※本稿は、真木あかり『「ツイてない」「もう無理」に効く占いと技術』(集英社)の一部を再編集したものです。
■幸運は求めすぎてもバランスが崩れる
『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』や『テレプシコーラ/舞姫』などで知られる山岸凉子さんの漫画に『白眼子(はくがんし)』というお話があります。人の生死を見抜いたり、死者との対話を可能にしたりする「運命観相」を行う白眼子という異能の持ち主を、主人公の光子の目から描いたお話です。
舞台は昭和21年、第二次世界大戦後の北海道。白眼子のもとには「戦地に赴いた子どもの生死を知りたい」という親や、子どもの病気平癒を願う人々が訪れました。一方で、戦後の復興が進むにつれ、ひと山当てたいというヤミ商人や実業家も集まるようになります。白眼子は彼らに積極的な助言をすることはありませんでした。それは決して「当てられない」のではなく、「人の幸・不幸はみな等しく同じ量」という考えに基づくものでした。
白眼子は言います。
「災難はさけようさけようとしてはいけないんだ
災難は来る時には来るんだよ
その災難をどう受けとめるかが大事なんだ」
「必要以上に幸運を望めばすみに追いやられた小さな災難は大きな形で戻ってくる」
果たして、欲望のままに開運を狙った実業家は自分の子どもに刺されて死に、ヤミ商人は欲に目がくらんで先物取引で失敗、破産したのでした。
主人公の光子は戦後の混乱期に市場で親族とはぐれ、白眼子の養子になったという過酷な運命をたどった子どもでした。「人の幸・不幸はみな等しく同じ量」という白眼子の言葉に「幸せな人はずっと幸せで不幸な人は不幸なままってよくあるよ」と思うのですが……続きは、本作品でぜひご覧になってみてください。
私も基本的に、幸・不幸の量は等分だと考えています。どうしたって避けられない不運もあるし、「すべて思い通り」「とにかく幸運を」などと強く思いすぎると、人生はアンバランスなほうに傾きやすいのです。それは不運を「いけないもの」と排除することと同じ。目を背けるということは、学ぶ機会も活かす機会も放棄することです。起こる不運は、さらにアンコントローラブルで怖いものと感じられるでしょう。幸・不幸の量は等分でも、感じ方によって「幸運が多い」「不運が多い」と偏りが出る。それが、運の性質のひとつかなと思います。
本稿は、「たまたまの不運」の考え方と付き合い方を書いています。偶然出くわすものからは逃げようがないのか。減らすことはできないのか。開運本のようにアッパーなムードがなくて恐縮ですが、「幸運を待つ」ばかりの人生というのは、いささか受け身に過ぎるのではないかなというのが私の考えです。不運の解像度を高め、過剰に意識しなくてもいい不運はどんどん振り落としていく“攻め”の姿勢でいましょう。
■どんなに慎重に生きても避けられない不運はある
行ったお店がたまたま臨時休業だったり、ビニール傘を持っていかれたり、傘を忘れた日に限って突然の豪雨に見舞われたり……そうしたことがあると気が滅入るものです。あなたは最近、そうした「たまたまの不運」ってありましたか。自分に落ち度はないというのに、時間やお金を微妙に損する出来事。私は呑気に散歩していたらノーリードのチワワに追いかけられ、ものすごく怖い思いをしました。つないでほしいです。
もしもこうした不運に見舞われたら、何よりもまず「自分の人生に残さない」ことを意識するのがベストです。ある程度始末をつけたら「ハイ終わり!」と気持ちを切り替えて、その場で忘れるようにする。「自分はいつもこんなことばっかり」などと思い込むと「不運が不運を呼ぶ」ような状態になりかねません。自分にとってマイナスな方向に考えれば考えるほどマイナスな情報を見つけやすくなりますから心理的視野狭窄に陥り、マイナスなものを見つける能力だけがどんどん冴えていくからです。
避けたいのは、こうした偶然の不運を即SNSにアップすること。
「ツイてなかった!」「嫌な気分になった!」「あーもう!」などと書くことでスッキリした気分になれたり、つながりのある友人・知人とコメントし合ってやり場のない思いをおさめたり、という人もいらっしゃるでしょう。
