■大谷選手が証明する「10時間睡眠」のすごさ
2年連続3度目の満票シーズンMVP、1シーズン50本塁打50盗塁(50-50)と米メジャーリーグ史上初の記録を次々に打ち立てるロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手。その強さの秘訣としてよく話題にのぼる生活習慣が「10時間睡眠」である。
一方で日本人については、従来、睡眠時間が短いと言われ、各種データからもこれは明らかである。令和元年の国民健康・栄養調査によると、1日の平均睡眠時間が6時間未満の人は男女とも4割前後。経済協力開発機構(OECD)の調査では、先進国も含む世界33カ国の中で日本人の平均睡眠時間462分(7.7時間)は最低値である。
こうして見ると、眠い目をこすりながら仕事をしている日本人の多くにとって、10時間も睡眠時間を取りながら、億単位の年収を稼ぐ大谷はまさに驚異的存在である。
むしろ逆説的に「長時間睡眠をとることが大金を稼ぐパフォーマンスを生み出すのではないか?」と思いたくもなるだろう。
大谷選手の睡眠時間を専門家はどのように評価するのか?
■「10時間はやや寝すぎ、ただし…」
「最近は10時間も睡眠を取れば、大谷選手のようになれるのか」と問われることが増えたと苦笑いする日本睡眠学会理事長で久留米大学学長(同大学医学部神経精神医学講座前主任教授)の内村直尚氏は、「大谷選手は10時間睡眠に加え、時には昼寝も2時間程度すると言っていますが、30歳という年齢を考えると、医学的に適切な睡眠は1日7時間前後、昼寝も30分程度。その意味ではやや寝すぎです」と評価する。
ただ、内村氏によると、大谷選手が置かれた“特殊事情”を考えれば、10時間睡眠もある程度説明がつくという。
この特殊事情を考えるにあたって知っておかねばならないのが、そもそも「良い睡眠の条件」である。内村氏は「量(時間)」「質」「リズム」の3要素が確保されていることだとする。
【条件1】睡眠の“量”
まず、量(睡眠時間)は、個人差はあるものの、医学的には体重当たりの消費カロリー量(いわゆる基礎代謝量)によって異なる。もっとも端的に相関するのは年齢で、一般的には若いほど体重当たりの消費カロリー量が多く、より多くの睡眠時間が必要になる。そしてヒトは成長すなわち加齢とともに体重当たりの消費カロリー量は減少するため、それと連動して睡眠時間も短くなる。ちなみに1~2歳児の基礎代謝は、75歳以上の高齢者と比べ、約3倍も高い。
この結果、科学的には18歳未満の中高生で8~10時間、非高齢者の成人では6~8時間、高齢者では6時間程度の睡眠時間が推奨される。ちなみに加齢とともに体内時計の機能劣化で眠りは浅くなりがちになる。「若い時のようにぐっすり長く眠られない」という高齢者の愚痴は少なくないが、これは病気ではなく自然なことだ。
■「最初の3時間」が質を決める
【条件2】睡眠の“質”
一方、「質」について内村氏が指摘する主な指標は、(1)入眠から3時間は中途覚醒しない(2)午前0時までの入眠、の2つである。
(1)については、ヒトの睡眠のサイクルに由来する。
このうちの「ノンレム睡眠」は、睡眠の深さによってN1~N3の3段階に分かれ、最も深いN3は一般的に最初の2サイクルでしか出てこない。このため2サイクルの合計180分、すなわち3時間はきっちり眠ることが重要になる。
一方、(2)についてはヒトの体内時計の働きなどから、科学的にヒトが深く眠れると考えられるのが午後10時から午前3時にかけてとわかっているためだ。
つまり深い睡眠が取れるタイムリミットの午前3時から、より深い睡眠がとれる最初の3時間確保を逆算すると、遅くとも午前0時までに入眠しなければならないのである。
■睡眠ホルモン「メラトニン」の分泌サイクル
【条件3】睡眠の“リズム”
3つ目の「リズム」を語る際に欠かせないのが、ヒトの体内時計の働きを調節するホルモン「メラトニン」である。
メラトニンは起床後に日光を浴びると分泌が抑制され、それとともに人の体温は上昇し、日常活動に適した状態となる。メラトニンの分泌量が増えだすのは、起床後に日光を浴びた時から14~16時間後。これによりヒトの体温は低下し、睡眠に向けたリラックスモードに誘われる。裏を返せば、徹夜をしたなどの特殊事情がない限り、ヒトは起きてから14~16時間経過しないと眠れないことになる。
具体例で示そう。まず、一般的な非高齢成人が深い睡眠が得られやすい時間帯で最も早い午後10時に眠りにつく場合。
内村氏は「リズムが確保できていなければ、必然的に睡眠の質は悪化する」と説明するが、量の確保の観点からもリズムが重要なことはこの点からも明らかだ。
■結論「質・リズムの不利を量で補っている」
