■「余命3カ月」…やなせ夫妻を救った意外な提案
連続テレビ小説「あんぱん」の主人公、のぶ(今田美桜)のモデルである、やなせさんの妻・暢さんに乳がんが見つかったのは1988年、昭和から平成へ、元号が変わる直前だった。
緊急入院し、即日手術を受けた後、担当医から別室に呼ばれたやなせさんは、「奥様の生命は長く保ってあと3カ月です」と告げられる。
「全身の血の気がひいていくのが解った。ぼくが悪かった。もう少し早く気がつけばよかった」と、強烈な悔恨の念が著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)に記されている。
しかし、いくら自分を責めてみても時は戻らない。
病気のことは誰にも明かさないまま仕事を続けていたが、異変に気が付いたのは漫画家の里中満智子さんだった。
事情を聞かれ、生命があと3カ月と宣告されたことを打ち明けた。すると思いがけない提案をされる。
「私も癌だったの。私は手術がいやで、丸山ワクチンを打ち続けて7年目に完治したの。試してみませんか」
■「水みたいなもの」と言われたワクチン
日本医科大学で丸山ワクチンを入手し、入院先の東京女子医大で「丸山ワクチンを注射してください」と頼み込むと主治医は「水みたいなもので効きませんよ」と断言。「かまいません。藁(わら)にでもすがりたいのです」と承知させたのだった。
そして1カ月後、暢さんは歩けるまでに回復し、退院する。余命3カ月だったはずが5年間、お茶の稽古や好きだった山歩きを楽しみながら生きながらえることができた。
しかも5年後に亡くなったのは、丸山ワクチンの効果がなくなったからではない。ワクチンを打つことをやめてしまったからだと、やなせさんは思った。
もう一度打つよう勧めると、暢さんは「丸山ワクチンと東京女子医大とどっちを信じるかといえば、私はやっぱり女子医大を信じるわ」と聞き入れなかったという。
「ぼくは現在の抗がん剤はどうも信用できない。あんなに副作用の強いクスリが身体にいいわけがない。
■“がん患者が少ない病”から生まれた丸山ワクチン
丸山ワクチンは1944年、皮膚結核の治療薬として誕生した。生みの親は元日本医科大学学長の故丸山千里(まるやまちさと)博士だ。丸山博士は、皮膚結核やハンセン病の治療に打ち込むなかで、この二つの病気にはがん患者が少ないという共通点に気が付き、研究を始めた。
実際のがん治療に使われ始めたのは1964年。やがて、協力してくれた医師らから「がんの縮小がみられる」などの報告が相次ぐ。
ブームが起こり、すぐにでも厚労省から認可が下りると期待されたが、そうはならなかった。ただ1981年にはメーカーからではなく厚労省からの要請で「有償治験薬(患者が実費を負担する治験薬)」としての製造が認められ、投与を希望する患者や医師には、1クール(40日間)につき薬剤費9000円(消費税別)で頒布されるようになった。なお、薬剤費にはメーカーの製造費と、日本医大の治験協力費が含まれている。
■副作用はなく、延命効果も報告されている
ちなみに丸山ワクチンのオフィシャルサイトによると、このワクチンには4つの特長がある。
第1に、「副作用がほとんどない」ため、どのような段階のがんであっても、また、体の衰弱がみられるときでも、長期にわたって安心して使うことができる。
第2は「延命効果が見られる」ため、患者の中には末期ガンと呼ばれる段階の方が多数おり、手術療法や化学療法・放射線療法などの治療法を選択できない患者でも、5年、10年と長期延命する人がいる。
第3に「自覚症状の改善が図れる」ため、たとえ体内にがんが残っていたとしても、患者は通常の生活を送ることも期待できる。
第4は、「ガン腫の増殖が抑えられる」こと。自然免疫の司令塔とも言われる樹状細胞を刺激し活性化させることで、がん細胞の増殖を抑えるため、がんが縮小し、場合によっては完全に消し去ることもある。
筆者の兄は2年前、大腸がんで亡くなった。抗がん剤治療はまったく効かないまま、激しい嘔吐等の副作用に苦しみ、“骨と皮ばかり”になって死んでいった。
若い主治医は「当院は標準治療しか行いません。抗がん剤は効いていませんが、これ以外できる治療はありません」と言っていた。
効いていないのなら、つらいだけの抗がん剤はやめて丸山ワクチンを――。もし2年前、丸山ワクチンのことを知っていたなら、筆者は間違いなく、そう嘆願していただろう。
■42万人以上が使用、それでも“認可されない理由”
