■「ワイドショー化」された田久保市長
静岡県伊東市の田久保真紀市長に、日本全国がクギ付けだ。学歴詐称疑惑が発展した結果、市議会では不信任決議案が全会一致で可決した。
しかしながら、なぜ一地方都市の首長が、ここまで注目されるのか。その背景にある要因を考察すると、「ワイドショー化」されやすい理由が見えてきた。
田久保氏は2019年から伊東市議を務め、2025年5月の市長選で、現職だった小野達也氏との一騎打ちを制し初当選した。約1800票差で「男性の現職を、女性の新人が破った」として、一部メディアなどでは好意的な報道が目立った。
しかし、しばらくすると、田久保氏をめぐる「怪文書」が、各市議のもとに届いた。それは、田久保氏が「東洋大学卒業」としている経歴について、「中退どころか、除籍であったと記憶している」と明かす内容だった。
文書の拡散を受けて、田久保氏は一時、公式サイトで「現在公開されている経歴についての必要な機関、必要な人に対してのファクトチェック(真偽のチェック)は既に完了しております」などと全面否定していたが、7月2日に一転して、除籍であったことは認めつつ、公職選挙法上の問題はないとの認識を示した。
その後、市議会に百条委員会が設置され、田久保氏は辞職して出直し選挙に打って出る意向を示したが、最終的に続投を決定。そして、百条委員会の報告書がまとまったことから、9月1日に市議会は不信任決議案を可決。あわせて、地方自治法違反の疑いで刑事告発すると決めた。これにより、田久保氏は10日以内に議会解散か、みずからの失職のどちらかを選ぶ必要に迫られた。
■「田久保劇場」はしばらく続く
市議会の副議長に「田久保劇場」とまで言わしめた一連の騒動だが、まだしばらくは続く可能性がある。
もし解散を選べば市議選が行われるが、今回の不信任決議案が全会一致で可決されたことから考えると、田久保派の新人が大量当選しない限り、また同じ道をなぞることになってしまう。
そう考えると、もうひとつの選択肢である失職の方が、田久保氏に追い風になる可能性が高い。一度は「辞職後の出直し市長選出馬」を表明したのだから、そのタイミングがズレただけだと主張することもできる。
不信任案の可決を受けて、議会の解散ではなく、失職・出直し選に打って出る。直近では兵庫県の斎藤元彦知事が、この道を選んで、再選を果たした。田久保氏も、これを下敷きにしている可能性はありそうだ。
■「卒業か、卒業していないか」というわかりやすい構図
そんな田久保氏の一挙手一投足は、テレビなどのマスメディアも注目し、連日報じられている。ではなぜ、ここまで盛り上がっているのだろうか。そこには大きく分けて、3つの要素があると考えられる。「構図のわかりやすさ」と「画づくりのしやすさ」、そして「報道のしやすさ」だ。
まず「構図のわかりやすさ」だ。そもそも学歴詐称疑惑は、「卒業か、卒業していないか」の二者択一となる。
そして、海外ならまだしも、国内の大学についてその確証をつかむのは、極めて容易だ。すぐさま答えが出せるにもかかわらず、「長く引っ張っている」ように見える現状が、事態をエンタメ化しているように思う。
加えて、田久保氏の場合には、既得権益を打破する存在としての期待も高まっている。「既得権益側か、改革側か」の二項対立もまた、単純ゆえに支持されやすい。5月の市長選では、メガソーラー計画の白紙撤回や、新図書館の建設中止などを公約に掲げた結果、田久保氏が現職を下した経緯がある。
斎藤氏の件でもそうだが、「改革を止めようとする勢力によって、執政を邪魔されている」といった擁護は、ときに再選の原動力になる。そこに「男性現職vs女性新人」という、こちらもわかりやすい構図が重なることで、より注目を集める結果となっているのだろう。
■テレビで扱われるほど同情の声が広がっていく
続いてのポイントは「画づくりのしやすさ」だ。“画づくり”とは、カメラ撮影などに用いられる表現だが、ここでは効果的な見せ方にするための工夫という意味で使おう。とくにテレビメディアにおいて、「被写体の強さ」は、ニュースバリューの判断材料にもなり得る重要な要素だ。
