いかなる大企業、どんな創業者にとっても最大の難事と言うべきが、事業の継承、後継者の発見と育成だ。蔦屋書店を一代でカルチャー発信基地に育て上げた増田宗昭氏は『べらぼう』で話題の蔦屋重三郎について「蔦屋重三郎は、歌麿、写楽、馬琴、一九と大勢の人は残したけど、結局、事業承継そのものは、たぶんうまくいかなかったと思う」という――。
(第2回/全2回)
※本稿は、川上徹也『二人の蔦屋 蔦屋重三郎と増田宗昭』(太田出版)の一部を再編集したものです。
■平成の蔦屋重三郎か喜多川歌麿か
「俺は平成の蔦屋重三郎と言われてきたけど、最近、蔦重じゃなく本当は歌麿だったんじゃないかなと思ってきてる。川上君のストーリーとは違うかもしれんけど」
直接の取材は最後になる予定だったので「今日は事業承継について聞かせてほしい」と申し出た私に、増田はそう言った。
初回を除いて取材は、増田のゲストハウスで行われている。
「悪いけど横にならしてもらうで。昨日飲みすぎて」と、ジャージ姿の増田は、こちらに頭を向けてソファに横になる。これも見慣れた光景になった。
通常、取材中にソファに横になって話しだす大企業の経営者はまずいないだろう。しかしそれは決して不快ではなく、むしろ「心を許してくれてるんだな」と好印象に感じる。
おそらくそのような振る舞いは私だけではないだろうし、増田の人たらしマジックにかかってしまっているだけかもしれないが。
「そもそも事業承継がなんでうまくいかないか? それはやっぱり創業社長にとって会社は自分の子供で分身みたいなものやから」
増田は歌麿や蔦重のことを離れて、事業承継についての持論を語り出す。
■創業者の気に入る事業継承はない
「自分のことで言ったら、1983年に枚方で、32歳の若造が32坪の蔦屋書店を作った。
どうやって仲間を集めどうやって口説いたかその時の相手の表情、物件をどう確保したか、不動産屋とのやりとり、工事が始まったときのトラックの出入り、コンセントの位置やら掃除のこと、初日のレジの締めまで今でも鮮明に頭に焼き付いてる。だから創業社長は誰よりも会社のことをわかってると思っている。実際は、自分の子供と一緒で一番わかってない場合も多いんやけど、まあわかってると思ってるわけや。だから、誰に任せたとしても、自分のイメージとは違うから、結局は『気にいらん』わけよ」
それで我慢できずどうしても口を出して自分のイメージに合わせたくなる。そうなると継いだ人間はおもしろくない。能力があればあるほど辞めてしまう。で、結局、創業者本人が復帰してまた続け年だけとっていく。事業承継がうまくいかない原因は、たいていそこにあると増田は言う。
「口出しするくらいやったら自分でやったらええという話やから、どんなに気に入らなくても一切口出ししないというのが俺の持論」
増田が考える「うまくいく事業承継のポイント」は以下の二つ。
① 継承者に任せきり一切口出しをしない度量

② 任せられた人間が本当にやれるかを見きわめる器量
「だいたい70過ぎて体力が衰えてきたら未来のことが見えなくなるから経営続けたらあかんのよ。だからかなり前から誰に社長を継いでもらうかをずっと考えてきた。で、こいつなら任せられるという人間が現れたからそいつに譲って、一切口出ししないと決めてた」
それが、ヤスこと髙橋誉則社長のことだろうか。

■「べらぼう」な企画会社のガソリンは「人」
「CCCは企画会社や。ということは一番の経営資源は『人』なんよ。ヤスは13期で入ってきて、最初に『人事がやりたい』って言った。CCCでいちばん大事なのは『人』やと、最初からわかってるってこと。さらに、人事部長で満足せず、グループの人事を担当するCCCキャスティングという会社を企画して、外からCCCを見た。あとヤスは、育児で3年休んでるやろ? それでまたCCCを外から見る機会があった。それがよかったと思う」
組織の外に出たことで、むしろ会社の経営全体を俯瞰できる目を養うことができたということだろう。「決め手は、ヤスが復帰して最初に出してきたレポート。このままやったらCCCは危ないって、はっきり書いてあった。それを読んで『あ、こいつには見えてる』と思った。だったら、もう任せたらええ。あとは俺が一切、口を出さないこと。
それだけや」
語り口はあっさりしているが、静かな覚悟がにじんでいた。
「ヤスにいちばん期待してるのは、『次の社長』を育ててくれること。社長の一番の仕事は、次の社長を見つけて、そのバトンを渡すこと。本人は8年やる言うてるらしいから、あと5年の間に、誰を次に立てるか、それをやってほしい」
その「次の社長」の候補に、増田の息子・宗禄の名は入っているのだろうか。
「社長は会社のリーダーや。つまり、お客さんのため、社員のためにベストな人間がなるべき。息子やからって理由で社長になるのは、本人にとっても不幸やし、会社にとっても不幸や。宗禄は株主という立場で、リーダーを支える道もあるし、もし『自分が社長になるのが一番お客さんと社員のためになる』と思ってみんなが支持してくれるなら、自分で立候補したらええと思う。でも、決めるのは俺じゃない。このAIの時代に、5年後、どんな人間がCCCのトップにふさわしいかなんて今、わかる訳がない。それは、次の世代が決めたらええ」
■蔦屋重三郎の失敗と増田宗昭の後悔
ここで再び、話は江戸へと遡る。
「蔦屋重三郎は、歌麿、写楽、馬琴、一九と大勢の人は残したけど、結局、事業承継そのものは、たぶんうまくいかなかったと思う」
実際、蔦重の死後、蔦屋耕書堂は遠い親戚で番頭だった勇助が二代目を継ぎ(実子がいたかはわかっていない)、北斎を登用したり、疎遠だった歌麿と再び関係を築こうとした。

