は、意図せぬ混入率を「5%以下」から「不検出」へ一気に引き下げる報告案をまとめた。
■日本の「0%」という基準は異常
不検出とは、すなわち「0%」だ。検討会は「日本が世界へ誇る技術があれば可能であり、それが消費者のためになる」と結論づけ、19年4月には5%以下から不検出への変更を骨子とする表示基準厳格化を政府へ答申。経過措置期間をへて23年4月1日から施行されるスケジュールも矢継ぎ早に決まった。
多くの方が、「0%ならば安心だ」思われるかもしれない。しかし、私はそう考えない。
私が子どものころは五島(ごとう)列島の実家でも大豆を作っていた。米農家も含めたほとんどの農家が、麦と大豆を作るほど一般的だった。
この状況ではどれだけ細心の注意を払っても、流通過程で遺伝子組み換え大豆が偶然的に混入してしまう事態は避けられない。バラ積みするなど、いくら丁寧に運んだとしてもだ。だからこそ、遺伝子組み換え作物に厳格なEUでも、混入率0.9%未満という許容範囲を設けている。
■なぜ分かりやすい表示を複雑にしたのか
つまり、不検出=0%を達成するのは事実上、不可能なのだ。新ガイドラインのもとでは、メーカー側は「遺伝子組み換えでない」と実質的に表示できなくなる。厳格化が掲げられながら、実際には消費者が不利益を被ると私が考える理由がここにある。
しかも消費者庁は、新しい表示制度に違反した場合には指示・命令を出すとともに、違反した社名を公表するという通達まですでに出している。
この厳しい通達の効果で正式な施行に先駆けて、表示をそれまでの「遺伝子組み換えでない」から、従来の5%以内の混入率を意味する新設の「分別生産流通管理済み」にほとんどの大豆加工メーカーが切り替えた(写真1)。
「分別生産流通管理済み」と聞いただけで何のことかわかるだろうか。なぜ言葉の意味そのままの「遺伝子組み換えでない」から変えたのか。
新しい遺伝子組み換え表示制度は、NHKをはじめとするテレビや新聞で「表示を厳格化する」と報じられただけだった。
■「私は摂取していない」という大きな勘違い
日本は遺伝子組み換え作物の輸入大国だ。年間に輸入される約3000万トンの穀物のうち、半分以上は遺伝子組み換えだと推定している。おそらく世界最大の消費国だろう。こうした基本的な事実も、消費者にほとんど伝わっていない。
その大量の遺伝子組み換え作物はどこに行っているのだろうか。「私は普段『遺伝子組み換えでない』を選んでいるから摂取していない」と思っているようだったら、残念ながらたぶんそれは間違っている。おそらく今の日本ではよほど気を付けて選ばない限り、遺伝子組み換え作物を口にしないのは不可能だろう。まず外食は食品表示法の対象外で表示義務がない。
一般の食品では、たしかに豆腐や納豆など一部の食品には遺伝子組み換え作物であるか否かが表示されているが、大半の食品では表示が免除されている。
例えば、お惣菜のポテトサラダ。
トウモロコシは畜産の飼料用として輸入されるものが約65%を占めている。大豆やわたの油を搾った後に残るかすも飼料として使われている。
■表示の義務付けはたった10%
この本を書いている時点で、日本国内における遺伝子組み換え作物の商業栽培は「青いバラ(観賞用)」のみで、食用の作物は栽培されていない。逆に日本へ輸入されていて、流通および販売が許可されている遺伝子組み換え作物は全部で9種類ある。ジャガイモ、大豆、てんさい、トウモロコシ、菜種、わた、アルファルファ、パパイヤ、カラシナで、このうちジャガイモ、大豆、菜種、わたが主に流通している。
9種類の遺伝子組み換え作物を主な原材料とする加工食品群で、厚生労働省医療・生活衛生局食品基準審査課の安全性審査をクリアしているのは333種類。しかし、遺伝子組み換えの表示が義務づけられているのは33種類とわずか10%しかない。
原則として加工度が低く、生に近い食品群に表示義務が課され、加工度の高い食品群は組み替えられた遺伝子がほとんど残存しないという理由で除外されている。
表示義務がない食品群の代表が、先に挙げた植物油やサラダ油、醤油、トウモロコシから作られるデンプンのコーンスターチなどだ。
日本国内で流通および販売されている遺伝子組み換え作物の小麦やトウモロコシなどは、いずれも国内自給率が低いために輸入に頼らざるをえない。しかも、アメリカをはじめとする輸入先の多くが、遺伝子組み換え作物の栽培地となっている。
■目的は企業が莫大な利益を得るため
こうした食糧事情が、日本を世界最大の遺伝子組み換え作物消費国に押し上げている。さらに「遺伝子組み換えでない」という表示が実質的にできなくなる新たな制度が、私たち消費者が食品を選択する幅をさらに狭める状況を生み出していく。
アメリカからの遺伝子組み換え大豆の輸入を日本政府が承認し、市場で流通および販売され始めたのは1996年だった。
なぜこれほどまでに遺伝子組み換え作物は多く作られるようになったのか。それは食品に関する企業の利益を最大化するからだ。食品は私たちの生きる源だ。いうまでもなく、生物は食べ物がないと生きられず、その大元の種子を掌握すれば、莫大(ばくだい)な利益が得られる。
