※本稿は、西川邦夫『コメ危機の深層』(日経プレミアシリーズ)の一部を再編集したものです。
■「小麦戦略」がコメ離れの原因なのか
何がコメに対する需要の減少をもたらしているのか。仮に人口減少を避けがたいものとして、ひとまず脇に置いておくと、焦点は1人当たり消費量ということになる。日本が人口減少社会に転じたのは2009年からであるが、1人当たり消費量の減少はそのずっと前から続いてきた。まずは、食生活の変化に注目して、日本人のコメ離れの要因を検証したい。
コメが上級財から下級財になったことは、日本人の食生活が高度経済成長期以降に大きく変化したことと関連している。よくコメ離れの要因として指摘されるのが、代替食品であるパンや麺類等の小麦製品の消費が増加し、コメを代替したことである。特に、アメリカによる、いわゆる「小麦戦略」が強調されることが多い。アメリカ国内の過剰在庫を解消するためのはけ口として、日本がターゲットにされた。キッチンカーによるパン食の普及や、学校給食に対する小麦の提供によって、日本で新たに小麦製品の市場を開拓したというものである。
■コメ消費が小麦によって代替されたとはいえない
筆者は小麦製品によるコメの置き換えは、過大評価するべきではないと考えている。
第2次世界大戦前にコメ需要が増えていた時、コメによって置き換えられたのが小麦であった。戦後の小麦に対する需要の増加はパン等の食生活の変化によってもたらされたものなので、確かに戦前とは違う新しい食品としての側面もあるだろう。しかしながら、小麦自体は日本人にとってなじみの深いものであったため、コメを置き換えて需要が増えていくようなものでもなかったのである。
■食生活の変化の主役は「肉類」と「油脂類」
コメを置き換えたのは肉類と油脂類であった。同期間に供給カロリーの構成比が、肉類は1.2%から8.1%へ、油脂類は4.6%から14.1%へと上昇した。2つを合計すると上昇幅は16.4%になり、コメの割合の低下の6割を占めることになる。
過去には政府も、肉や油脂によるコメの置き換え効果を、明確に認識していた時期があった。1980年に農林水産省農政審議会が答申した「80年代の農政の基本方向」は、PFC(タンパク質・脂質・炭水化物)バランスがとれた「日本型食生活」を、定着させるべき食生活として提起した文書として有名である。行政関係者によって執筆されたと考えられる解説本の中では、コメと肉・油脂の関係について、以下のように指摘されている。
「米の消費の減退は基本的には、所得水準の向上に伴い、畜産物、油脂等の消費が増加し、食生活が多様化した結果であるとみられる。即ち、近年の米から供給される熱量の減少と畜産物及び油脂から供給される熱量の増加との間には強い逆相関関係が認められる。(昭和――筆者による――)48年度以降総熱量は横ばい傾向に入っているが、この中での米の減少と畜産物、油脂の増加がほぼ均衡するようになっている」
■コメは「たんぱく質の摂取源」でもあった
所得の上昇により、「憧れ」の食品が肉や油脂を使用したものに変わっていったために、従来主たるカロリーの摂取源であったコメの消費が減少していくという認識は、極めて妥当なものであったといえる。
また、肉の消費増加は、たんぱく質の摂取源がコメから置き換わる過程でもあった。コメには人間が必要とする必須アミノ酸も含まれている。
大量のコメを食べるためには塩辛いものを摂取する必要があり、味の濃いみそ汁を大量に飲む。東北地方のような寒冷地において食塩の過剰摂取が見られるのは、それによって基礎代謝を活発化させるためであるが、高血圧や脳卒中の危険性を高めることになる。
また、コメのアミノ酸の構成は肉類と比べて良質ではない。それを補っていたのが大豆食品の摂取であるが、そのこともみそ汁の多飲につながった。よって、アミノ酸の摂取効率の側面からも、コメよりも肉のほうが望ましいことになる。ちなみに、小麦のたんぱく質の栄養価はコメとほとんど変わらないようである。コメの多食が肉に置き換わることは、栄養面からも望ましかったのである。
■肉類の供給カロリーは増加を続けてきた
