■日本とデンマークの違い
学校が合わない子どもたちが選択する新しい学校のひとつに、「ラーンネット・グローバルスクール(LGS)」があります。兵庫県神戸市にある六甲山の自然豊かな標高850メートルの国立公園内に拠点を置いている“学校でない学校”です。世界的なコンサルティング会社で経営コンサルタントとして活躍していた炭谷俊樹さんが会社を辞めて、1998年4月に開校しました。
炭谷さんに学校をつくらせたきっかけは、勤めていた会社の関係でデンマークで暮らすことになったことでした。そこで炭谷さんは、日本とデンマークの違いを痛感したそうです。炭谷さんは言います。
「日本では、自分以外の人と比べての『勝った、負けた』が重視されます。学校でも会社でも競争をあおって、とにかく『勝つ』ことが求められます。ところがデンマークでは、そういうことがいっさいありません。会社での役職とか年齢、卒業した大学など、まったく関係ない。そういうことが人を判断する基準ではないのです」
■基準は「自分が何をしたいのか」
とかく日本では、学歴や勤めている会社などが個人の評価基準になっています。
「デンマークで重視されているのは、『自分が何をしたいのか』です。しかも、お互いの『自分は何をしたいのか』を尊重する社会です。
デンマークで暮らしはじめたとき、『なんで競争しないんだろう』とか『上下関係を重視しないのだろう』と戸惑いました。しかし慣れてくると、それが気持ちいい。自分らしさを認めてくれるのが心地いいと感じるようになりました。日本のように無理やり走らされているのではなく、デンマークの人たちは自分自身のモチベーションで走っていて、だからこそ、やっていることに納得感がある。それが幸福感につながっていくことを実感するようになりました」
■なぜ「幸福度」が低いのか
国際連合の接続可能な開発ソリューションネットワークが毎年発表している「世界幸福度ランキング」で、2024年にデンマークは1位のフィンランドに僅差の第2位でした。このランキングでデンマークは常に上位にあります。
ちなみに日本は、2024年には143カ国中の第51位。前年の第47位から順位を下げ、G7諸国(主要7カ国、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカ)のなかでは最下位です。円安傾向で状況は少し変わりつつありますが、戦後の高度経済成長を経て日本は世界でも有数の経済大国との評価を受けてきました。しかし、幸福度は第51位でしかないのです。
「他人と比べない」デンマークと「他人と比べる」日本の違いといっていいのかもしれません。日本の小学校や中学校ではペーパーテストが日常化していて、その点数が大きな評価軸になっています。ペーパーテストで点数をとることが「学力」とおもわれてもいます。しかしデンマークの小学校や中学校では、ペーパーテストをしてはいけないことになっているそうです。
■「子どもを入れたい学校がない」
そういうデンマークで2年間を過ごして帰国した炭谷さんが再会した日本は、「違和感だらけ」だったそうです。なかでも大きな違和感がわが子の幼稚園選びで、近所の幼稚園を見学に行って教室に入ったとたん、炭谷さんの目は点になってしまったそうです。壁に30人くらいの園児の絵が貼りだしてあったそうですが、どれも同じ構図で同じ色使いで描かれていたからです。子どもたちに見えているものは一人ひとり違うはずなので、描く絵も違ってくるはずなのに、みんなが同じ絵を描いている。
「体験入園して帰ってきた娘は、『自分のやりたいことをまったくやらせてくれない』と怒っていました」
それから、いくつかの幼稚園を見学したものの、どこも同じようなものでしかありません。仕方なく炭谷さんは、わが子の個性を比較的尊重してくれるインターナショナル・スクールに入れます。
「私は日本が好きなんです。その大好きな日本に自分の子どもを入れたい学校がない。かなり悔しい思いをしました」
そこで終わったわけではありません。炭谷さんは、「こうなったら、自分で学校をつくるしかない……」とおもいはじめるのです。
■「不満があるなら、満足できるものを自分でつくる」
これも、デンマークで学んだことでもありました。「不満があるのなら、満足できるものを自分でつくれ」というのがデンマークの文化なのです。
「実際、デンマークにいるときに、通っていた学校が自分の子に合わないとおもったら、自分で学校をつくってしまう事例を目撃したことがあります。日本なら文科省への不満を口にするだけで終わってしまいがちです。しかしデンマークでは、不満があるなら自分でつくってしまうのです」
そのデンマークで学んだことを、炭谷さんは日本で実践に移していきます。
炭谷さんはデンマーク流に「不満があるなら自分でつくれ」を実践しようとしたわけですが、公的なものをふくめて何の支援もないなかで、独力で学校づくりをはじめることになります。
■「自宅の2階」からのスタート
最初につくったのが、1996年4月に開校した「出る杭も伸ばす教育・ラーンネット・ロゴパソコンランド六甲教室」でした。資金的にも余裕のないなかでの開校だったので、教室は炭谷さんの自宅の2階で、生徒の募集も口コミやチラシ、インターネットのホームページで行います。そして12名が入ってきますが、まだ学校というレベルではなく、子どもたちが学校が終わったあとに通ってくるアフタースクール、学習塾のような形態でした。
