人生後半、終活でやっておくべきことは何か。医師の和田秀樹さんは「私は家族にお墓を作らないこと、財産は一切遺さないことを伝えている。
お墓について理想的なのは、その人の生き方や思いに共鳴した人たちの力で建てられ、影響を受けた人たちが長きに渡って自発的に手を合わせに来ることだ」という――。
※本稿は、和田秀樹『65歳、いまが楽園』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
■遺産の有無をはっきりと伝えておく
「相続」という発想を捨てると、第2の人生で使えるお金が一気に増えます。
まとまったお金ができたときにも、「とりあえず不動産を買っておこう」とはならず、こうやってワインに何千万も使ったり、映画を撮るのにお金をつぎ込んだりできるのも、自分が死んだあとのことは一切考えていないからです。
お金はすべて使い切ると決めたのなら、相続の対象者にはっきりとそれを表明しておくことを私は強くおすすめします。
そうでないと、お金を遺してもらえると思い込んだ子どもや孫が、あれこれお金の使い方に口出ししてくる可能性が高くなるからです。
つまり、せっかく好き勝手に使おうと思っているのに、思わぬ横槍が入りかねないのです。
私には娘が2人いますが、「財産は一切遺さないよ」とはっきり伝えてあります。上の娘は弁護士で下の娘は医師ですが、すでに結婚もして経済的にも自立しているので、親の金なんてもう必要ないでしょう。
お墓も作らないと決めているので、家族にもそう伝えてあります。
■立派なお墓を立てても手入れが行き届かない時代
東京の青山墓地には、明治維新の立役者の1人である大久保利通(おおくぼとしみち)や内閣総理大臣を務めた池田勇人(いけだはやと)、犬養毅(いぬかいつよし)、黒田清隆(くろだきよたか)などの政治家や細菌学者の北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)、作家の志賀直哉(しがなおや)、歌舞伎役者の市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)など各界の錚々(そうそう)たる著名人が眠っています。あの忠犬ハチ公のお墓もここにあります。

朝日新聞の記事によると、港区青山という一等地にあるので1区画の使用料は最低でも450万円はするそうですが、そこまでお金をかけて建てられたにもかかわらず、継承者がいないなどの理由で墓じまいをするケースも近年増えているのだとか。
また、手入れが行き届かずに荒れ放題になっていたり、年間1460~2920円ほどの管理費の滞納は2021年度で540件にも登っていると言います。戸籍などを手がかりに親族などを探しても所在がわからなかったりすることも多々あるようです。支払いに応じない場合には無縁墓と認定されますが、中には旧華族のお墓も含まれているのだそうです。
つまり、どんなに立派なお墓を作ろうとも、この先自分の孫なりひ孫なりが、ずっと私の墓を訪ねてくれるかどうかはわからないし、いまや皇位継承さえ危ういのではないかと言われるような時代なのですから、「家」なんていつ絶えるかもわからないわけです。
そのようなことを考えるにつけ、わざわざ自分の墓を建てることの無意味さを感じてしまうのです。
■理想的な「吉田松陰」のお墓のあり方
お墓について理想的だなあと思うのは、幕末に活躍した思想家であり教育者の吉田松陰(よしだしょういん)のケースです。彼は幕府ににらまれて30歳で刑死したので、最初は無縁仏として扱われ、江戸の外れにひっそりと埋葬されていました。
けれども、彼の思想に心を動かされた弟子たちがその遺骸を探し出し、のちに現在の東京都世田谷区に墓を築いたのです。そこはいまでは松陰神社となり、命日には多くの人が訪れています。
また、吉田松陰の故郷である山口県萩市にも、彼を祀(まつ)る松陰神社があり、そちらにも分骨されたお墓が残っています。
つまり吉田松陰は、東京と萩という二つの土地で、人々の敬意とともに静かに眠っているのです。

そんな吉田松陰のお墓のあり方こそが本来のかたちだと私は思うのです。家系や形式によって義務的に建てられたり守られたりするのではなく、その人の生き方や思いに共鳴した人たちの力で建てられ、影響を受けた人たちが長きに渡って自発的に手を合わせに来る。それがいちばん自然で、豊かだと感じます。
もちろん、いまの私がその域に達しているかと言えば、もちろんまだまだだと思います。
けれど、世の中の既成概念に「それはおかしいのでは?」と疑問を投げかけたり、ときには権力者に煙たがられても、本音を語ることをやめなかったりする姿勢には、少しは通じるものがあるのではないかと自負しています。
だからこそ、私の死後も和田秀樹という名前や私の言葉や行動が誰かの記憶に残っていくような人生を目指して、これからもいい本を書いたりいい映画を撮ったりして、粘り強く頑張ってみようと思っています。
実は忙しい人を無理に呼び出すことになるので、お葬式はしたくありません。なので、葬式代も遺さないつもりです。
■相続税100%ならシニア世代はもっとお金を使う
世の中のシニア世代がみな、「稼いだお金はすべて使い切ってから死のう」と考えるようになれば、日本経済の失われた活気だって必ずや取り戻せるだろうと私は思っています。
積極的にお金を使って消費を楽しみ、資産を回すことで社会に貢献することこそが、真の意味で「豊かに老いる」ということなのではないでしょうか。
それを後押しするためにも、相続税は可能な限り100%に近づけるべきではないかというのが私の持論です。
言い換えるなら、「使い切れなかったお金は社会に返す」仕組みをつくるということです。

