仕事や暮らしのあらゆる領域にAIが浸透する中で、「人間の存在価値はどこにあるのか」という問いが、これまでになく突きつけられている。感動ブロデューサーの平野秀典氏は「日本酒『獺祭』が世界で成功したのはデータと『人間中心デザイン』の共演にある」という――。

■自然と共に磨かれてきた人間の力
ChatGPTや生成AIが登場してから、社会は急速に「人工知能(AI)」中心の議論で賑わっています。
AIはどこまで進化するのか、人間の仕事はどうなるのか。多くの人が不安を抱くのも無理はありません。
しかし、この議論の中でほとんど語られていない重要な概念があります。
それが「自然知能(Natural Intelligence)」です。
人工知能(Artificial Intelligence)がデータとアルゴリズムを基盤に設計されるのに対し、自然知能は人間が太古から自然と共に暮らす中で培ってきた知恵であります。
・相手の表情や声のトーンから気持ちを察する力

・言葉にされない「間」や「余白」を感じ取る感性

・森羅万象からインスピレーションを得る直感

・世代を超えて伝承される「経験知」
これらは数値化やデータ化が難しいが、人間が人間らしく生きるための基盤となっています。
外山滋比古氏はかつて「知能は必ずしも人工的に作るものではなく、人間の暮らしや自然との関わりの中で培われるものだ」と語りました。
まさにその視点が、今のAI時代において再評価されるべきでしょう。
■データだけでは人の心を動かせない
日本人は古来から自然知能を生活の中で磨いてきた民族です。
俳句の「季語」は自然の移ろいを通して感情を表現し、茶道や華道は「おもてなし」や「調和」の感覚を身体で学ぶ場であり、能や歌舞伎には「間(ま)」という独特の美意識が宿っています。
これらは単なる文化芸術ではなく、自然知能を育てるための社会的な仕組みだったとも言えます。

一方で、現代社会では効率化や合理性を優先するあまり、この自然知能を意識する場が減ってきています。
データに頼ることが悪いわけではありませんが、それだけでは人の心を動かすことは難しいのです。
■自然知能がAI時代に必要とされる理由
AIは圧倒的なスピードで「最適解」を導きます。
しかし「最適解」だけで人は納得するのでしょうか。
例えば、就職活動でAIがエントリーシートを自動選別したとしても、「この学生と一緒に働きたい」と感じさせるのは数値には表れにくい要素です。
また、営業の場で顧客が心を動かされるのは、完璧なデータ分析よりも「この人は自分のことを本気で考えている」という実感です。
そこに必要なのが自然知能です。
人の気持ちを察し、状況の空気を読み、未来に向けて希望を描く力。
これらはAIが不得手とする領域であり、人間ならではの優位性です。
■AIは脅威ではなく可能性を広げる存在
人工知能と自然知能を対立的に捉えるのではなく、「共演」として捉えることが重要なのです。
AIはデータ処理や分析の伴奏を担い、人間は自然知能を活かして心を動かす演奏をする。
この共演関係が生まれるとき、AIは「脅威」ではなく「可能性」を広げる存在になるのです。

実際、企業の中でも「データドリブン経営」と「人間中心デザイン」を組み合わせる動きが出てきています。
■勘と経営を徹底してデータ化する
山口県岩国市。周囲を山々に囲まれた小さな蔵から、世界中の愛飲家をうならせる純米大吟醸「獺祭」が生まれました。
株式会社獺祭(旧旭酒造)は長年、地元に根付く家族経営の蔵元だったのですが、1990年代後半、売り上げが低迷し、廃業寸前の危機に直面しました。
このとき三代目蔵元・桜井博志氏(現会長)は決断したのです。
「誰もやらない酒造りをしよう」
そのためにまず行ったのが、酒造りの“勘と経験”に頼る部分をデータで見える化することだったのです。
酒造りは本来、杜氏(とうじ)の感覚に依存する職人技です。
気温・湿度・米の吸水率――細かい条件を季節や天候で読み取り、微調整を重ねる。
その一つ一つを、旭酒造はセンサーで計測し、発酵タンクの温度や麹菌の動きをリアルタイムに記録。人間の“肌感覚”を数値化したのです。
徹底したデータ分析は、従来なら“門外不出の秘伝”とされた領域にまで踏み込みました。その結果、杜氏が長年培ってきた「職人の勘」を若手社員でも再現できるようになったのです。

酒質は安定し、世界のどの国に出荷しても「獺祭の味」がぶれないのです。
■獺祭が世界で称賛されるワケ
しかし、旭酒造は単なる効率化で終わりませんでした。
温度制御や発酵管理を自動化しても、最終判断は必ず人間が下すのです。
「センサーが示す数字だけでなく、香りや米の手触り、発酵の音を聴く。五感を使った確認を怠らない」
これこそが“人間中心デザイン”の真髄です。
桜井氏は言います。「機械が出した数字が正しくても、飲む人が感動しなければ意味がない。『それは人を感動させられるのか?』をいつも自分たちに問いかけています」。
データを駆使しながらも、人間の感覚・哲学・物語を大切にする姿勢は、AI時代が求める“自然知能”の実例と言えます。
効率や正確さだけを追えば、どんな企業も似た味になります。
しかし獺祭は、杜氏の経験を数値に翻訳しながら、最後の一滴に宿る「意味」や「余韻」を人間が決めるのです。
獺祭はフランスやアメリカ、アジア各国でプレミアム日本酒として認知され、世界のトップシェフやワインソムリエからも称賛されるブランドとなりました。

獺祭の歩みは、データドリブン経営と人間中心デザインの“共演”が、いかに強力な感動を生むかを教えてくれます。
AIが膨大なデータを処理できる時代でも、最終的に人の心を動かすのは、数字ではなく「人間が意味を与えた一滴」なのです。
■AIと競争するな「共演せよ」
「AIが憧れる7つの自然知能」の中核――意識力、意味を見いだす力、そして感動力。獺祭は、それを日本酒づくりという伝統の中で体現し続けているのです。
AIとの競争を恐れるよりも、自らの内に眠る自然知能を呼び覚まし、共演の舞台に立つ。その視点が、不確実な未来を生き抜く最大のヒントになるはずです。

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平野 秀典(ひらの・ひでのり)

感動プロデューサー®/講演家/作家/俳優

一部上場企業でのビジネスマンとしてのキャリアと、20年にわたり「演劇」の舞台俳優として活躍した異色の経歴を持つ感動のスペシャリスト。ビジネスと演劇の融合から生まれた独自の「感動創造メソッド」を確立し、企業の業績向上や組織変革に劇的な成果をもたらしてきた実績を持つ。サントリーホールや紀伊國屋ホールといった一流会場でのビジネスセミナー開催や、現在も主演舞台に立つ俳優としての活動を通じて、感動力の新たな可能性を切り拓き続けている。

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(感動プロデューサー®/講演家/作家/俳優 平野 秀典)
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