この考えを推し進めた筆頭と私が見るのが、モンサントというグローバル種子企業だ。なお、モンサントは18年にドイツの製薬会社バイエルに買収された。
モンサントは、強力な除草剤である「ラウンドアップ」を作り、合わせてその除草剤への耐性を持つように操作した遺伝子組み換え大豆を開発。ラウンドアップと遺伝子組み換え大豆の種子というセットで輸出を始めた。1990年代後半のことだ。
なお、ラウンドアップの主成分はグリホサートという化学物質だ。
■2001年に表示制度導入も「抜け穴だらけ」
当時の政府は「遺伝子組み換え作物に関して特別な表示は必要ない」と判断していたが、それに対し市民は危機感を募らせた。SNSがない時代にもかかわらず、反対する声が草の根的に広がり、さらに議員提案や住民提案による反対を唱える意見書も全国の自治体で続々と採択。それらの結果として、2001年から導入されたのが改正前の遺伝子組み換え表示制度だった。
しかし、ここまで記してきたように、遺伝子組み換え表示制度は特に義務表示に関していくつも抜け道が用意されている。さらに新ガイドラインで「遺伝子組み換えでない」という表示が実質的に不可能となった。
消費者庁はなぜ、このような制度を導入したのだろう。
疑問に端的に答えてくれたのが、東京大学大学院の鈴木宣弘(すずきのぶひろ)教授だ。鈴木教授は私とともに「日本の種子(たね)を守る会」の顧問を務め、食の安心・安全について研究者の立場からテレビや書籍、SNSで広く発信されている。その鈴木教授が、遺伝子組み換えの研究をしている研究者が教えてくれた話として、政府や消費者庁の背後にアメリカの意向があったと指摘している。
「アメリカのグローバル種子企業は日本に対して、遺伝子組み換えに関する表示をやめてもらいたいと言ってきた。具体的な内容は、日本の義務表示は緩いからそのままでよろしいと。問題は豆腐等の食品の原材料である大豆が『遺伝子組み換えでない』とする表示で、これは消費者を誤認させるアメリカも認めていない表示なので、これをやめなさい、と」
■アメリカの圧力で消えた消費者の選択権
グローバル種子企業とは、バイエルに買収される前のモンサントのことだろう。第二次安倍政権が遺伝子組み換え表示制度に関する検討会を消費者庁内に設置したのが17年4月と、アメリカのグローバル種子企業が日本に要望してきたと鈴木教授が指摘するタイミングもほぼ一致する。
そう考えると、誰のための遺伝子組み換え不使用表示の厳格化なのかが見えてくる。鈴木教授はあきれたような表情を浮かべながら、さらに次のように続けた。
「そういう状況で消費者庁が動いて、遺伝子組み換えの表示を強化すると。これはアメリカと戦ってくれるのかなと一瞬期待したら、1年後に出てきた答申がアメリカの言う通りだった。緩い義務表示はそのままで、強化するのは『遺伝子組み換えではない』という表示を実質できなくします、と。大変驚きました」
■世界が有機化する中で逆走する日本
日本で遺伝子組み換え作物が流通して四半世紀あまり。私は一貫して食の安全・安心を守る活動をしてきたが、遺伝子組み換え作物に関しては「ちょっと気にしすぎではないですか」と不思議がられることも少なくない。
確かに遺伝子組み換え作物を食べたことによる実害は報告されていないかもしれない。しかし私は、今問題ないからと静観していることはできないと思っている。「静かなる時限爆弾」と呼ばれるアスベストでさえ、人間への実害が証明されるまで数十年もの時間を要した。何かが起こってからでは遅いのだ。だからこそ、ゼンさんも田中さんも、遺伝子組み換え作物に警鐘を鳴らし、私も声を上げ続けている。
遺伝子組み換え作物の対極にあるのが有機作物だ。化学肥料や農薬を使用せず、遺伝子組み換えでもない。実は、世界の国々では有機食材が多く流通し、遺伝子組み換え作物の表示が厳格化されている。一例を示せば図表1に示すように世界の有機食品の売り上げの伸びは著しい。にもかかわらず日本は、遺伝子を切り取る技術を用いた「ゲノム食品」を有機JAS認定しようとするなど、逆走はますます加速している。
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山田 正彦(やまだ まさひこ)
弁護士・元農林水産大臣
1942年、長崎県生まれ。弁護士。早稲田大学法学部卒業。司法試験に合格後、故郷で牧場を開く。オイルショックにより牧場経営を終え、弁護士に専念。その後、衆議院議員に立候補し、4度目で当選。2010年6月、農林水産大臣に就任。現在は、弁護士の業務に加え、種子法廃止や種苗法改定の問題点を明らかにするため現地調査を実施し、国内外で講演なども行っている。著書に『売り渡される食の安全』(角川新書)、『子どもを壊す食の闇』(河出新書)、『タネはどうなる⁉種子法廃止と種苗法改定を検証』(サイゾー)など多数。
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(弁護士・元農林水産大臣 山田 正彦)