そうすれば、「どうせ取られるくらいなら」と積極的にお金を使うようになる高齢者も増えるでしょうから、日本経済には必ずやいい影響が及ぶはずです。また、醜い相続争いのようなことも起こりようがないでしょう。
たとえば、大企業の創業者の子どもが、親の引退後に社長に就任するというのは、ある程度自然な流れかもしれません。実際、40~50代で経営のバトンを受け取るケースは多く見られますし、そのこと自体に大きな異論はありません。
ただし、そこに親の株式や多額の資産まで相続される仕組みが伴っている限り、個人資産は一部の家系に集中し続け、生まれによる経済格差は固定化される一方です。
このような構造は、努力によって報われるべき資本主義の本来の精神を損ねる要因になっているのではないでしょうか。
さらに言えば、たとえ後継者に経営者としての適性がなかったとしても、株主である限り、交代を促すのは容易ではありません。そのまま経営が迷走し、企業の存続が危ぶまれるような事態に陥った例も、実際にあります。
そうしたことまで含めて考えると、現在の相続制度には、資本主義社会の健全な循環を妨げかねない側面があるように思えてならないのです。
■「金持ちは海外に逃げる」は本当か
また、相続税を100%に近づけることで財源が増えれば、今後増えゆく高齢者のために必要な医療費や介護費をまかなえるという可能性も見えてきます。
貧困に苦しむシニア世代を救うことだってできると思います。また、若い人たちに課す税金や社会保険料を少なくすることだってできるでしょう。

世代間の対立が生まれる背景には、「増え続けるシニア世代のために、若い世代が高い税金や社会保険料を負担させられている」という感情があります。
だとすれば、「シニア世代が遺したお金でシニア世代を支える」という循環は、心理的にも制度的にも納得のいく仕組みになり得るのではないでしょうか。
こうした話をすると、「そんなことをしたら、金持ちは海外に逃げてしまうのではないか」と考える人もいるでしょう。
でも現実的に考えて、日本でせっかく財を成し、社会的地位を築いた人が、「相続税が高いから」という理由だけで、言葉も文化も通じず、食事も合わない国へ死ぬまで本気で移住するでしょうか?
私はそうは思いません。
一時的に出て行ったとしても、きっと不便を感じて、しれっと帰って来るに違いありません。
そうしたら歓迎ムードで出迎えたうえで、がっぽり税金を払っていただくことにすればいいだけですから、別に心配は要らないと思います。
■30年間同じレベルの支出を重ねることは案外難しい
2019年に公表された金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」による報告書で、「高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっているということから、30年で約2000万円が不足する」という試算が取り上げられました。
この話が一人歩きして「老後2000万円問題」として話題になったのですが、これは2017年の高齢夫婦無職世帯の平均収入(夫婦二人分の年金などの月々の収入の平均20万9198円)から平均支出(26万3718円)を差し引いて試算したものです。つまりこの時点ですべての人に当てはまる事例ではありません。
ちなみに2024年(家計調査2023年分)の最新データでは、毎月の不足額は3万4058円と試算され、この赤字が30年間継続した場合の不足額は約1226万円と大きく減少しています。
また、65歳の夫と60歳の妻が、30年後の95歳と90歳まで生きるというのにはそれなりの現実味がありますが、30年後まで同じレベルの支出を重ねられるのかはかなり疑問です。
もちろん何歳になっても積極的に外食したり旅行したりできるのであればそれは幸せなことですが、やはり体力的な問題もあって、85歳を過ぎる頃からは夫婦揃って外出するような機会も減り、あまりお金を使わなくなるという人のほうが多くなります。
そのあたりが、「お金をもっと使っておけば良かった」と後悔し始める年齢なのかもしれません。
内閣府の「高齢者の経済生活に関する調査」(令和6年度)でも、年齢が上がるほど預貯金を取り崩して生活している高齢者の割合は低くなる傾向が見られ、70~74歳では、およそ54%(「よくある」11.4%+「時々ある」42.5%)であるのに対し、80歳以上では34%程度(「よくある」8.9%+「時々ある」24.7%)となっています。
つまり、30年間同じレベルの支出を重ねることは案外難しいことなのです。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。


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(精神科医 和田 秀樹)
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