何より、過去のタイムラインを振り返るたびに「こんな嫌なこと、あったな……」「このとき、腹立ったな……後からすごく困ったし」などとくり返し不運を記憶に刻みつけることが心身にも運にも良くないのは、あなたにもご想像はつくかと思います。その場で忘れてしまえば、それで済むお話。そういった不運は、どんどん手放すほうをクセにしていったほうが、よっぽどいいんですね。
■理屈で切り替えられないときは、しばらく悲しみ尽くす
信頼していた人に裏切られる、大事なものを盗まれるなど、すぐには気持ちに切り替えがつかないこともあるでしょうか。すぐには立ち直れないと感じるときは、理屈で処理するという選択肢は早々に外しましょう。「落ち込んでいても時間は戻ってこない」「大事(おおごと)になる前にわかって良かった」などと思ってみても、心が「でも、悲しい!」と思っているうちは、とことん悲しみ尽くしたほうがいいのです。そこを飛び越えて納得しようとしても、心は余計に不運のほうに向いていきます。しまいには「気持ちを切り替えられない自分はダメだ」などと自己否定に陥ってしまうと、負のループから抜け出すのはさらに困難になります。
すぐには気持ちの切り替えがつかない不運に際しては、とにかく「十分に悲しみ尽くす」ことが何より大事です。時間が許す限り引きこもるのもいいいですし、とことん泣くのもおすすめです。ひとりになれる場があれば、声を上げて泣くのも、罵詈雑言を吐き出すのもいいでしょう。何が悪いとかどうすれば良かったかといったことは、置いておいてOK。そういうのは、落ち着いてから考えることです。人は、同じ状態をずっと続けていれば、必ず飽きます。ずっと泣き続けることはできませんし、怒りはだんだんおさまっていきます。そこまで来れば、自然に「泣いていたってどうにもならないな」と思うようになるでしょう。理屈が役に立つのは、ここからです。
友達に話を聞いてもらうのもいいでしょう。ただ、同じテーマで相談するのは、できれば2回までと思っておくといいのかなと思います。相談を受けた人は多くの場合、「力になってあげたい」と考えるものです。
それなのに、同じ悩みを抱え続けていたらどうでしょうか。「自分の話は参考にならなかったのだろうか?」「あんなに話したのに、何も伝わっていなかったのだろうか」などと疑念を抱くことになるのです。場合によっては「都合よくストレスのはけ口にされているだけなのでは?」と余計な疑念が生まれることもあります。とはいえ、これは「比較的シンプルな悩み」です。深刻かつ長期的な問題に関しては、くり返し同じテーマについて語り合う機会こそが生きる力を呼び覚まし、深い人間関係を築くきっかけともなるでしょう。それについては、次章で触れたいと思います。
■「たまたまの不運」を積極的に引き受けて幸運に変える
「計画された偶発性理論」(プランド・ハプンスタンス・セオリー)をご存知でしょうか。これはスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱したもので、キャリアは予期しない出来事や偶然の出会いを起こすように積極的に働きかけ、最善を尽くすことで形成されるというものです。心理学者の諸富祥彦さんは著書『偶然をチャンスに変える生き方』(ダイヤモンド社)にて、次のように説明しています。
「この理論では、真の成功者は、単に偶然の出会いや出来事を受け身的に待つのではなく、そのような出来事がより頻繁に人生で起こるように、自ら積極的に働きかけ、意図的に行動しているというのです。したがって、個人のキャリア形成では、自らのキャリア・アンカー(=キャリア選択時に譲れない価値観など)を意識し、目標設定し、計画的に努力していくだけでは十分ではなく、予想外の『偶然』を活かすことが必要であると考えるのです」
「クランボルツ教授は実際に多くのビジネスパーソンに調査を行って、この理論をまとめたのですが、成功者が自分の人生を振り返り、大きな節目となった出来事を分類していった結果、そのうち、計画的に努力して手に入れたものは、わずか二割、残り八割は偶然の出会いや出来事に上手く心を開いてかかわった結果、生じたものであることがわかったのです」