その点、田久保氏は“映える”存在だ。後に撤回する辞職表明を行った7月7日の会見には、ピンク色のジャケットを着用して登場。
日頃の登庁時には、公式サイトにも用いられている「紫」を基調とした持ち物を身にまとい、報道陣へシャッターチャンスを提供している。
そして、欠かせないのが「報道のしやすさ」だ。インパクトのあるフレーズ、つまり“パワーワード”が多いのも、本件の特徴となっている。
例えば百条委員会の場では、卒業証書とされる書面について、議長らに「19.2秒ほど見せた」「ストップウォッチで測りました」などと振り返ったことが話題になった。田久保氏の一挙手一投足が注目されるのは、こうした言葉選びのセンスと無関係ではないだろう。
続投を宣言した会見では「メガソーラー計画も新図書館建設計画も水面下で激しく動いております」と発言するも、そうした事実はないとして、市公式サイトに謝罪文を掲載する事態になった。
このように記事タイトルや見出しに取りやすい“印象に残る言動”を連発していることが、ローカルネタでしかない話題を、全国規模にまで高めたと言っていいだろう。そして、マスメディアが田久保氏の手のひらの上で踊らされた結果、彼女の主張は拡散され、同情の声が強まっているのだ。
■「終わりが見える」「東京から近い」
報道のしやすさには、「取材しやすさ」も含まれる。有権者の信託を受けた“公人”である首長は、芸能人に対してよりも、踏み込んだ取材をしてもいいという風潮がある。公益性を盾にすることで、多少プライバシーに触れても問題ないという解釈だ。
また、「ある程度の終わりが見えている」ことも、取材陣にとっての安心材料だ。
先に言ったように、解散と失職のどちらを選んでも、長くても数カ月後には、ひとまずの決着がつく。長期取材ではなく、一時的な戦力投入だからこそ、人員を回せる側面は否めない。
加えて、在京メディアにありがたいのが、伊東市が東京からさほど遠くないこと。新幹線と在来線、そしてバスを乗り継ぐと、東京駅から市役所まで、最速で片道2時間を切る。現地に長期滞在せずとも、日々取材に行けるアクセスの良さも、おそらく“田久保報道”が多いことと無関係ではないだろう。
■SNS上で「田久保応援団」が形成されつつある
これらの理由が複合的に絡んだ結果、ワイドショー的なコンテンツとして流通したのではないかと考えている。しかし、わかりやすさを全面に押し出した報道は、視聴者や読者の心情を左右しかねない。
実際に「たたかれすぎて、かわいそうだ」といったSNSの声は、日に日に増している。ただ、こうした声は、物事の本質をボカしてしまう。本来問われているのは「大学除籍を『卒業』と称した人物が、公職に適した存在と言えるのか」のはずだ。しかし過熱報道により、論点がブレつつあるように感じるのだ。
とくにここ1~2年で、「積極的に批判報道を流すのは、その人物の存在がジャマだからだ」といった“オールドメディア批判”が、SNS上では珍しくなくなった。
田久保氏をめぐっても、こうした文脈からの応援団が形成されつつある。
その勢いは、反田久保の論調が広まるほどに、強まっていくだろう。田久保氏は7月末の時点で、市幹部から「全部長の総意」として辞職・出直し選挙を求められていた。そして今回、市議会からもNOを突きつけられた。さらにメディアも批判的な報道だ……となれば、より「守らないと」と先鋭化する支持者が出てもおかしくない。
そうした意味において、このままワイドショー化が続けば、そもそも論が薄れるのではないかと危惧しているのだ。

----------

城戸 譲(きど・ゆずる)

ネットメディア研究家

1988年、東京都杉並区生まれ。日本大学法学部新聞学科を卒業後、ニュース配信会社ジェイ・キャストへ入社。地域情報サイト「Jタウンネット」編集長、総合ニュースサイト「J-CASTニュース」副編集長、収益担当の部長職などを歴任し、2022年秋に独立。現在は「ネットメディア研究家」「炎上ウォッチャー」として、フリーランスでコラムなどを執筆。政治経済からエンタメ、炎上ネタまで、幅広くネットウォッチしている。

----------

(ネットメディア研究家 城戸 譲)
編集部おすすめ