コメの自由化以降、値段は安くて当たり前だった。そんな中、京都の老舗米穀店から生まれた「八代目儀兵衛」は、銘柄米ではなく「ブレンド米」に着目。
スーパーとの価格競争を避けながら、年商32億円企業に成長した。街の米穀店が次々と姿を消す中で、なぜ「安売りをしない米屋」が生き残れたのか。八代目儀兵衛の橋本儀兵衛社長に、ライターの伏見学さんが取材した――。
■安売りをせずに生き残った「町の米穀店」
390円から7万5000円まで──。
京都の米販売会社が提供する商品の価格幅は、業界の常識を覆す。しかもこれらは基本的にすべてブレンド米。一般的には「安物」「質の悪い米」といったイメージをもたれるブレンド米が、なぜ高級商品に生まれ変わったのか。
手がけるのは八代目儀兵衛。近年はセブン‐イレブンのおにぎりを監修するなど、その名を耳にした人も多いだろう。ブレンド米のギフト商品を武器に、2006年の創業から約20年で年商32億円企業に成長させた橋本儀兵衛社長は、「安売りをしない」という信念を貫き通してきた。
その背景には、今、日本を襲う「令和の米騒動」を創業当時から予見していたという先見性がある。
■米業界の問題を肌身で感じてきた
ここ1~2年は連日のように報道されている令和の米騒動。
もはや多くの読者にとっては周知だろうが、これは2024年から2025年にかけて米価格が倍近くまで高騰した深刻な需給混乱を指す。
引き金は2023年の猛暑による不作と、2024年8月の南海トラフ地震臨時情報を受けた買い占めパニックだった。しかし根本原因は、1971年から半世紀続いた減反政策により米の供給力が大幅に削減されていたことにある。
コロナ禍明けの外食需要回復やインバウンド消費拡大などにより、社会環境が変化していたにもかかわらず、政府は適切な需給予測と在庫管理を怠り、過去最低水準まで民間在庫は減少した。
さらには政府の情報発信と危機対応も後手に回った結果、米価格は高騰の一途をたどり、国民生活に深刻な影響を与える事態となった。米の生産者からは「ようやく適正価格になった」などと皮肉めいた声も上がり、長年の農政の歪みが露呈した形となっている。
八代目儀兵衛の商品はギフト用途が中心だが、「自宅用に米を売ってほしいという声が急増しています。それだけ人々の危機感が強まっていることの表れでしょう」と橋本社長は語る。
この混乱を予見できたのは、米業界の構造的問題を肌身で感じてきたからに他ならない。だが、成功への道のりは決して順調ではなかった。
■家業の米穀店が「コメの自由化」で暗転
橋本社長の転機は、ある日突然訪れた。
米の配達中に坐骨神経痛を発症。
5キロの米袋すら持てなくなってしまったのだ。
「米屋を継ごうとしているのに、配達ができなければ仕事が成り立たないわけです。当時は人員をアウトソーシングする余力もない家業レベルでしたから」
実家は1787年創業の京都の老舗米穀店。橋本社長は同志社大学を卒業後、大手通販会社のニッセンに就職。その後は米卸業を経て、家業を手伝うようになった。「実家は傾きかけていて、見るに見かねた状況でした。このままでは厳しいだろうという危機感がありました」と橋本社長は回想する。
その危機の根源は、30年前に起きた米業界の大変革にあった。
1995年11月、半世紀以上続いた食糧管理法が廃止され、米の流通が大幅に自由化された。一見、規制緩和の成功例に思えるが、小規模な米穀店にとっては悪夢の始まりだった。
「政府が管理していた時代は、みんなが平等に米を販売していました。ところが、法律が変わって自由販売になり、産地銘柄米がもてはやされるようになりました」
スーパーマーケットが米の主要販売チャネルとなり、価格競争が激化。
集客のための目玉商品として米の販売価格をとことん下げる。そういった安売りが常態化していった。とはいえ、消費者は正直だ。安いものを求めて購入場所が米穀店からスーパーへと一気に移り変わった。
■「銘柄米」が主流の時代に、「ブレンド米」で勝負
また、食糧管理法時代は実質的に複数産地・品種がブレンドされた「政府米」が中心で、品質を「1等」「2等」と格付けした米が流通していたが、それまでのブレンド米から単一の産地品種銘柄での販売が主流となった。
「結局、自分たちの商品価値を崩してでも、安く流通させることが一番売れるとなりました。そうなると美味しさなんてどうでもいいわけですよね。どんな精米であっても、産地と銘柄さえ正しければお咎めなしなのです。米屋はジリ貧になっていきました」
