ナイル川流域で発展した古代エジプト文明は、紀元前3000年ごろから約3000年続いたと言われる。駒澤大学の大城道則教授は「古代エジプト人は現代にも通じる格言を残している。
その中には、お酒に関する警告も含まれている」という――。
※本稿は、大城道則『古代人の教訓 視野が広くなる、世界最古の格言』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■大人を「赤ん坊」にしてしまう怖い飲み物
【格言】ビールは吐くまで飲むな

ビールを飲みすぎてはいけませんよ。飲みすぎれば、あなたは自分の気づかぬうちに、意味不明な言葉を口走ってしまうからです。もしも倒れ込んでしまい正体をなくしても、誰も介抱などしてくれないのです。一緒に飲んでいた友人は立ち上がり、「酔っ払いは向こうへ行け」と言うでしょう。あなたを探して、話をしようとしていた人は、あなたが赤ん坊のように寝転がっている姿を目にすることでしょう。(「アニの教訓」より)
お酒を飲める年齢の人は、このような経験をした、またはこのような現場に遭遇したことは多いだろう。特に自ら粗相をした経験を持つ人にとってはトラウマで、耳の痛い話だ(画像1)。
■イスラム教徒はアルコールが禁じられている
現在のエジプトは国民の90%以上がイスラム教徒なので、ほとんどの人はお酒を飲まない。日本の居酒屋さんなどで日々頻発する、お酒を吐くまで飲むような失態をする人たちを目にすることはまずない。
しかし90%強がイスラム教徒であるのなら、裏を返せばそれ以外の宗教の人もいるということだ。
実際に残り約10%の人がキリスト教の一派であるコプト教の信者なのだ。よって首都カイロの街角には酒屋さんが幾つもある。私も何軒か知っている。実際に購入した経験もある。ただ、そのようなお店の雰囲気は少しダークで、お店に入るとなんだか悪いことをしているような錯覚に陥る。
また当たり前なのだが、大都市の高級ホテルであれば、観光客としてビールもワインも飲めるのだ。観光客が禁断のビールの泡をうまそうに口にするのを目にするのは、エジプトが世界屈指の観光立国であることを再認識する瞬間でもある。
■古代エジプト人は「大の酒飲み」だった
しかしながら、古代のエジプトは今とは少し様相が違っていた。7世紀の初め頃にイスラム教がムハンマドによって創始されて以来、アルコールは教義によって禁止されているが、それ以前は禁止されていなかった。ビールもワインもエジプトで楽しまれており、野生のミツバチからハチミツを採って作ったハチミツ酒のミードなども飲まれていた。
そして古代エジプト人たちは禁酒どころかむしろ、それらアルコール飲料を毎日飲んでいたことが知られている。古代においては、土着のエジプト人だけではなく、エジプトを訪れた異民族たち、たとえばペルシア人、ギリシア人、ローマ人もそれらを口にしたに違いないのだ。

川辺に近づきワニやカバに襲われる危険性もなく、住血吸虫の住むナイル川の水を飲むよりも安全な飲み物こそがビールなのであった。今とは違いアルコール度数も低かったことから、大人だけではなく子供も飲んでいたようである。
■水とパンが発酵してドロドロ、栄養は抜群
そのビールの起源が論じられる際に真っ先にその候補に挙がるのがエジプトだ。古代エジプト人たちにとって最もポピュラーな飲み物であったビールは、水と少しだけ焼いたパンを原材料とし、これらを一緒にふるいで濾し、混ぜ合わせたものを壺に入れて発酵させたものであった。
そのため見た目は、関西のミックスジュース(バナナやみかんなどのフルーツに牛乳を入れてミキサーにかけた、とろみのあるジュース)のようでドロドロとしており、栄養価は高かったと考えられる。
昔シリアで、地元で作られた瓶入りのローカルビール(クラフトビールとは呼べない代物)を何度も飲んだことがある。ほとんど発酵しておらず、液体をそのままコップに注いでも泡が立たないので、瓶を思いっ切り上下に何度も振って無理やり泡を作り出したことを思い出す。古代エジプトのビールもそれに近い物であったのであろう。
ビールには発酵を促すため、ナツメヤシやハチミツなどの糖が加えられることもあった。エジプトにおける最古のビール醸造の痕跡は、エジプト先王朝時代(現代から6000年ほど前)にまで遡り、ヒエラコンポリスなどの都市遺跡で見られ、実際にそこではビール工房跡が発見されている。このことから国家的な産業として多くの職人がビール生産に携わっていたと考えられているのだ。
■「お酒を飲みすぎない」は社会人の基本
ただエジプトの歴史を通じて、ビールは大方個々の家庭で独自に作られていたようだ。
日本で言うところの「どぶろく」のような自家醸造で、米と米麹と水を原料として発酵させただけの、濾す工程を省いた酒であったのであろう。
いずれにせよ、酒の席での失態は、古今東西同じような結果をもたらすものだ。友人に罵詈雑言とともに見捨てられ、成人としては恥ずかしい赤ちゃんのような姿態を大衆に晒すことになるのだ。アルコールが信用を喪失させ、身を滅ぼすのは今も昔も変わらないということであろう。
ゆえに無実の罪で投獄された賢者アンクシェションクイも、自身の息子に対して次のような警告を発したのである。
「錯乱してはいけないから、酒を飲み続けることは止めるべきだ」(「アンクシェションクイの教訓」より)
今も昔もお酒はほどほどに、というのが社会人としての基本なのだとよくわかる格言である。
■パンやビールは国からの給料代わり
【格言】欲求と闘え

