※本稿は、水野太貴『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)の一部を再編集したものです。
■マダガスカル島の不思議なコミュニケーション
「なあ、いつお前の兄さんに会えるんだ?」
「もし5時より前に来ても、決して会えないよ」
こんな会話を聞いたら、あなたはどう思うだろうか。5時以降に行けばお兄さんに会える、と推論するのではないだろうか。ところが西インド洋に浮かぶマダガスカル島では、その常識は通じない。この応答は、「5時以降に来たら会える」という保証を与えないのである。
コミュニケーションにおける正解は万国共通ではない。文化にも大きく影響を受けるからだ。遠く離れたマダガスカルではちょっと信じがたいくらい異なるルールで社会が作られている。
英語圏以外に目を向けると、びっくりする文化はいくらでもある。例えばブラジル・アマゾンの奥地で話されるピダハン語には、「こんにちは」とか「さようなら」とか「ご機嫌いかが」にあたる語がない。だから、誰かが村にやってきてもまったく声をかけないという。
その結果、この言語を研究した言語人類学者のダニエル・L・エヴェレットは、アメリカに帰ったときにお礼を言い忘れて幾度となく気まずい空気になったそうだ。
■あえて居場所をぼかすマダガスカル人
冒頭で挙げたマダガスカル社会もそうだ。ここでは、協調の原理が当てはまらないのだ。もう一つ会話例を挙げよう。
「あなたのお母さんはどこにいるの?」
「彼女は家か市場にいるね」
一見すると自然な会話だが、日本語話者がこう答えるのは、母は家か市場にいると思っているときである。ところがマダガスカルでは、母がどこにいるかわかっていたとしてもこう答えるようなのだ。
なぜこんな誤解を招くことを言うのだろうか。
■狭い社会では情報が権威につながる
この例を報告した言語人類学者のエリノア・オックス・キーナンによれば理由は二つあるというが、いずれもマダガスカルが同族の者で成り立っている、狭い社会であることと関係している。
一つは、マダガスカルでは事実をはっきり主張することを恐れているからだ。例えば「カップを割った人は誰だ?」と聞かれて、犯人を突き止める発言をすることはリスクになる。誰かに自分や家族が報復される危険が高まるからだ。
また、マダガスカル社会ではほとんどすべての活動が衆目にさらされているため、新たな情報は貴重であり、それを持つことが権威につながるということもある。だからこそ、このようにまわりくどい言い方をして、簡単には新しい情報を与えないようにするわけだ。
■タイの狩猟民族はあえてバイクの直し方を覚えない
「新しい情報が権威につながる」と言われても、ピンと来ないかもしれない。これについては、タイとラオスの狩猟採集民「ムラブリ」が話すムラブリ語の研究者、伊藤雄馬の体験談がわかりやすい。彼らもマダガスカル同様、限られたエリアで閉鎖的なコミュニティを築いている。
ムラブリたちは移動によくバイクを使うのだが、ある日バイクが故障してしまった。そのたびに村から離れた街の修理屋さんに持っていくのだという。これは現金の少ないムラブリにとっては、痛い出費である。そこで親切なある人が、バイクの修理法を覚え、それをムラブリたちに教えようとした。ところがムラブリたちは、まったく修理方法を学ぼうとしなかったという。教えようとした張本人は「向上心がない」と嘆いていたそうだ。
狩猟採集民はトップを立てた垂直的な組織ではなく、平等を重んじる。
狭いエリアで平等を重んじる社会を築く人々はそうしたことを熟知しているからこそ、僕たちとはまったく異なるストラテジーでコミュニケーションをとる。協調の原理を逸脱したマダガスカルやバイクの修理方法を覚えようとしないムラブリの事例は、僕たちにコミュニケーションの多様性を教えてくれる。
■10万円を貸して「助かったわ」は失礼か
ところで、ここまでの変わったコミュニケーションの例は、ブラジル、マダガスカル、タイと、海を隔てて遠く離れた国々の話である。社会構造も違うのだから、多少の文化差があるのはまあうなずける。では日本国内であれば、そこまで差は出ないと思うだろうか?