橋本社長は続ける。
「実は流通の部分でも美味しさが大きく関与しているのに、現在の日本ではそこがスルーされてしまいます。私は精米機の違いだけでも米の味が変わるという事実を、家業の中で知っていました。同じ産地銘柄でも、精米の仕方、選び方、ブレンドの仕方によって、米の美味しさは格段に上がることを消費者に伝えたかった」
過去には橋本社長の祖父や父が、自身の知見や経験を元に独自のブレンド米を販売していた。
それが“町の米屋”の品質であり、競争力だった。それを取り戻したかったのである。
■「商い」と「ビジネス」の違い
配達ができなくなった橋本社長は、それでも米のビジネスを諦めなかった。模索の末に辿り着いたのが、ブレンド米をブランド化してインターネットで販売するという「逆転の発想」だった。
きっかけは大学の先輩からインターネットビジネスについて学ぶ機会を得たこと。そこで「商い」と「ビジネス」の違いに気付かされた。
「街の米屋は人間関係でモノが売れる『商い』の世界。私も商工会議所の青年部で異業種交流会に顔を出したり、祇園の飲み屋で接待したりしていましたが、どうしても馴染めませんでした。どこまでいっても米屋としか見てもらえない。一方、『ビジネス』は商品や仕組みで人が購入したくなる動機を生み出していくもの。インターネットで自分の考え方や商品が共感されて、不特定多数の顧客がついてくれる方がよほど理にかなっています」
ただし、米をECで販売するハードルは高かった。
「強みがあるのは生産者である農家か、最も安売りできる問屋などです。
町の米屋に何ができるのかと散々言われました。でも、ブレンド米なら勝負できるかもしれない。逆に言うとそれしかありませんでした」
産地銘柄米が当たり前となった状況で、ブレンド米はタブー視されていた。しかし橋本社長はそれを打ち破ろうと、反骨心を持って挑戦したのである。
■「ギフト米」に活路を見出し、売り上げは倍々に
2006年8月に八代目儀兵衛を創業。ただし当面は苦労が続いた。同年11月からECを開始したものの、初月の売り上げはわずか20万円。12月はお歳暮需要で200万円まで伸びたものの、ぬか喜びで1月には再び20万円に逆戻り。従業員1人に25万円の給料を払いながらの赤字経営が続いた。
「購入いただいたお客様からは非常に高い評価をいただく一方で、厳しい指摘も受けました。その繰り返しの中で商品を改良していきました」
苦しみ抜いた中で考え出したのが、ギフトとして米を販売するという今のスタイルだった。
突破口が開けたのは2年目から。
会社の売り上げは文字通り「倍々ゲーム」の成長を続けた。800万円だった初年度の売り上げは、2年目に2400万円、3年目に8400万円、4年目に1億6000万円、5年目は3億8000万円──。創業から5年で売り上げは実に48倍に膨れ上がった。
■苦境の家業を吸収合併
現在はEC事業だけで月間1億5000万円の売り上げを誇り、会社全体の売上高は32億円に上る。その内訳は、業務用米卸事業12億円、飲食事業2億円、中食事業5000万円、海外事業が5000万円~1億円、残りがEC事業となっている。
なお、業務用米卸については補足説明が必要だろう。これは実家の米穀店を吸収合併して生まれたものである。橋本社長はその経緯について次のように述べる。
「結果的に事業承継という形になりましたが、元々は家業を飛び出して八代目儀兵衛を創業したので、決して家業をつぶしたわけではありません。米屋は叔父や今までの従業員たちが続けていました。そのうちに、八代目儀兵衛が成長していくのと相反して、家業が苦しくなっていきました。でも、私は助けなかったんですよ。無理やりに進めてしまうと、やはり親であっても反発するじゃないですか。だから親が私の仕事を認めてくれて、『もう自分はしんどいわ、わからへんわ』となった時に手を差し伸べようと。実際、初めて助けてくれという声があったので、2017年に家業を吸収合併しました」
■コメ業界に残るブルーオーシャン…「ギフト米」が奏功
なぜ八代目儀兵衛はこれほどの成長を遂げることができたのか。その要因について橋本社長は2点を挙げる。
「まず、ギフト用のブレンド米という世の中にない商品だったこと。口コミで広がり、ギフトショーなどで賞もいただきました。そうした露出によって認知度が高まっていきました」
もう一つが、明確すぎるほどの差別化戦略だ。