ここでは、「レゴブロック」と「ロゴ」を使って子どもたちの創造力を育てる教育が展開されていきます。レゴブロックはデンマークの玩具会社レゴが開発した、組み合わせていろいろなものをつくれるプラスチック製のブロックで、子どもたちの創造性を培うことができ、日本でもかなり人気があります。そしてロゴは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のパパート教授による子ども向けのパソコン・プログラミング言語で、世界的に高い評価を受けています。
■出る杭も伸ばす教育
ラーンネットでは、このふたつを組み合わせで、レゴブロックでつくった模型にモーターやギア、センサーを加え、コンピュータ制御で動かす体験をします。これが日本の学校や教室だと、見本が示されて、全員が同じ物をつくるというふうになりがちです。しかしラーンネットでは、子どもたちが自分の創造力を働かせて自由につくるので、いろいろな個性あふれる作品ばかりができあがります。そうしたなかで創造力を培い、個性を発揮する力が養われていくのです。
レゴブロックとロゴのクラスだけでなく、ラーンネットのアフタースクールにはアートなどのクラスもあります。そういうクラスで子どもたちは個性を発揮し、創造力を広げていきます。
アフタースクールをやってみて、「すべての子どもは創造的である」と炭谷さんは実感したそうです。日本の学校、一条校は子どもたちの創造性をじゅうぶんに育てられているのか、考えさせられる言葉です。
日本で新しい学校をつくるにあたって、炭谷さんはいろいろな教育について研究しています。海外にも足を運んで勉強したそうです。そうした積み重ねのなかから組まれたのが、アフタースクールのカリキュラムでした。
もちろん、ここが炭谷さんが目指したゴールではありません。
■ついにフルスクールが開校
それが実現したのは、1998年4月のことでした。LGSのフルスクールが開校したのです。最初の生徒は、わずか3人だけでした。そのフルスクールで実践しようとした、そしていまも実践しているLGSの教育を、炭谷さんは次のように説明します。
「自分自身が何かをつくりだす。自分自身が価値観とか哲学をもって、自分はこういうことを学びたいから、こういうカリキュラムでやりたい。あるいは、自分自身が社会参画することで社会は変えられるとおもう生き方ができる人を育てることです」
決められたもの、与えられたものを学ぶ、これまでの学校の“教えこむ”教育とは大きく違っています。別の言い方をすれば、「探究型の学び」です。
いまの学校(一条校)でも、この探究型の学びを重視しようとしています。それが実現できているかどうかは別にして、探究型という言葉はよく聞かれるようになったし、熱心にチャレンジしている学校や教員も増えています。
しかし、LGSのフルスクールが開校した当時は、まだ珍しい考え方でした。いわばLGSは、探究型の先駆的な存在だったといえます。日本で探究型の学びが必要だと考えた理由を、炭谷さんは次のように説明します。
■答えを教えてもらうのがクセになっている
「私自身は日本の伝統的な教育を受けてきましたが、デンマークに行ってみたら、彼らは自分で考えるとか創造するという教育で育ってきている。はっきり言って、『負けてるな』とおもったし、このままでは『日本人は世界で通用しないな』とおもいました。彼らは自分で考えるのが当たり前で習慣のようにできていますが、日本人は答えを教えてもらうのが癖になってしまっています」
答えを教えてもらうのではなく、自分で考えるためには探究型の学びが必要です。とはいえ、いまでこそ探究型の学びという言葉も知られているし、その必要性を感じている人も多いのですが、LGSがフルスクールを始めた当初は、それを理解できる人は少ない状況でした。子どもたちに必要な学びだということを保護者に理解してもらうために、炭谷さんも苦労したようです。
「だから、できるだけわかりやすい言葉で伝える努力をしました。たとえば『出る杭を伸ばす』とか、『子どものいいところを伸ばしましょう』と保護者に説明しました」
そういう努力もあって、LGSの生徒数は徐々に増えていきます。教育機会確保法が成立したこともあり、“学校(一条校)ではない学校”の認知度も上がってきています。そこには、早くから探究型という一条校では難しかった学びを実践し、学校が合わない子どもたちにも学ぶ場を提供してきた炭谷さんの活動が大きく貢献したのではないでしょうか。まさに多様な学びを実践してきたわけです。
現在、炭谷さんはLGSだけでなく、“学校ではない学校”づくりを支援する活動も展開しています。
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前屋 毅(まえや・つよし)
フリージャーナリスト
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。著書に『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(KKベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)などがある
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(フリージャーナリスト 前屋 毅)