■日本代表・大谷が見られるのはネトフリだけ
2026年3月の第5回WBCの日本での独占放映権をアメリカのネットメディア、ネットフリックスが獲得したことは、大きな衝撃となった。
今のところ、日本の地上波テレビではWBCの試合中継は視聴できず、各局は「ダイジェスト映像」をネットフリックスから買うことになりそうだ。
前回のWBCは東京ラウンドからエンゼルスの大谷翔平(所属は当時、以下同)、パドレスのダルビッシュ有とメジャー選手が参戦した。NPBのオリックス山本由伸、ロッテ佐々木朗希、ヤクルト村上宗隆、巨人岡本和真などスター選手と共闘して東京ラウンドを全勝で通過。アメリカ、マイアミでの決勝ラウンドでもメキシコ、アメリカに勝って2009年以来の「世界一」に輝いた。
とりわけ決勝戦では、最終回に大谷翔平と、エンゼルスの盟友でアメリカチームのリーダー格のマイク・トラウトとの一騎打ちを迎え、大谷がトラウトを三振に切って取ると言う劇的な幕切れになった。
■野球好きの人々の意外な反応
多くの日本ファンは、この壮大なドラマの一部始終を主として地上波テレビで見ていた。3月16日19時過ぎから放送された東京ラウンドの最終戦、日本対イタリアは世帯視聴率48.0%、個人視聴率31.2%。
3月22日の決勝戦、日本対アメリカは水曜日の朝8時25分からの放送にもかかわらず世帯視聴率42.4%、個人視聴率24.3%を記録した(いずれも関東地区)。ちなみに、日本対イタリア戦の視聴率は、2023年の全番組のトップだった。
このことを考えると今回のネットフリックスの独占放映権獲得は、強烈な衝撃ではある。
一般の人々は、自宅のテレビがネットとつながっていない限り、そしてネットフリックスとサブスク契約をしない限り、大谷翔平やダルビッシュ有の活躍を見られないのだから。
しかしながら筆者周辺にいる「野球好き」の人々の反応は違っていた。
「やっと地上波の酷い放送から解放される。あれを視聴しなくて済むなら、サブスクなんて安いものだ」
実のところ、民放のスポーツ中継は、スポーツ好きの視聴者にとっては悪評高かったのだ。
■「プロ野球ニュース」のクセあり解説陣
昭和の昔、民放、NHK各局には、プロ野球を専門的に中継するスタッフがいて、プロ野球専門アナウンサーもいた。年間契約をした解説者が何人もいて、プロ野球解説には「各局なりのカラー、スタイル」があった。
鶴岡一人、川上哲治と重鎮を揃えたNHKは、オーソドックスで重厚。大御所解説者が選手に「あの選手は何をやっとるんでしょう」とお叱言を言うこともしばしばだった。
日本テレビは、昭和40年代まで佐々木信也の軽快な解説が印象的だったが、佐々木がフジテレビに移籍してからは、巨人ファンのアナウンサーによる巨人中心の放送が売りになった。
「だってあの審判、阪神ファンやもん、ボール言うはずないよ」など解説者・青田昇のかなり偏った解説が耳の底に残っている。
「プロ野球ニュース」以降のフジテレビは豊田泰光、西本幸雄、関根潤三など「どこから探してきた」という癖のある解説者を揃えた。
豊田の「俺だってあいつより先に1000三振してるんだけど誰も取り上げてくれない」、西本の「今の近鉄は調子が悪いね、私の顔色と同じくらい悪いね」みたいな、強烈なコメントが印象にある。
TBSは、杉下茂、衣笠祥雄、小林繁と上品でオーソドックスな解説陣。選手を傷つけずに解説しようと言う配慮が見て取れた。衣笠の甲高い解説の声は今も覚えている。
テレビ朝日と言えば、アナウンサーよりよくしゃべる板東英二。
「まあ、わたくしがプロ入りした時は、王選手よりはるかに騒がれたものですが、今ではこんなに差が開いて」との言葉に隣のアナが黙っていると「そんなことないって言わんか!」。
■福本豊「たこ焼きみたいやね」
筆者は関西出身だが、関西ローカルはさらに強烈だった。
朝日放送の福本豊は、
アナ「試合は0対0のまま終盤に」福本「たこ焼きみたいやね」
アナ「終盤に1点が入りました」福本「たこ焼きにつまようじ刺さったね」
読売テレビの川藤幸三は、
アナ「この新外国人選手はメジャー100本塁打している大物です」
川藤「なんでそんな大物が、日本になんか来るねん!」
アナウンサーの多くもプロ野球中継に命を懸けていた。
多くのアナウンサーは、試合用に分厚いノートをつけていた。新聞のスクラップなども用意して、選手以上に入れ込んで試合に臨んでいた。
元NHKの島村俊治アナウンサーは、1992年バルセロナ五輪で史上最年少(当時)で金メダルを獲得した岩崎恭子の泳ぎを実況したことで知られ、プロ野球でも数々の名実況を手掛けた。もともとは音楽畑のディレクター志望で、NHK入局後もスポーツ中継は気が進まなかったという。
しかし、入局1年目に高校野球の東中国大会、岡山東商と関西高校の決勝戦で岡山東の平松政次(のち大洋)と関西の森安敏明(のち東映)の行き詰まる投げ合いを先輩アナウンサーが実況中継するのを聞いて「スポーツ、野球はいいな」と初めて思い、スポーツアナになる決心がついたと言う。