もしあなたがパンを三個食べて、ビールを二杯飲んでも身体がさらにそれらを欲しがったら、その欲求と闘いなさい。もし他の人がより多くの食物を食べていたとしても、それに合わせることなく、食卓では大人しくしているのです。(「ドゥアケティの教訓」より)
この格言は単に飲みすぎ食べすぎを戒めたものではない。自分自身をコントロールできるかどうかという自制心の問題を呈しているのだ。その欲求(食欲)と闘うのだ。
古代エジプト人たちの主食はパンである。
ヘロドトスはエジプト人たちを「パン喰い人」と呼んだくらいである。ビールはすべての社会階層で常飲する飲み物であった。硬貨も紙幣もまだ発明されていない時代において、エジプトではパンとビールは現物支給の給与であった。労働者たちはその労働の対価として、パンやビール、そしてタマネギ、ニンニク、レタス、キュウリなどの野菜を国から支給されたのである。
古代エジプトにおける食事の内容は、大方社会的地位により決まっていた。ローマ時代には「ローマ帝国の穀倉庫」と呼ばれたほど、農作物に恵まれていたエジプトでは、ナイル川の水を利用した豊かな農業によって、豆類(エンドウ、サヤエンドウ、レンズマメなど)や果物(イチジク、ナツメヤシ、ブドウなど)も食されていた。
またエジプトはナイル川と地中海・紅海に接することから、魚をはじめとした水産物も豊富に獲れた。そのため我々が想像する以上の豊かな食生活を送っていたようだ。
■ピラミッド建設の労働者は贅沢していた
それ以外のタンパク質は、乳製品(ミルク、バター、チーズなど)や家禽(アヒルおよびガチョウとその卵)によって摂取された。食肉(豚肉、羊肉、牛肉)もあったが、庶民にとっては、祝祭・祭祀の際に食す機会があったくらいで、主に王族をはじめとしたエリートのための贅沢品であった。
例外としてピラミッド建設に従事した労働者たちは(ピラミッド建設のために集められ、専用の区画に暮らしていた)、牛肉を食べるなど豊かな食生活を謳歌していたことが知られている。
しかしながら、その一方でビールの飲みすぎが問題視されていたことがこの格言からもよくわかる。
「ビールを二杯飲んでも身体がさらにそれらを欲しがったら、その欲求と闘いなさい」からは、対象人物がアルコール依存症ではないかと疑うほどだ。次の格言もビールについて述べられている。
「仕事中に自宅に戻りたいと思うな。昼から自宅でビールを飲みたいと思うな。太らないように贅沢な食事をするな。年を取って太らないように、若いときには食べすぎるな」(「アンクシェションクイの教訓」より)
この格言からは、ビールが身近な存在であったことがよくわかる。ただし「仕事中に自宅に戻りたいと思うな」とか「昼から自宅でビールを飲みたいと思うな」というのは、個人の問題のような気がする。一般論として週末や祝日であれば昼間からビールを飲む贅沢は許されるであろうが、平日は問題だろう。もちろん夜勤の方々や土日が休みではない職種の方々は別である。
■「太る」=「悪」とは言い切れない
古代エジプト人とビールとの関係は切っても切れないため、本書でもこれまでに何度か登場してきたが、「太らないように贅沢な食事をするな」と「年を取って太らないように、若いときには食べすぎるな」は初めての登場である。「太る」=「悪」なのであろうか。一概にそうとも言えない気がする。

というのもエジプトのカイロ考古学博物館に行って展示品を見てみると、体格のよい男性像がしばしばあるからである。単純に「太るな」と言っているわけではなく、贅沢を象徴する「飽食」を戒めているということなのかもしれないが、少なくとも最近体重過多の自分への戒めとはしたい。
「昨日の飲みすぎは、今日の渇きを取り除いてはくれないものだ」(「アンクシェションクイの教訓」より)
すべては上記の言葉に集約されるであろう。飲んでも何も改善されることはない。むしろ新たな問題が起こり渇きを生み出すのだ。そしてまた渇きを取り除こうと今夜も飲んでしまうのだ。永遠の悪循環現象である。
■まさにピラミッドのような階級社会
【格言】酒の席での約束事