さてそのうえで内村氏は、大谷選手の10時間睡眠を次のように分析する。
「まず、大谷選手の特徴は投手と打者の双方で好成績を出す『二刀流』。それだけに同年代と比較しても体重当たりの消費カロリーは多いと考えられます。
しかも、米メジャーリーグの選手は、試合のために東海岸と西海岸の間で3時間も時差があるアメリカ国内を行き来します。ナイトゲームの翌日にデイゲームが行われることもあります。
つまりもともと消費カロリーが多いために長い睡眠時間が必要な環境にあるにもかかわらず、時差ボケも含め睡眠リズムの確保が難しく、結果として睡眠の質も低下しやすい状況です。このためリズムと質の不利を量で補っていると解釈するのが妥当です」
■巨人が「デイゲーム」をしないワケ
睡眠リズムの重要性をうかがわせる事実は、日本のプロ野球界にもあると内村氏は語る。ずばり国内球団の通算成績である。
2024年末現在、トップは通算6343勝、リーグ優勝48回、日本シリーズ優勝22回の巨人(読売ジャイアンツ)である。
この要因は、巨人が読売グループの資本をバックに有力選手を数多く獲得できたこと、同グループの日本テレビは日本で初めて野球中継を行ったテレビ局であり、その初中継が巨人戦。これが全国的な巨人ファン増加のきっかけとなり、その放映権料収入でさらなる有力選手獲得につなげたからと説明されることが少なくない。
しかし、内村氏はかつての巨人が他球団と違い、週末にデイゲームをほとんど行わなかったことに着目し、「睡眠も1つの要因だったのではないか」と語り、次のような推察を示す。
「巨人がデイゲームをしなかった主な理由は、ゴールデンタイムのナイター中継のほうが全国的にファンを擁する球団として高い放映権料が得られたからと語られます。おそらくその通りでしょう。
ただ、平日にナイター、週末にデイゲームをやると選手の睡眠リズムは乱れ、一度乱れた睡眠リズムの回復には週単位の時間がかかります。このような睡眠の視点に立つと、後付けと言われるかもしれませんが、かつてデイゲームを行わなかった巨人の選手は他の球団の選手と比べ、睡眠のリズムが崩れにくく、睡眠の質や時間も確保しやすかったことが良好なパフォーマンスの一要因だった可能性はあるわけです」
■午前中に眠気を感じたら要注意
ここで再び「良い睡眠の3条件」を考えると、「質」と「リズム」はある種、万人に通じる法則があることはわかっただろう。ただ、「量」は年齢に応じた目安はあるものの、個々人の消費カロリーの違いに代表されるように個人差が大きい。
たとえば、一般的な成人の睡眠は6~8時間と言われても、自分にとってそれが6時間なのか7時間なのか8時間なのか、はたまた大谷選手のように消費カロリーが多く、質とリズムが保てないがために9~10時間必要なのか。
内村氏が語る個々人の最適な睡眠時間の目安とは「朝にすっきりと目覚めたと自覚し、かつ午前中に眠気を感じない睡眠時間」だという。
一見すると、フワッとした感じだが、まず「午前中」という点が一つのポイント。
■連休は「正しい睡眠時間」を知るチャンス
より正確に自分に必要な睡眠時間を知りたい人に対して内村氏が推奨するのは、以下の4条件だ。
▽起床時間の制約がない
▽起きている時間はなるべく普段と同程度の活動量を確保する
▽現時点で明らかな睡眠不足や睡眠障害を疑うような症状(寝付きの悪さや中途・早朝覚醒)はない
▽夜に飲酒はしない、あるいは少量にとどめて飲酒後3時間以上経過してから布団に入る
これらをすべて確保した状態で、部屋を完全に真っ暗にして目覚まし時計をかけない状態で眠ること。
この条件で布団に入ってから最初に目を覚ますまでの時間が自分に必要な概算の睡眠時間だという。連休中などにこれを試す場合は数日間続けてその平均値を算出すれば、より正確な必要睡眠時間を算出できる。あとはこれに合わせて「質」と「リズム」も整えれば良いことになる。
ちなみに最近増えたという「10時間睡眠で大谷選手のようになれるのか」との取材に内村氏はこのように答えているという。
「十分に睡眠をとることは、どのような人にとっても十分な実力を発揮するために必要な最低限の条件。大谷選手のように頂点を極めるまでは行けなくとも、頂点に近づくことはできます」
良い睡眠はあなた自身が活躍する領域で大谷選手のような飛びぬけた人間になるかどうかの第一歩というわけだ。
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村上 和巳(むらかみ・かずみ)
ジャーナリスト
宮城県出身。中央大学理工学部卒。
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(ジャーナリスト 村上 和巳)