SNS、YouTube、マッチングアプリ……今や多くのメディアが情報商材などの怪しいビジネスの勧誘で溢れている。『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)で若者の消費活動や就職活動を分析した経営学者の舟津昌平氏は「明らかに不審なのに、安易に手を染めてしまう若者が後を絶たない。
若者が怪しいビジネスにハマる理由は、私たち年長者が作っている側面がある」という――。(取材、構成=ライター・島袋龍太)
■若者が怪しいビジネスにハマる理由
皆さんは「モバイルプランナー」をご存知でしょうか。携帯電話の契約の見直しを提案するビジネスで、2021年頃から学生を中心に流行していました。
よくある携帯ショップのセールスにも思えますが、学生がどこの店舗にも属さず、友達を中心に営業をかけるのが特徴です。そのため、「友達商法」と批判を浴びており、2021年には元締めの業者が総務省に是正命令を受けるなど、厳密には違法ではないこともあるものの「グレーなビジネス」とされています。
私は著書『Z世代化する社会』で、モバイルプランナーの経験がある学生をインタビューし、Z世代の若者がグレーなビジネスに手を染める背景や動機について考察しました。多くの読者は「ラクして金を儲けるため」と予想するかもしれませんが、それは違います。むしろ、モバイルプランナーはビジネスとして極めて収益性が低く、Z世代風に言えば「コスパが悪い」とすらいえます。
では、なぜハマってしまうのか。キーワードは「就活」と「成長」です。
インタビューを実施した学生のひとりは、就活面接で問われる「ガクチカ」(学生時代に力を入れたこと)の元となる経験を得るため、別の学生の場合は「成長するため」が足を踏み入れた動機でした。モバイルプランナーを募集する元締めの業者も「就活」や「成長」をフックにして学生を勧誘していました。

部活やアルバイトなどの「真っ当なこと」で成長すればいいではないか、と思われるかもしれません。しかし、昨今の社会の風潮を踏まえると、そう安易に切って捨てられない事情があります。
■「起業家礼賛」の風潮の落とし穴
起業家は、メディアなどでもよく礼賛の象徴になります。「なぜ日本にはスティーブ・ジョブスが生まれないのか」との嘆きの声をしばしば耳にすることもありますね。若い起業家を称えるテレビ番組や報道は毎日のように目にしますし、就活で「起業家精神あふれる人材」を求める企業も多いでしょう。大学などの教育機関でもアントレプレナーシップ教育が流行していて、授業にも取り入れられています。停滞感の強い日本で、それを打破する役割に期待が集まるのは理解できます。
しかし、起業をめぐる実態には暗部もあります。GAFAの一角であるFacebookの原点が、大学のサーバーをハッキングして入手した女子学生の身分証明写真で人気投票をするゲームだったことは広く知られています。女性起業家に対するセクハラが横行しており、経産省が調査に乗り出すという報道もありました。
その他にも、UberやAirbnbなど世界に冠たるユニコーン企業が、法的や倫理的に危ういビジネスに手を出していたケースは決して珍しくありません。「山師」という言葉があるように、ビジネスには反倫理的要素や逸脱が入り込みがちだといえます。

■アントレプレナーシップ教育が孕むリスク
つまり、ビジネスにおける「真っ当」と「グレー」の境界は、世の中で思われているほど明確ではないのです。大学のアントレプレナーシップ教育においても、倫理的に危うい指導が横行しかねないという懸念の声は根強くあります。実際に、イエール大学のカイル・ジェンセン教授は『The Ethics of Entrepreneurship Education(起業家教育の倫理)』という著作で、アントレプレナーシップ教育に潜むリスクや問題点を数々指摘しています。
■Z世代の若者は「素直に行動しただけ」
法律や常識からの逸脱もリスクとして孕む起業家という存在が礼賛されるなかで、怪しいビジネスに走るZ世代の若者をこのような立場から非難できるでしょうか。
むしろ、彼らや彼女らは、年長者や社会の側が求めていることを素直に実行しているとも言えます。就活において「ガクチカ」という曖昧な判断基準で学生を選別しているのは企業です。日本の社会や経済のためと、若者に起業を促す年長者も少なくありません。就活への過度なコミットメントや非現実的な成長を煽られて、怪しいビジネスに足を踏み入れている側面は確実にあります。
しかも、皮肉なことに、私の調査する限りではモバイルプランナーの経験は、実際に就活で有利に働いていましたし、若者の成長を促す自己実現のツールにもなっていました。
私たちが称賛し、期待を寄せる若者像と、思わず眉をひそめてしまう愚かな若者像は、もしかすると同じ人物の違う側面かもしれないのです。
■「成長の個人化」が若者を「カモ」にする
モバイルプランナーは学生を中心に流行していましたが、怪しいビジネスにハマる気質は、Z世代の若手社員にも共通しているように思います。場合によっては、若手社員のほうがハマりやすいかもしれません。