「例えば、楽天市場の『食品カテゴリー』で勝負すると完全に埋もれてしまいます。そこで『お祝いカテゴリー』で勝負しました。完全にブルーオーシャンの市場を狙ったのです」
当時の米のEC販売といえば「新潟コシヒカリ・10キロ5000円」といった産地銘柄を打ち出した価格競争が王道。八代目儀兵衛はまったく異なるカテゴリーで独自市場を創出した。さらに、ギフトであれば、逆に高価格であるほうが商品価値は高いと消費者に思ってもらえた。
販売カテゴリーも戦略的に拡大していった。お中元・お歳暮と結婚式の引き出物からスタートし、結婚式の内祝い、出産の内祝い、そして内祝い全般へ。現在は法事のお返しの売り上げが最大だという。
「当社の米を評価いただいているのは50代の方が中心です。結婚も出産も終わった世代にとって、法事というカテゴリーが重要になっているのです」
創業から数年経つと、八代目儀兵衛の成功を見た大手企業がギフト市場に参入。資金力の違いもあってSEO対策などで劣勢に回ったが、その時には既にブランド認知が進んでいたため、大きな痛手はなかった。
■「その時々で一番良い米を提供できる」
成長とともに商品ラインナップも進化していった。創業当初は「翁霞」「神楽」というブレンド米2種類のみだったが、顧客の要望を受けて容量や組み合わせを次々と拡充。加えて、産地銘柄米も取り扱っていたが、ここについては悩みがあった。
「新米への切り替えによって(使いたい年度の)米が途中でなくなってしまうリスクがありました。欠品などを出さず年中売り続けるためには、産地銘柄米では駄目だとすぐに気付いたのです」
この課題を解決するために考案されたのが、料理の用途に応じたブレンド米という発想だった。
「お客さまにはその時々で一番良い米を提供する。これがブレンド米の良さです。そこにさらに価値をつけようということで、産地銘柄ではなく、料理の目的に応じたブレンドに切り替えました。それを12種類作れないかということで、『十二単満開』という商品ができ上がったのです」
2007年に発売したこの十二単満開シリーズは、現在、ギフト商品全体の売り上げの8割以上を占めるほどに。
また、米だけでなく、「鯛めし」や「欧風カレー」といったご飯のお供を組み合わせたセット商品としても展開している。なお、冒頭で触れた7万5000円の最高値商品というのが、このセットに米のギフト券が付いたものである。
■独自の味覚基準を作り、データベース化
同社の顧客にリピーターが多いのは、徹底した品質管理があってこそ。それを実現しているのが、同社独自の味覚基準である。
同社では現在、20道府県52地域・23品種の米を使ってブレンドしている。まずシングルオリジン(単一産地)で従来との味わいの違いなどを確認した上で、変わりがなければ通常のブレンドに用いる。問題があれば、合わせる米を変えたり、ブレンド比率を調整したりする。
「1日に3合釜を12個並べて、多い時は3回転。少ない時でも必ず1回転するので、12種類以上の米を毎日試しています」
この試食結果はデータベース化されている。炊き上がった時の白さ、つや、香りといった外観、そして食べた時の食感、粘り、甘み、のどごしという7つの要素で点数をつけ、甘みとつやを2倍にして100点満点で評価する。
「私たちは米業界の基準である成分分析はあまり当てにしません。白米から炊飯してご飯の状態で味をチェックしたものが、本当の米の美味しさだと考えています」
■ブレンド米に注力する理由
この独自基準は社内だけでなく、セブン‐イレブンの米の品質にも活用されている。年に3回(新米時、3月、7月)に実施し、時期による味の変化も含めて使用順序まで徹底的に管理している。
ただし、データベース化に取り組んだのは数年前。属人化を回避する狙いがあった。
「それまではずっと私一人で目利きをしていましたが、年齢とともに味覚は鈍くなります。特に米は繊細なものですから。ですから、自分が味を理解しているうちに、後進に伝承していく必要があると感じました」
では、八代目儀兵衛のブレンド米には他とどんな違いがあるのか。
「他と比較していただけばすぐわかりますが、一言で言うなら、しっとり感。口に入れた時の舌触りは100パーセント違います。世の中に流通する米の中にはパサっとした食感で喉越しの悪いものもありますが、当社は舌に転がるような水分の膜で包まれ、甘みを舌全体で感じられる米になっています」と橋本社長は胸を張る。
商品の改良も常時行われている。米は年度や収穫時期などによっても違いがあるためだ。特にここ数年は品質に関して厳しい状況が続いているようだ。