居酒屋ではあなたよりも役職が上の人と一緒に飲むな。たとえ彼が若かったとしても、職場での地位が高ければ、あるいは目上であれば同席を避け、あなたは同程度の友人と過ごすべきである。太陽神ラーは遠くから見守ってくれるでしょう。もしあなたよりも地位の高い人を外で見かけたら、尊敬の念を持って彼の後ろを歩きなさい。ビールを飲みすぎた老人には、彼の子供のように優しく手を貸してあげなさい。(「アメンエムオペトの教訓」より)
階級社会であった古代エジプトの一端が垣間見られる格言である。古代エジプトは王を頂点とし、王族、貴族、官僚、庶民と続く明らかな階級社会であった。神官のなかでも大司祭、第二司祭、第三司祭、そしてそれ以下の神官職と続く。まるでローマ・カトリック教会のローマ教皇を頂点とし、その下に枢機卿や大司教、教区司祭、さらにその下に一般司祭を置くピラミッド状の位階制度を思い起こさせるものだ。
■太陽神ラーを頂点に、神々にも序列
役職が上の人とは酒を一緒に飲まず、いつでもその人物の後ろを歩くべきだというアドバイスである。個人的にはそういう方々とはそもそも一緒に飲みたくはないが、あえて言われるとちょっと気分が悪い。でもまあ太陽神ラーが見守ってくれるのは救いだろうが……。地上の生きとし生けるものすべては、神々の下にあるのだ。
古代ギリシア神話でもゼウスをトップとし、その下にオリンポス十二神がいた。ヒッタイトでもアリンナの太陽女神が上位におり、その下に数百の神々が連なるから同じようなものなのだが、古代エジプトの神々のなかにも序列があった。古代エジプトには3000年の歴史があるため、神々のなかでも栄枯盛衰があったが、基本的には太陽神ラーを常に頂点としていた。
古代エジプトは多神教世界であったことが知られている。プタハ神(画像2)やアムン神(画像3)やソベク神(画像4)のようなメジャーな神から、ベス神やタウェレト神のようなマイナーな神、あるいはメジェド(画像5)のようなそもそも神かどうかもわからないような存在も含めて多種多様であった。
■年齢よりも職場での地位を重視した
その多様性はまた、古代エジプト神話のなかで顕著に示されている。古代エジプト最古の都市のひとつであるヘリオポリスで誕生した古代エジプトの創世神話のなかで、アトゥム神は、混沌の海ヌンのなかから現れた最初の乾いた土地である山のごとき原初の丘の頂点に創造神として降り立ち、アトゥム神以外の神々(シュウ、テフヌト、ゲブ、ヌト、オシリス、イシス、セト、ネフティス)を自ら生んで世界を創造するとされている。
世界最古の宗教文書とされるピラミッド・テキスト(古代エジプトの葬礼文書のひとつ。ピラミッドの墓室壁面に刻まれている)にある、神官が語ったとされるその神話の内容は以下のようなものであった。
「おお、アトゥム=ケプリよ、あなたは原初の丘の頂に立ち、オン(ヘリオポリス)においてベヌウ鳥の巣のなかのベンベン石のごとく立ち上がる。あなたは唾を吐くことでシュウとテフヌトを生み出した。あなたはあなたの腕で彼らを抱きしめた。あなたのカー(魂)が彼らのなかにあるかのように。(中略)おお、偉大なるオンの九柱神、すなわちアトゥム、シュウ、テフヌト、ゲブ、ヌト、オシリス、イシス、セト、ネフティスよ。おお、あなた方はアトゥムの子供たち……」(「ピラミッド・テキスト」R. O. Faulkner, The Ancient Egyptian Pyramid Texts (Oxford, 1969), Utterance 600.より)
実際の社会でも神話の世界でも、古代エジプトは明確に階級が存在していたのである。それはまた神々の世界が現世に反映されていたとも言えるものであった。
この格言では相手がたとえ若かったとしても、職場での地位が高ければ居酒屋で一緒に飲まない方がよいというアドバイスだ。地位の高い人の前を歩くなというのも同様だ。ただし最後にある「ビールを飲みすぎた老人には、彼の子供のように優しく手を貸してあげなさい」は甘やかしすぎのような気もする。甘やかすことと優しくすることを履き違えてはならない。

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大城 道則(おおしろ・みちのり)

考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授

1968年兵庫県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科教授。博士(文学)。関西大学大学院博士課程修了。バーミンガム大学大学院エジプト学専攻修了。ラジオ番組で菊池桃子さんが「エジプトが好き!」と言ったのでエジプト学者を目指す。古代エジプト研究を主軸に、シリアのパルミラ遺跡とイタリアのポンペイ遺跡の発掘調査にも参加。著書に『神々と人間のエジプト神話─魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)、『異民族ファラオたちの古代エジプト─第三中間期と末期王朝時代』(ミネルヴァ書房)、『古代エジプト人は何を描いたのか─サハラ砂漠の原始絵画と文明の記憶』(教育評論社)など多数。

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(考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授 大城 道則)
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