■経営者としての向き不向きをあぶり出す名著
『プロフェッショナルマネジャー 58四半期連続増益の男』(以下、『プロフェッショナルマネジャー』)は「優れた経営者とはこういうものだ」という、簡単には変わらない成功の本質が凝縮された一冊です。時代や国、業界が違っても、経営者として目指す「山の頂」は普遍なのだと、改めて気づかされます。
僕はもちろん、著者ハロルド・ジェニーン氏に直接お会いしたことはありません。しかし、本書は目の前にいる著者と対話しているかのように読むことができます。
この本で著者が語りかけてくるのは、「そもそも経営者の仕事とは何なのか?」という問いへの答えです。優秀な担当者や特定分野のスペシャリストだったとしても、必ずしも経営者として成果を残せるわけではありません。経営者と担当者のあいだには、大きな非連続性があります。
ジェニーン氏は、会社や事業を“商売の塊”と捉え、そこで成果を出すことこそが経営者の唯一の使命だと語ります。明確に因数分解できない「組織という全体」で、どうすれば成果を出せるのか。その要諦を徹底的に掘り下げているのです。
世の中には「リーダーシップ」や「経営ノウハウ」を謳うビジネス書が数多くありますが、実際には、特定分野の優秀な担当者――いわば“スーパー担当者”の成功事例にすぎないものも少なくありません。
■柳井氏の経営概念を180度変えた
『プロフェッショナルマネジャー』は絶版となっていましたが、2004年にプレジデント社から復刻刊行されています。きっかけはファーストリテイリングの柳井正CEOが「自身の経営概念を180度変えた一冊」と編集者にすすめたことにはじまります。復刻にあたっては、柳井氏自らがプロローグと解説を書いています。『プロフェッショナルマネジャー』の原題は『Managing』。辞書を引くと「get things done through others(他者を通じて物事を成し遂げる)」という意味です。経営者といえども一人でできることはたかが知れています。事業に関わるたくさんの人に動いてもらい、その集積として高い成果を出す流れをつくる。結局は、経営は人間を相手にする仕事です。
■社員一人ひとりと向き合うことで得られるもの
人に向き合うこと、それは非常に難しいことです。繰り返しますが、どれだけプレーヤーとして優秀でも、人間がわかっていなければ経営はできないのだと、本書は問いかけてきます。人間は一人ひとり違います。
人間にはいろいろなタイプがありますが、例えば、期待されると頑張るというのは多くの人に共通しています。時代や年齢による違いはなく、つまりは人間の本性ともいえます。ジェニーン氏の経営論は、人間の機微を的確に捉えており、極めて高い「人間理解力」があると感じます。それは、経営者として欠かせない資質のひとつです。
ただ、ジェニーン氏は本田宗一郎氏のように、一緒にいるだけで楽しくて、やる気がわいてくるというタイプではなさそうです。いわゆる「人間力があるタイプ」ではなく、人間理解力に優れているのです。
■会社がめざすゴールは長期成長と長期利益しかない
強烈な“成果への執着”も、お二人のよく似ている点だと思います。ジェニーン氏はITT時代、世界80カ国で350社以上のM&Aを行い、58四半期連続の増益という長期的な成果を出しました。柳井さんの経営判断も、会社全体の長期成長と長期利益を求めていることが近くで見ていてよくわかります。
僕はあちこちで話している通り、「経営の質」を測る評価基準は、長期利益であるべきだと考えています。理由は、至ってストレートなロジックです。長期的に利益が出せるということは、競争の中で顧客に独自の価値を提供している何よりの証拠であり、同時に安定した雇用と報酬を創出する力があることを意味します。
一方で、報酬水準の引き上げについては、労働分配率の調整で対応できるという見方もあります。しかし、それはあくまで”ケーキの切り分け”の問題です。どのように分けるかは人事担当者にも判断できますが、ケーキそのものを大きくすることは経営者の責任です。結局のところ、雇用や報酬を継続する原資を生み出すのは経営者であり、近年取り沙汰される賃上げについても、その実現を左右するのは経営者の巧拙にほかなりません。
■「バンバン稼いで、バンバン納税する」それこそが企業の存在価値
さらに、企業の社会貢献という視点からも長期利益の追及は重要です。