「米騒動もあって収量が減っているし、食べてもパサパサで味のないものもあります。それでも、1等として流通したりしています」と橋本社長は嘆く。だからなおのこと、ブレンドに注力しなければならないという。
■白米の写真をSNSにアップする客も
こうした品質へのこだわりが、「八代目儀兵衛」というブランドを米業界で確固たる地位に押し上げた。それが現在1000店舗以上の導入実績を誇る全国の飲食店との取引にも生かされている。
「分かりやすく言うと、飲食店に八代目儀兵衛のブランドをお貸ししている状況です。従来は『当店の米は新潟コシヒカリです』と表示するのが一般的でしたが、お客さまが食べてみると美味しくないケースがあったわけです」
一消費者にとっては正直、産地銘柄だけでは味など判断できないのが実情である。つまり産地銘柄表示が有名無実化する中で、八代目儀兵衛のブランドは明確な差別化要因になる。
「『当店は八代目儀兵衛の米を使用しています』と飲食店のメニューに掲げることで、お客さまの反応が変わるそうです。従来200円で販売していた小ご飯を250円で販売しても選んでもらえます。中には美味しいからと白米の写真だけをSNSにアップしているお客さまもいます(笑)。ただ、それがリピートや新規来店にもつながっているのです」
飲食店にとってはプラス、来客にとってもプラス、八代目儀兵衛も値引きせずに定価で販売できるという「三方よし」の関係が成立しているのだ。
これまで業務用米卸は最も価格競争の激しいレッドオーシャンだった。しかし八代目儀兵衛は、米業界からギフト業界へのポジション転換に続き、業務用米卸でもブルーオーシャンを創出することに成功した。
■産地銘柄に頼らない「ブランド化」が鍵
順調な成長を続けてきた八代目儀兵衛だが、今回の米騒動による影響は小さくない。最大の課題は米の調達だ。米不足の状況下では、ギフト用を自宅用に買おうとする顧客が急増している。
「自宅用については月初めに200個限定で販売しますが、すぐに完売してしまいます。潤沢にあれば良いのですが、今の状況では販売統制をせざるを得ません」
それでも米穀店として最も大切にすべきは既存顧客への安定供給だと橋本社長は信念を貫く。
「継続して買っていただける方を優先して米を分けてあげたい。申し訳ないですが、スポットや不特定多数への販売は後回しです。自宅用を購入される方には年間契約をお願いしています。そうすれば継続してお届けできますし、米騒動の影響もさほど受けません」
このアプローチは、従来の町の米穀店が大切にしてきた顧客との信頼関係を、ECの世界でも体現したものと言える。
創業20年を振り返り、価格競争から距離を置いた判断は間違いなく正解だったと橋本社長は確信している。
「米業界で生き抜くために、産地銘柄に頼らないオリジナルを作らなければ生き残れない。家業に戻った時からそう痛感していました。時間はかかりましたが、形を変えて実践できたことは非常に大きな成果です」
■オンリーワンでなければ生き残れない
この道のりで背中を押してくれた恩人がいる。その一人がミシュラン掲載の日本料理店「祇園 さゝ木」の料理人、佐々木浩氏だ。
「『お前はブローカーになるな』とよく言われました。産地から仕入れて精米して横流しするだけなら、普通の米屋と変わらない。だからこそオリジナリティを追求することになりましたし、味のチェックも含めて認めてもらうことが、ブランドとしての大きな第一歩でした」
八代目儀兵衛の成功は、品質を重視し、適切な価格で販売するという商売の基本を粘り強く実行し続けた結果だ。
「オンリーワンを作ることの重要性を、身をもって実感しています」
橋本社長のこの言葉は、混迷が続く米業界だけでなく、価格競争に疲弊する多くの企業にとって希望の光となるはずだ。真の価値を追求し続けることこそが、持続可能な成長への唯一の道筋なのである。

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伏見 学(ふしみ・まなぶ)

ライター・記者

1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。

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(ライター・記者 伏見 学)
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