日本人の1人1日当たり供給カロリーは1996年の2670キロカロリーをピークに減少し、2023年は2203キロカロリーとなっている。高齢化の進行で平均的な日本人の胃袋が小さくなってきていることや、ダイエットの流行等の健康・美容志向の高まりが要因と考えられる。しかしながら、肉類の供給カロリーはつい最近まで増加を続け、ピークは2019年の192キロカロリーであった。
肉食の普及は海外からの輸入に依存したものであった。図表2は、肉類と飼料の自給率(=国産供給カロリー÷供給カロリー)の推移を示したものである。肉類は海外から輸入した飼料に依存して生産されているので、その自給率は飼料の自給率を加味して計算される。海外への依存は2段階で進行した。
第1に、輸入飼料への依存である。肉類の自給率は、高度経済成長期から1980年代中頃にかけて緩やかに低下したが、その期間は飼料自給率が大幅に低下した時期であった。つまり、国内の畜産業はトウモロコシをはじめとした輸入飼料に依存することで生産を維持、もしくは拡大し、増加する需要に応えていたのであった。そのような畜産業のあり方を、原料を輸入して最終製品を製造し海外に輸出する加工貿易にちなんで、「加工型畜産」と呼んでいる。
■輸入飼料への依存から、輸入肉類への依存へ
第2に、肉類自体の輸入への傾斜である。1980年代後半以降は飼料自給率の低下は止まったが、肉類の自給率は低下を続けた。農産物貿易の自由化により、肉類の輸入が増加したためである。
牛肉関税はGATTウルグアイ・ラウンド農業交渉(1986~1994年)の合意によって、2000年までに38.5%に引き下げられた。そして、2016年に署名された環太平洋パートナーシップ(TPP)協定では、協定発効16年目までに9%にまで引き下げることが約束された。以上のように、輸入飼料への依存から輸入肉類への依存へと形を変えながら、肉類の消費量は増加し続けてきたのである。
■パッケージとして変えられていく食生活の姿
肉に対する需要の増加は、魚食の減少と表裏一体であった。先の図表1からは、1990年代以降に魚類から得るカロリーの構成比が低下していることが確認できる。魚食の減少には、1977年に各国が設定した200カイリ漁業専管水域による漁獲量の減少や漁業資源の減少、それらを要因とした魚の価格高騰、調理にかかる手間等の様々な要因が関係している。しかしながら、不安定な漁業生産を、相対的に供給と価格が安定していた国内畜産業や輸入肉類が置き換えていった側面を見逃すことはできない。コメと魚食という伝統的な日本人の食生活のパターンが、肉によって置き換えられていった。
アメリカによる食料戦略を問題にするのであれば、焦点は小麦によるコメの置き換えではない。トウモロコシ飼料による加工型畜産の成立から、肉自体の輸入の増加へという、2段階での食生活の肉食化戦略こそが問題とされるべきである。コメの多食と塩辛いみそ汁、そして魚食が結びついた伝統的な食生活は、肉と油脂を中心として、パンを副食とした「西洋的な」食生活に置き換えられていったのであった。コメ離れの深層には、パッケージとして変えられていく食生活の姿があった。
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西川 邦夫(にしかわ・くにお)
茨城大学学術研究院応用生物学野教授
1982年島根県松江市生まれ。2005年東京大学農学部卒。10年東京大学大学院農学生命科学研究科博士後期課程修了(博士[農学])。同年日本学術振興会特別研究員(PD)。14年茨城大学農学部准教授。25年4月より現職。16年安倍フェローシップおよび17年日本農業経営学会奨励賞受賞。著書に『「政策転換」と水田農業の担い手』(農林統計出版)、『米産業に未来はあるか』(共著、農政調査委員会)『水田利用と農業政策』(編著、筑波書房)など多数。
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(茨城大学学術研究院応用生物学野教授 西川 邦夫)