ジェニーン氏と柳井さんの長期成長と長期利益への執着は、逆にいえば、その達成につながらないことは、経営者にとってどうでもいいことを示しているともいえます。柳井さんがしばしば引用するジェニーン氏の名言がすべてを物語っています。
本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできるかぎりのことをするのだ。
経営の本質を突き詰めれば、この3行に尽きるとジェニーン氏は喝破しています。長期成長・長期利益というハッピーエンドから逆算し、最も有効な施策を選択して実行するということです。柳井さんがジェニーン氏の経営論に衝撃を受けたのも、この経営という仕事の真髄を喝破したところだと思います。
■社員に「起業家精神」など求めないリアリズム主義
ジェニーン氏は論理的かつ現実主義ですから、フワフワしたことは言いません。例えば、大企業の社員にイノベーションを促すべく「起業家精神を持て!」というのは典型的なフワフワした考え方です。
ジェニーン氏は、ITT社員に起業家精神などは必要ないと断言しています。そもそも起業意欲がないから大企業(ITTは当時フォーチュン500で11位にランキング)に就職した人たちです。起業家精神を求めるのはお門違いだというのは、徹底したリアリズムだといえます。
ジェニーン氏にいわせると、社員の起業家精神などアテにせず、成果を出せるのが経営者です。常に高いところから見下ろすように、会社と自分の置かれている状況を客観視していることがわかります。
ジェニーン氏の経営は、徹底したハンズオン(現場主義、実務主義)も大きな特徴です。経営者の仕事は他人任せにしません。経営者は部下たちを通して事業を進めるといっても、経営者の仕事まで他人に任せることはできません。重大な意思決定はもちろん、部下たち一人ひとりと向き合うことも大切な仕事です。自分の考えを伝える、部下の考えを聞く、質問をする、指示を出すといったことは経営者本人でなければできません。
■商売全体に責任があり、後ろに責任をとる者がいない“ラストマン”
ジェニーン氏は、現場へ足を運び、手を動かし、自分の頭で考えるのが本物の経営者だと語っています。何か問題が起きて判断を仰がれたとき、「財務のことはわからない」「技術は担当者に聞いてくれ」では許されません。経営者は会社の商売全体に責任があり、後ろに責任をとる者がいない“ラストマン”でもあるからです。その点でいうと、柳井さんも間違いなくハンズオンの経営者だといえます。
■借りものや受け売りの言葉を使わない
『プロフェッショナルマネジャー』を読んで惹きつけられるのは、ジェニーン氏の判断基準が自分の頭で考えたものだからです。借りものや受け売りではありません。ましてや自身の成功を語る武勇伝でもありません。現在でいうSDGsやダイバーシティのような、流行のキーワードや外来の概念は登場しません。当時アメリカで注目された日本的経営についても冷静に分析し、成果が出る経営に大きな違いはないと語っています。本の初めから終わりまで一貫して、ジェニーン氏自身の経験と思考から練り上げた価値観を基準としているから、迫力があるのです。
経営に正解はありません。正解がないから経営ともいえます。意思決定ひとつとっても、AとBの選択肢があって、誰が見てもAのほうがいいと判断する外在的な基準があるなら、意思決定が必要ないということです。良し悪しの明確な基準がないところで決めるのが意思決定です。
長期利益を実現するには、売上を増やす、コストを減らすという2つの方法しかありません。あらゆる行動がこの2つにつながっているのが、優れた経営者です。
もしジェニーン氏が現在の日本で会社を経営するなら、重要なポストに女性をガンガン登用したと思います。ただ、女性活躍推進やダイバーシティの流行に乗ろうとしているのではありません。労働市場の半分は女性なのだから、女性をうまく使いこなせないと単純に損ですし、企業競争に負けるという判断です。消費財を販売する会社が「うちは男性にしか売らない」と決めたら市場が半分になるのと同じです。
■報酬やインセンティブよりも先にあるべき経営者の職業倫理とは