クランボルツ教授は、その著書『その幸運は偶然ではないんです! 夢の仕事をつかむ心の練習問題』(ダイヤモンド社)にて、「幸運は偶然ではない」と述べています。
・好奇心……注意関心のアンテナを絶えず張っておく
例:常に関心のあるテーマの情報を追いかける
イベントやセミナーには積極的に行ってみる
・粘り強さ……不運や失敗に屈することなく努力する
例:うまくいかないことは自分に合わせて工夫する
第一志望の職種ではなくとも、ひとまず頑張ってみる
・楽観性……「きっとうまくいく」と思っておく
例:「ひょっとしたら成功するかも」と考える
つまらなそうな話も「面白い部分もあるかも」と思って聞いてみる
・柔軟性……オープンマインドでやってみる
例:積極的に場所や職業を変える
計画とは違っても、面白そうならやってみる
・リスク・テイキング……リスクを恐れすぎず、行動を起こす
例:やっていけるかわからないけれど、やる
合格は難しいかもしれないけれど、試験を受けてみる
例えば「出社したら会社が倒産していた」という不運に見舞われたとしましょう。あなたには何の落ち度もない、正真正銘の不運です。ただ、普段から「計画された偶発性理論」の5つの要素を積極的に取り入れて行動していたら、こんなことも期待できるかもしれません。
・好奇心
→以前から参加していた異業種交流会で知り合った人に失職したことを話したら「ちょうどウチで人材募集していて……」と聞かされる
・粘り強さ
→一時しのぎでアルバイトを開始。「どうせやるなら」と勉強しつつ真剣に取り組み、正社員登用の話をもらう
・楽観性
→すぐに次の仕事が決まらず、趣味でやっていたアクセサリー作りに本腰を入れる。ネットショップで売ってみたところ完売、収入の道が増える
・柔軟性
→「ある意味チャンス」と、社畜時代には到底チャレンジできなかった海外長期留学へ。語学力を磨き、帰国して海外留学あっせんの会社に入社
・リスク・テイキング
→これもまた運命と考え、夢だった仕事にチャレンジすることに。道は険しいものの、SNSで発信したところ著名人が拡散してくれてバズる
都合の良すぎる展開でしょうか? ただ、「どうせうまくいくはずがない」「もう誰のことも信用できない」などと思っていても、人生は好転しないのですよね。怒ったり悲しんだり、悲観したりする時間もあっていい。でも、今からでも「計画された偶発性理論」がある人生を送ったっていいのではと私は思います。成功者たちの幸運の8割が偶然によるものなら、自分にだってその8割が起こったっていい。そんなふうに、まずは「楽観性」から取り入れてみるのもいいのかなと思います。
この理論を引くことで、私は
1.起きてしまった不運に対する態度
→「たまたまの不運」を「逆にオイシイ」と思ってみること
2.これから起こる不運を引き受ける覚悟
→未知のことに挑戦すればするほど「たまたまの不運」も増える。でも、「たまたまの幸運」も増えるからそれを恐れないこと
を、お伝えしたいと思います。新しい行動を起こせば、「たまたまの不運」も増えます。いい偶然ばかりが起こるほど、人生はイージーではないのが現実です。未経験で恥ずかしい思いもすれば、出会った人がカスだったりもするでしょう。犬のウンコを踏んだりもするかもしれません。でも、幸・不幸は同じ数。「不運が来るのは、幸運が来る予兆」とでも思って、引き受けてみるのもアリなのかなと思います。
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真木 あかり(まき・あかり)
占い師
学習院大学文学部卒業、東京福祉大学でも心理学を学ぶ。フリーライターなどを経て占いの道に。四柱推命を中心に、占星術や九星気学、タロットカード等を用いて鑑定・執筆を行っている。女性誌やウェブメディアでの連載多数。著書に『タロットであの人の気持ちがわかる本』(説話社)、『金運星占い』(KADOKAWA)等がある。
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(占い師 真木 あかり)