2025年現在、丸山ワクチンはすでに、42万人を超えるがん患者に使用されている。
当初は、がん医療の異端児とみなされていたが、2011年に免疫学に画期的なパラダイムシフトをもたらした米仏の3人の医学者がノーベル医学生理学賞を受容したのを機に、かつて大阪大学総長を務めた免疫学者の岸本忠三氏や「知の巨人」として知られるジャーナリストの立花隆氏らによって再評価を促す流れも起きていた。
だが依然として、丸山ワクチンは「有償治験薬」のまま据え置かれている。
ジャーナリストの井沢元彦氏は1997年刊行の『逆説の日本史1 古代黎明編』(小学館文庫)の中で「丸山ワクチンは何故認可されないか。それは『その発見者丸山博士が東大閥でなく、しかもガンの専門医でもない(丸山博士の専門はヒフ科)からだ』と断言している。
医学界の裏事情に詳しい某氏が井沢氏に、匿名を条件に明かしてくれた「真相」は次のようなものだった。
「丸山ワクチン開発当時の医学界のボスにYという男がいたんです。この男は珍しく東大出ではなかったんですが、この男の研究分野と丸山先生の研究分野が一致していたことが不運でしたね。それにY自身、丸山博士と同じような原理でガンの薬を作ったんだが、これはまったく効かなかった。だから、Yは丸山博士の功績を嫉んだんですよ。圧力をかけて中央薬事審議会を通らないようにしたんです」
■「効かない」と断言する専門医も
信じられない、と思うかもしれないが、筆者自身も20年以上の取材経験の中で、権威が勝手な都合で有望な科学を排除する事例を何度も目の当たりにした。
ゆえに「陰謀論者が馬鹿げたことを言っている」とか「この言説を信じるのは、詐欺に騙されやすい人だけ」などと笑い飛ばすことはできない。
一方で、東京都立駒込病院名誉院長で、「がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた」ことで知られる佐々木常雄氏は、2019年に『日刊ゲンダイ』の取材で丸山ワクチンを完全否定している。
「私が勤めていた病院では、1975年ごろからの数年間、終末期に近いがん患者さん数十人から使用を依頼され、丸山ワクチンを使ったことがあります。
筆者は佐々木先生を尊敬しているが、この言葉には失望を禁じ得ない。
■25年間ワクチンで共生…“患者の声”が示すもの
というのも筆者は、「丸山ワクチン患者・家族の会」の「かたろう会」に足を運び、まさに今、丸山ワクチンを投与することで生命をつないでいる患者・家族の声を直に聞いたからだ。
会の運営者の一人Sさんは、自身が卵巣がん患者であり、25年間も丸山ワクチンを投与し続けている。とても元気そうなSさんに佐々木氏の言葉を伝えると「どうしてそんなことをおっしゃるんでしょうね」と顔を曇らせた。25年間、元気でがんと共生している彼女こそが、効果の証明なのだから無理もない。
かたろう会にはがん患者や家族でなくても、誰でも参加できるが、参加者の多くは、抗がん剤治療さえも諦めた患者たちだった。何より驚いたのは、「もうあなたにできる治療はありません。病院には来ないでください」など、冷酷な言葉を投げかけられた人が何人もいたことだ。病気で気持ちが弱っているがゆえの誤解もあるかもしれない。だが病院は、患者をいじめる場所ではないはずだ。
■プレジデントオンライン掲載の批判記事への反論
実はプレデントオンラインにも、内科医の名取宏氏が2024年2月「副作用はほぼないが効果も証明されていない…そんな『日本独自の薬』が50年以上販売され続けているワケ」と題して、丸山ワクチン批判を展開している。
一見、医師ならではの理論的で緻密な批判と、誰もが納得してしまいそうな展開だが、ミスリードも甚だしい。批判の根幹をなす記述をいくつか上げ、間違いを正したい。
「丸山ワクチンに効果があると信じる医学者なら、実薬群はA液とB液を交互投与、対照群はプラセボ(偽薬:生理食塩水など)を投与する臨床試験を考えるでしょう。
しかし、2006年に発表された比較試験においては、実薬群にはA液でもB液でもなく、A液の20倍の濃度の40μg/mLが投与されました。しかも不思議なことに、対照群にはプラセボではなくB液が投与されました。論文には、日本においてプラセボの使用は倫理的に不可能なので代わりに丸山ワクチンB液を使用したと記載されています。しかし、この研究では対象群においても標準治療である放射線療法は行われるので、本来は問題ないはずです。