しかし、出版界での存在感は徐々に失われ、最終的には四代目の代で廃業となった。
「俺は平成の蔦屋重三郎と呼ばれてきたけど、実際は歌麿みたいな絵師だと思う。蔦屋書店1号店、SHIBUYA TSUTAYA、Tポイント、代官山 蔦屋書店、シェアラウンジみたいな作品を描き続けてきた絵師で、所詮プレイヤーだった」
なるほど。ようやく「歌麿」という比喩の意味が腑に落ちた。
「ほんまは、蔦屋重三郎みたいに『人』を残したかった。でも俺は結局、自分が絵を描いてしまうタイプやから、人を育て残すことはできなかった。昔から言うやろ? 『金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上』って。俺は、事業はそこそこ残せたかもしれん。でも『人』は残せんかった。だから所詮、『中』や」
自嘲というよりも、自分に言い聞かすような口調で言った。
「でも、ヤスは違う。人を残す『上』の経営者になってくれるんじゃないかな、と期待してる。
あいつは絵師じゃないから。自分が描くんじゃなくて、いい絵を描けるヤツを見つけて、ちゃんと育てて世に出す。そういうマネジメントができるタイプや。社長として、CCCから一流の絵師をたくさん世の中に出してほしい。でもそれってよく考えたら、蔦屋重三郎のやってたことと同じちゃうかと思うんよ」
たしかに蔦重は、クリエイターを見出し育て世に出すことに長けていた。
「だから、俺の事業承継は、『平成の歌麿』から『令和の蔦屋重三郎』にバトンを渡したってことだと思っている」
そう言い終えると、増田は得意げな表情を浮かべ、「はい、以上」と言った。
「どうや? うまいことまとめたやろ?」そんな心の声が聞こえてくる。
■事業を任せきるたったひとつの工夫
増田が言ったように、髙橋が本当に「令和の蔦屋重三郎」になれるかどうかは、私にはまだわからない。ただ少なくとも増田は、その可能性にすべてを託した。
しかし、本人がいくら「自分は歌麿」と言っても、やはり私は、増田に蔦重を重ねてしまう。大河ドラマ『べらぼう』を見ていると余計にそれを感じる。
ドラマでは、鱗形屋や西村屋といった既存の版元が、蔦重を恐れるシーンがたびたび描かれる。
それは、彼が自分たちには思いつかないような企画を次々と仕掛けてきたからだ。
常識を軽やかに飛び越えていくその発想力が、脅威だったのだろう。CCCが既存の書店やメディアから疎まれ批判されることが多い構図と、どこか重なって見えた。
だからこそ、令和の「蔦屋」から、これからどんな絵師が育ってくるのか。
そしてその絵師たちが、どんな時代を描いていくのか。
私はまだしばらく、その行方を追い続けてみたいと思っている。
最後に増田に質問した。
そうは言っても、自分の分身であるCCCが気になり任せきれなくなるのでは?
「任せきる時の俺なりの工夫はひとつ。新しいもっと面白いおもちゃを見つけることや。たとえば、自分が子供で、大事にしてたお気に入りのおもちゃがあったとする。でも、それ以上にワクワクする新しいおもちゃを見つけたら、前のおもちゃのこと、案外すんなり手放せるやろ? 会社のことを『おもちゃ』言うたら怒られるかもしれへんけど、まあそういう感覚よ」
増田が「もっとワクワクする新しいおもちゃ」というのは「軽井沢プロジェクト」のことだ。
「7万坪の森をつくる」をキーワードに、空間・人・本・イベントが交差し、脳がインスパイアされる「場」をめざしている。その中心には、世界中の人が集まって繫がれる「会員制図書館」のようなものができるという構想だ。増田は毎週のように軽井沢に通い、企画を練り上げているらしい。
増田の視線は、すでに次を見つめていた。

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川上 徹也(かわかみ・てつや)

コピーライター、湘南ストーリーブランディング研究所代表

大手広告代理店を経て独立。『物を売るバカ』(角川新書)『あの日、小林書店で。』(PHP文庫)など著書多数。海外6カ国にも20冊以上が翻訳されている。

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(コピーライター、湘南ストーリーブランディング研究所代表 川上 徹也)
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