自分もリサーチを始めるまでは、そう思っていた。ところが日本全国で横断的に行なわれた調査によると、地域によってコミュニケーション行動にはかなり差があるようなのだ。
例えば、友人に「ごめん、10万円貸して」と頼まれたとする。仕方がないので承諾し、お金を渡したところ、「助かったわ」と言われた。
「お礼を言わないなんて失礼な」と腹が立った人はいないだろうか。僕もその一人である。「ありがとう」のようなお礼とか、あるいは「すまない」のような恐縮めいたひとことくらいほしいものである。
一方で、東北や九州の人の中には、「何がおかしいの?」と感じる人もいるだろう。それどころか、「ありがとう」よりよっぽど重みのある返事じゃないか、と思った人も自分は知っている。ある研究によれば、東北や九州の一部地域ではお礼を言わない代わりに、以下のように「助かった」とか「よかった」を用いて喜びを表現する傾向にある。
「助かった助かった。明日の朝、あんたの家さ、じぇんこ返すに行ぐすけぇ」(青森県十和田市)
「あーたが貸してくれたけん、よかったぁー。また出直さにゃんかて思ーたたい」(熊本県上益城郡山都町)
■「けつあつー」と言いながら入ってきた東北の男性
ポイントは、その地域の中ではこうした表現が自然だということだ。大事な違いなので強調しておきたい。個人差ではなく、地域差なのだ。
ほかにも、こんな例がある。
これも実は、東北地方ではよく見られるコミュニケーション行動なのである。結論から言えば、東北地方は思っていることを直接的に表現する傾向がある。
■売店に「売ってくれ」と言いながら入る地域もある
知らない人も多いだろうが、実はあいさつにも地域差がある。その中でも今回は、お店に入るときのあいさつを見てみよう。
僕は「こんにちは」や「ごめんください」を使うが、図表1に示すように、「居るか」にあたる形式とか、あるいは「売ってくれ」のように、販売を要求する形式を使う地域もある。そして、東北を見てみると、「入るぞ」とか「買おう」、「くれ」にあたる語を使う地域が多い。これらに共通するのは、自分の意志の表明である。
「買おう」とか「くれ」については、用件を伝えているといってもよい。
■コミュニケーションの正解は地域によって違う
こうした事実から、日本語学者の小林隆と澤村美幸は著書の中で、東北と近畿ではコミュニケーションで正解とされる手順に、下記の点において対照があると指摘している。いずれも近畿にその傾向が強く、東北にはあまり見られない。
①伝えたいことを口に出しがち
②場面に応じて、決まった言いかたで言いがち
③場面を細かく分けて、それぞれ専用の形式を用意しがち
④直接的な言いかたではなく、婉曲的に言いがち
⑤主観的に話さず、感情を抑えて客観的に話しがち
⑥相手への気遣いをことばによって表現しがち
⑦話の進行に気を配り、会話を演出しがち
詳しく知りたい方はぜひ原著に当たってもらいたいが、とにかく理解してほしかったのは「海外だけではなく、日本国内でもコミュニケーションの正解には地域差がある」ということである。
■他の地域のルールを「失礼」と断罪してはいけない
ここで注意したいのは、「東北のコミュニケーション=失礼」というわけではないことだ。東北においてはこのコミュニケーション様式が普通であり、自然である。
あなたがもし失礼だと感じるならば、東北では正解とみなされ、それで社会的には問題ないルールに対し、わざわざ近畿(あるいはその他の地域)のルールを持ち出し、断罪しているといえる。例えて言うなら、ルールを守って楽しくハンドボールをしている人々のところに行って、サッカーのルールを持ち出して「全員ハンドだからルールを守るべきだ」と文句を言っていることと同じである。
従来の研究では、こうした違いは人々の性格に帰するとされていた。「東北の人は無口な人が多い」といったステレオタイプがその代表例だ。あまつさえ、「東北地方は寒いから、極力口を開かないのではないか」とまことしやかに語られることもあった。しかしそれは違う。寡黙(あるいは無礼)な性格の人が多いのではなく、そうした行動が普通だとされる地域なのである。
■東北人の1割は醤油を取ってくれた義父にお礼を言わない
仮に近畿出身の妻と、東北出身の夫からなる夫婦がいたとしよう。晩ご飯を食べていると、夫が「なあ、そこの醤油とって」と言う。妻は手渡すが、夫はお礼のことばもなく、黙って受け取る。きっと「失礼な人ね」と腹立たしく思うことだろう。
ただ研究を見ると、このシチュエーションで配偶者に何も言わない人は東北だと26.5%にも及ぶ。近畿ではこれが19.4%、関東では11.5%にまで数値は落ちる。もっと言うと、なんと相手が義理の父母の場合でさえ何も言わない人が東北では11.1%もいるのだ。
近畿では義理の母に何も言わない人はわずか1%、義理の父に及んでは0%である。こうした事実を見ると、その夫が失礼な人だと考えるよりも、「それが常識だとされる地域で育ったのだ」と理解したほうがよっぽど建設的である。
「日本人」とか「日本語話者」というとどうしても同質的な集団をイメージしてしまうが、それは幻想だ。同じ日本国内でも、地域差は想像以上に大きく、そして思ってもいないところに潜んでいるのだ。
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水野 太貴(みずの・だいき)
編集者、YouTuber
1995年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、YouTube、Podcastチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で話し手を務める。同チャンネルのYouTube登録者数は36万人超。著書に『復刻版 言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)、『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(KADOKAWA)がある。
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(編集者、YouTuber 水野 太貴)