というのも、昨今の企業では「成長が組織と切り離され、個人化している」からです。これは、スキルアップや新たな能力の獲得が、組織の文脈を離れて個人の問題として「矮小化」されていることを意味します。
近著『若者恐怖症――職場の新たな病理』(祥伝社)で指摘したのですが、企業の人材育成への投資は1991年以降、低下し続けています。また、いわゆる終身雇用の慣習が衰えていくなかで、企業はキャリア形成を従業員それぞれに委任しつつあります。
「組織のために成長してほしいし、面倒を見られなくなっても他社で活躍できる能力を身に付けてほしい。でも、それは自分でやってね」というわけです。
■環境に左右されやすい若者が社外に出たら…
しかし、仕事における成長は容易に個人化できません。個人の能力は、組織の環境と合致したときに初めて発揮されるものであり、成長も組織との関係抜きには定義できないからです。
「ある会社では活躍していた人物が、転職をきっかけに急に成果を残せなくなった」という話を耳にしたこともあると思います。個人の能力がいかに環境依存的であるか、分かりやすい例です。
英語やプログラミングなどの汎用的なスキルも存在しますが、汎用的だからこそ、そうした能力「だけ」で高い価値を発揮するのは困難です。「どの会社でも活躍できる人材」は、極めて限定的な状況でしか存在しえないのです。

それにもかかわらず、成長の個人化がますます進行すれば、どうなるでしょうか。SNSやYouTubeを眺めれば、危機感を煽って怪しいビジネスに誘導するインフルエンサーや業者が溢れています。拙速な成長意欲に駆られた若者が「カモ」になるのは自然な流れではないでしょうか。
■本当にジェネラリスト教育は時代遅れなのか
「成長の個人化」とは異なる方向性の従業員教育として「ジェネラリスト教育」があります。特定の専門分野は持たないものの、組織内でのジョブローテーションやOJTを通じて幅広い能力や技術を養う教育手法です。「尖った専門性が育たない」「時代遅れ」などとして昨今しばしば批判されますが、一概に悪いこととは言えないかと思います。
以前、某大手メーカーの人事担当者からこんな話を聞いたことがあります。そのメーカーは新技術の台頭によって、かつての主力事業から撤退し、事業部の従業員をまとめて配置転換したのだそうです。まず、解雇せずに済んでいる。その後、異なる仕事に配属された従業員たちが、パフォーマンスを急激に落としたり、出世に大きく遅れたりしたかといえば、そうではないといいます。担当者の方は、長年にわたりジェネラリスト教育を実施していたので、事業環境が激変して、組織構造を大きく変えざるを得なくなっても、新たな体制に比較的スムーズに移行できたと説明されました。限られた場所でしか活躍できないようには育てていない、ということです。

あらゆる企業で、これほど事がうまく運ぶとは思いませんが、この事例は重要な問いを投げかけています。不確実性が高まり、いつ事業環境が激変するか分からない昨今、組織主導で従業員の成長を幅広く支援するジェネラリスト教育のほうがメリットは大きいかもしれないということです。少なくとも「成長の個人化」が本当に企業にとって有益なのかは、立ち止まって考える必要があるように思います。
■「相互不信」が若者問題の病巣
いずれにせよ、若者を怪しいビジネスに誘う背景には、成長やキャリア形成が個人化され、組織への信頼感が薄らいでいることが要因としてあります。だとすると、もし若手社員を怪しいビジネスから遠ざけたいのであれば、組織が個人の成長に一定程度関わることが重要でしょう。
最近は副業を解禁する企業が多いです。例えば、若手社員が副業で得た経験の振り返りや棚卸しを共に行うというのはどうでしょうか。主業と副業の相互作用に期待するわけです。そうした活動のなかで醸成される信頼関係はあるでしょうし、社外から得られた知識や技術を組織として活用しやすくなるはずです。
私は昨今の企業社会を取り巻く若者を巡る問題の多くが「組織と個人の相互不信」に起因していると考えています。企業は個人を見捨てはじめ、個人も組織を見限りはじめている。それによる歪みが、若者の早期離職やハラスメントといった問題に形を変えて表面化していると『若者恐怖症』でも指摘しました。

しかし、それは裏を返せば、従業員と強い信頼関係を築ければ、他社との差別化の要因にもなるということです。部下の若手社員の言動や振る舞いに怪しいビジネスの影を感じたら、普段よりも少し距離を縮めるつもりで、話を聞いてみるところから始めてはどうでしょうか。

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舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

1989年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業、京都大学大学院経営管理教育部修了、専門職修士(経営学)。2019年、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。著書に『経営学の技法』(日経BP社)、『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)、『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房/2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門、2024年度企業家研究フォーラム賞著書の部受賞)、『組織変革論』(中央経済社)、『若者恐怖症 職場のあらたな病理』(祥伝社)など。

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(経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師 舟津 昌平 取材、構成=ライター・島袋龍太)
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