こういう形で日本の「スポーツ中継」は、代々「スポーツの魅力を伝える」ことに使命感を抱く解説者、アナウンサー、スタッフによって磨き上げられてきた。
■絶叫する「低レベルなアナウンサー」
しかし21世紀初頭、プロ野球ナイターの視聴率が10%を割り込むと、民放各局は次々と中継から撤退。以後、テレビ放送は年間十数試合となり、「日本の日常風景」から消えていった。
WBCのテレビ中継は2006年から始まった。すでに職人気質のスタッフは相当減っていたと思われる。
実況アナウンサーはとにかくやかましくなった。まず、この大会が「どれだけすごいか」を言い立てた。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」はテレビ朝日のサッカー日本代表のフレーズだが、家族でも親戚でもないだろうに何をそんなに入れ込んでいるんだ、みたいな大げさな表現が目立った。
そのくせ内容は空疎だ。この手の地上波実況アナの多くが、放送の主役が自分だと思っているようで、スタジアムのざわめきやグラウンドの雰囲気を伝えるのではなく、すべてを自分の実況で埋め尽くそうとしていた。
その上に、ほとんど日本人選手のことしか語らない。日本人なら日本の勝利を願っているはずだ、という前提はわかるが、相手がどんなにすごい選手なのかをちゃんと説明しないから、見どころがどこなのかがわからない。
そして、試合では常に「絶叫のしどころ」を狙っている。選手が塁を回って本塁に突入すると、この手のアナウンサーは必ず絶叫する。大の男があんな声を出すのは、親の死に目に間に合わなかったときくらいだ、と言いたくなる。
■専門家が一人もいない
解説者の影が薄いのもWBCの特色だ。
槙原寛己、和田一浩、里崎智也、井端弘和、高橋尚成、工藤公康、最近は松坂大輔など一流の解説陣だが、MLB経験者も含め、MLBの野球に精通している人が少ない。そのため、一般論と「個人の感想」レベルにとどまる。解説者が「昭和の野球中継」に比べて格段に面白くなくなっていたのだ。
要するに、WBCの地上波中継は「専門家が一人もいない」ままに放送してきたという印象だ。
今回、地上波放送があったとしても登場することはないが、テレビ朝日は第1回から中居正広氏を「アンバサダー」にしてきた。中居氏はのちに侍ジャパンの公式アンバサダーになった。2015年の「プレミア12」あたりから中居氏は解説もするようになったが、選手の守備位置とか打者の構えとか専門的な解説は「芸能人」ではなく「解説者から聞きたい」と思ったものだ。
また選手にまつわる「美談」「いい話」をふんだんに盛り込むのも煩わしかった。
■「J SPORTS」名実況を知っているか
こうしたWBCの実況放送から見て取れるのは、いまどきの地上波放送局が「野球、スポーツの試合なんて、そのまま伝えても面白くもなんともない」と思っているということだ。
「一般の視聴者はそんなもの、かったるくて見ていられないはずだ。だから俺たちが面白くしてやるぜ」的な、上から目線だ。今の民放番組は大半が「バラエティ番組化」しているが、スポーツの実況中継も同様だった。
野球が本当に好きなファンは、BS、CSなどで視聴できる有料専門チャンネル「J SPORTS(ジェイ・スポーツ)」でWBCを視聴してきた。
地上波は日本戦だけだが、ジェイ・スポーツは2006年の第1回から前回まで、WBCの東京ラウンドの全試合を放送してきた。日本以外の対戦も見どころをおさえて丁寧に実況中継した。
前出の島村俊治、節丸裕一、谷口廣明などのアナウンサーは、伝えるべき情報をきっちりと伝えていた。AKI猪瀬、蛭間豊章、豊浦彰太郎などの解説者は、感想ではなく「解説」をしていた。
島村アナなどはクライマックスのシーンでわざと実況をやめて、場内の映像だけを伝えた。「沈黙」で、会場の高まりを伝えた「しゃべらない名実況」だった。
■刺身にケチャップをかけたよう
もちろん「野球好き」以外の人には、いささかハードルが高かっただろうが、WBCの放送に食い入るように見入っていた人の多くはジェイ・スポーツを選択した。もともとジェイ・スポーツは有料放送だから、ネットフリックスに対する抵抗感はそれほどないと言えよう。
そのまま食べてもうまい刺身に、民放各局はケチャップだの香辛料だのをふんだんに振りかけていた。一方でジェイ・スポーツは「素材の持ち味」をそのまま伝えようとしていた。端的に言えば、そういうことだ。
ネットフリックスは、ここまで「コンテンツの質、面白さ」でサブスクの視聴者を増やしてきた。日本の民放各局のような薄っぺらい放送はしないと思う。
ネットフリックスの制作体制がどうなるのかはわからないが、個人的にはジェイ・スポーツが番組作りに参画してほしいと思っている。
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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。
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(スポーツライター 広尾 晃)