この本を読んで考えさせられるのは「経営者の職業倫理とは何だろう」ということです。従業員一人ひとりと向き合い、会社の商売全体を動かし、長期的な利益を目指して成果を出しつづける。それ以外のことは評価されない。その道のりを想像すると、どう考えても割に合わない仕事で、揺るぎない責任感や倫理観が要求される仕事だと思います。
ここ20年ほど日本でも「プロ経営者」と呼ばれる人たちが出てきました。一般のイメージは、経営者に必要なスキルセットを持ち、労働市場で高い値段がつき、次々と会社を移りながら成果を出しつづけるといったことでしょう。
アメリカの上場企業には、自分が受け取る報酬やインセンティブへのこだわりが強すぎて、著しく職業倫理を欠くプロ経営者が増えていると感じています。経営者の職業倫理は、報酬やインセンティブへのこだわりより先にあるべきものです。「高い報酬が約束されるなら、経営者としていい仕事しますよ」という態度は、外科医が「この手術に成功したら、あなたが生きている間はずっと年収の1%をもらいます」と高い報酬を求めるのと同じです。
上場企業はパブリックな存在にもかかわらず、インセンティブを目当てに経営したり、他社に比べて報酬が少ないと不満を言ったりするのは、責任感や倫理観が欠如しているとしか思えません。
見返りが少ないとわかっていても経営を引き受けるのは、ジェニーン氏のように成果への執着があり、成果が出れば大きな達成感を覚えるからです。会社の成果は、経営者の利得に直結するものではありません。おそらくジェニーン氏は当時でいうと高い報酬をもらっていたかもしれませんが、彼がITTの経営に費やしたエネルギーを考えると、やはり割に合わなかったのではないかと私は思います。
■経営は希少な資質を持った人が行う崇高な仕事である
この本を読むと、会社経営とは、高い職業倫理を持ち、なにより経営が好きな人の仕事だと感じます。本当のプロフェッショナル経営者とは、ジェニーン氏みたいな人だろうと思います。
この本で彼自身の成功事例を語りながらも、自慢話や武勇伝の匂いがしないのも、ジェニーン氏の私心が感じられないからです。後世の経営者や経営者を志す人に役立つこと、優れた経営者がいっぱい出て社会が良くなることが目的であり、彼にとっての成果なのです。
柳井さんも、ジェニーン氏と同じタイプだと思います。僕が最初に仕事のお手伝いを打診されたとき、柳井さんから「私にとっては事業がすべてです。ぜひ、あなたの力を貸してください」と言われて、返す言葉が見つかりませんでした。経営とは本当に希少な資質を持つ人の仕事であり、僕はある種の崇高さを感じています。
■経営者の最終評価は「実行と実績」に収斂される
ジェニーン氏は最終章で「実績は実在であり、実績のみが実在である」と語っています。この言葉には、仕事の真実があると僕は思います。
柳井さんは本書の解説で、実績を生みだすための実行が大切だと繰り返し述べています。セオリーや理屈でなく、実行と実績こそが経営の本質だからです。
僕がファーストリテイリングの役員が集まる会議に出席したとき、柳井さんから「あなたが言っていることは学者の評論ですよ。経営は実行です!」と批判されたことがあります。実際に僕は学者ですから、反論のしようがありません。「僕は評論を実行しています」と答えたら柳井さんはじめ参加者たちは笑っていましたが。
柳井さんが“最高の教科書”と呼ぶ『プロフェッショナルマネジャー』は、40年以上前に書かれたにもかかわらず、内容はまったく古びていません。時代とともにビジネスの環境が変化しても、経営の本質は同じなのだと気づかせてくれる一冊です。時代とともに変化しないからこそ本質なのです。経営者、経営者を志す人が一度は開くべき名著であり、これからも読み継がれることは間違いないでしょう。
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楠木 建(くすのき・けん)
一橋大学ビジネススクール特任教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て現職。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『すべては「好き嫌い」から始まる』『逆・タイムマシン経営論』など。
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(一橋大学ビジネススクール特任教授 楠木 建 構成=伊田 欣司)