私が推測するに、製薬会社は丸山ワクチンが効くとは本気では思っていないのでしょう。」(名取氏)
■不自然な臨床試験…なぜ“通常の投与法”を採らなかったのか
そうだろうか。製薬会社が、丸山ワクチンは効くと本気で思っているからこそ、有償治験も臨床試験も継続されているのではないだろうか。
それに、試験が行われた1995年当時、プラセボを使うことがなかなか受け入れられなかったのは事実だし、標準治療とはいえ、この頃、米国ではがん患者の66%、ドイツでは60%が放射線治療を受けていたが、日本では、わずか15%しか受けていなかった。丸山ワクチンは効くと確信しているからこそ、低用量でもワクチンの成分が入ったプラセボを用いることを選んだという解釈もできるのだ。それを裏付けるように、丸山千里氏は0.2μgのB液こそが本命だと言っていたという。
そして、濃度の高い液を臨床試験に使うことにしたのは、本格的な試験を始める前の事前研究で、濃度の異なる4種類中、腫瘍縮小率において最も良い結果が認められていたからだ。試験を行った藤原恵一氏(埼玉医科大学客員教授)は講演の中で「(本試験の目的は)40μgが0.2μg低用量に比較して有意に生存を改善するはずとの仮説を証明する」ことだったと述べている。ワクチンに効果があるか否かを調べるのが目的ではなかったのだ。
さらに名取氏は続ける。
「『実薬群40μg/mL』と『対照群0.2μg/mL』を比較したランダム化比較試験の結果は、大変興味深いものでした。(中略)予想に反して、実薬群ではなく対照群のほうが生存率が高かったのです。丸山ワクチン支持者は丸山ワクチンB液が効いた証拠だとみなしますが、B液が効いた可能性以外にも、単なる偶然という可能性や濃度の濃い丸山ワクチンが有害である可能性も考えられます」
■「有害である可能性を指摘する根拠はない」
40μg群よりも0.2μg群のほうが生存率が高かったのはその通りだが、40μg群も悪くはなかった。藤原氏は「(実薬群の)5年生存率は42%ぐらいでしたが、当時の日本産婦人科学会のがん登録の結果が約40%ぐらいです」と報告している。「有害である可能性」を指摘する根拠はない。
「アジア7カ国国際共同の新たなランダム化比較試験が進行中です。現時点で進行中の丸山ワクチンの臨床試験は私の知る限りこれ一つだけです。進行中というか、予定では2022年には終了しているはずです。(中略)今度こそ丸山ワクチンの効果についてはっきりしたことがわかることを期待しています。」
調べればすぐにわかることだが、残念ながら、この試験では、有意な結果は出ていない。ただ、この臨床試験では不思議なことに、「通常A剤とB剤を隔日で交互に皮下注射する」のが基本の丸山ワクチンを「2週間に一度」の投与に留めている。有意な結果が出なかったのは当然なのではないだろうか。
■「がんとの共存を追求する」ワクチンを選んだ必然
ノンフィクション作家の井口民樹氏は『今こそ丸山ワクチンを!』(KKベストセラーズ)で、「昔、東京の下町で取材した八十代老人の言った言葉が忘れられない。『がんになったら、金持ちはだめ。貧乏人のほうが長生きできる』金持ちは、高価な新薬や、抗がん剤に走って命を失うが、貧乏人は丸山ワクチンぐらいしか打てず、おかげで長生きできる、という意味だった」と書いている。
自身が追求する「逆転しない正義」の答えを「アンパンマン」でつかんだやなせたかしさんが、最愛の妻・暢さんの治療に「がんとの共存を追求する」丸山ワクチンを選んだのは、歴史の必然だったのではないだろうか。
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木原 洋美(きはら・ひろみ)
医療ジャーナリスト/コピーライター
コピーライターとして、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わった後、医療に軸足を移す。ダイヤモンド社、講談社、プレジデント社などの雑誌やWEBサイトに記事を執筆。近年は医療系のホームページ、動画の企画・制作も手掛けている。著書に『「がん」が生活習慣病になる日 遺伝子から線虫まで 早期発見時代はもう始まっている』(ダイヤモンド社)などがある。
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(医療ジャーナリスト/コピーライター 木原 洋美)